見出し画像

la luz | 音楽に光を

記事のヘッダー画像は最近購入した「Konica Hexanon 50mm f1.9」というレンズで撮影した。このレンズ、Summicronのf2.0より少しだけ明るいだけあって、微かに明るい。f1.9という絶妙な刻み方も好きだ。

 *  *  *  *  * 

僕はと言えば、足踏みしていた生活から少し歩み出そうと、一人暮らしを始めようとしていた。しかし、引っ越し目前でパニックを起こして、入居が叶わなかった。物件まで決まって、1年分の家賃も支払ったのに(その後、無事に日割り計算で返金)。

今はとにかく写真が楽しい。音楽をやっている時もきっと楽しい気持ちは間違いなくあったのだろう。それでも、他人の前で演奏することや、他人からの評価や称賛は求めていなかった。周囲の仲間たちとの齟齬が生まれたのもそこが原因だった。

 *  *  *  *  * 

期待される。それはきっと喜ばしいことで、誰もがそのスポットライトの光に当たれる訳ではない。でも、僕は期待に応えることは出来なかった。能力がない訳ではない。自分の存在を痛いほどに感じさせられる光の中に居たくなかった。

「音楽やってください!」とか言われる度に僕は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、「期待せずに待っていてください」なんて答えるのだろう。贅沢な悩みもきっと理解されることはない。きっと、きっと。

音楽をやるのか、やらないのか、という極端な白黒思考が自分だけじゃなく、その時に巻き込んでしまう仲間のことまで考えてしまう。もう自分のせいで周りが傷付いてしまうのを見たくない。それでも、誰かと一緒に音楽を鳴らしたい。

メンバー募集は数年前から少しずつ始めていて、サポート依頼のメールを方々に送ってみるも、無視がデフォルト。スルースキルって大事だもんな。僕みたいな人間を切り捨てて、今日も立派な音楽とやらをどうか鳴らしてくれよ。そこに愛はあるんか?しらんけど。誰か聴いてるんか?しらんけど。

 *  *  *  *  * 

10年来の友人にAくんというちょっと変わった子が居た。そいつに「niw(その時は本名)はなんだかんだでずっと音楽続けてるよな」と言ってくれた。彼の不意に出す言葉に僕はいつも救われてたんだ。

彼は高校の時から僕と同じようにずっと修業時間に遅刻していたし、約束の時間に未だに電話出来ないし、いちいち落ち着きがなかったり、自分でも、「ガチガチのADHD」だと言っていた。

心理士による生育歴の聞き取りとCAARSを受けての診断だったらしく、まさか彼の口から「自分が何者か知りたかった」とかいう言葉が出るとは思ってもいなかった。どちらかというとずっとふざけているような人間だったから、そこまで思い悩んでいたことに気付けなかった自分を恥じた。

 *  *  *  *  * 

ただ、気付いている方もいらしゃるかもしれないが、僕は音楽を辞めない。どんなに時間が掛かっても、どんなにお金が掛かっても、どんなに傷付く言葉を投げかけられても。僕は誰かのためじゃなくて、自分のために音楽をしないといけない。とか言って、音楽なしの人生に振り切る可能性もある。

僕を鼓舞しれくれたAくんの言葉を借りるなら、「全身から血出しながら、矛盾と楽しく生きよう」まさしくそれだ。僕たちは毎日が戦時中のような感覚で日常と闘っていて、それに心をすり減らしている。それでも、血塗れになってボロボロの体でとにかく生きようと思う。

生きるために辞めた音楽を今度は死ぬために音楽を始めようと思う。出来ることは限られているし、高望みをしたところで平均以下にしかならない人生だけど、だからこそ届く音楽があることを願って。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集