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divided | 分断

ここ数日、寒暖差が大きいのと選挙カーが連日走り続けているため、睡眠時間が確保できていない。以前に選挙カーについての法律や心理効果を調べたことがあるのですが、構図が完全に家庭内DVと同じでした。

殴った後に優しくするのも、「大音量で失礼します!」と言いつつ音量を下げずに声を張り上げたりするのも、時々トラウマティックに色んな記憶を蘇らせます。優しい人間なのに、言動が一致しない奴がいちばんヤバい。

春はただでさえ、自分以外の環境変化が大きく、それに相反する自分の存在に焦ったり、鼓舞してみたり。普通に死にたくなる。精神がパンパン過ぎるのだが。部屋で独り言さえ呟くのをためらう僕もさすがに大音量でお笑いを再生。狂ったように笑ったふりをした。


宇宙からすれば人間ひとりの命なんて本当にどうでもいい。誰かが死んだって、生きていたって、別に自分には関係ない。僕は当事者でもなんでもない。

だから、有名だから、悲しい死に方だからとかで共感したりは全然しない。むしろそういう感情になれない自分が悲しい。共感性が乏しいというよりはずっと誰かしらと共感している。自分を取り巻く全てが自分を変えていっている。

自分に大切なものはなんだろう。限りある財産か、膨れ過ぎた余暇か、止めどない思考か。


せっかく出掛けたのに自分が乗っている電車が止まった。舌打ちをする人、帰宅の心配をする人、何故かわくわくして走り出してしまった僕もいる。

いちいち共感することに疲れ切った僕は積極的に自分と他人を分割する。他人の気持ちは僕には分からないし、僕の気持ちも他人には分からない。勝手に想像して思い込んだ偶像を信じたくない。

誰かのことを想ったり、幸せになってほしいと願うのは結局自分のエゴなんだと気付く。行き過ぎた愛もやがて憎しみに変わる。そんなことを言うと、「冷たい人間」「サイコパス」とかすぐ言われるけど。

スローガン先行の票取り合戦にはもう懲り懲りだな。自分は自分で生きていくから、あなたはあなたで生きていってほしいとしか思わない。期待もしないし、絶望したりもしないよ。どうしてこうなった?

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