科学理論を正当化する理科授業
この記事は,理科教育 Advent Calendar 2020の22日目の記事です。
ここでは,理科授業の中で学習者がいかにして特定の理論を「科学理論」として正当化できるのかについて,お話したいと思います。
クーンの「パラダイム」という視点
クーン(1978)によれば,科学者の通常科学研究はパラダイムの整備を目指しています。パラダイムとは,「研究の範例的業績あるいは理論的枠組み」であり,例えばニュートンのプリンキピアや,天体の天動説・地動説などがそれにあたります。
科学者は,パラダイム内部にある論理的脆弱性を是正したり,未だ確証できていない理論から導出される観察事実を確認したり,事実に合わせて理論を修正したり,定数の精度を向上させたりすることによって,パラダイムを精緻化し,より強固にすることで,正当化しようとしています。
ニュートンの時代に物理学者になることは,「プリンキピア」を理解することであったように,科学を学ぶということは,その時代のパラダイムを学ぶことです。そのため,理科授業では学習者がパラダイムの中にある科学理論の一部を理解できることを目指しています。そのとき,科学理論がどのようにして正当化されるのかを学ぶことは重要です。
科学理論を正当化する
クーン(1978)は, 科学者が合意によってパラダイムを正当化していると主張し,正当化できる根拠として理論が「綺麗で,要領よく,簡潔である」としています。具体的には,次の5つに整理されます。
①正確さ(accuracy):予測した結果と実際の結果が一致する
②無矛盾性(consistency):関連する理論同士が調和的である
③視野の広さ(scope):広い範囲を説明できる
④単純性(simplicity):場当たり的な説明がなくわかりやすい
⑤豊穣性(fruitfulness):新しい研究を実り豊かにする
このことは,科学理論の正当性が一つの観察や実験,一つの理論についての考察だけでは決めることができないことを意味しています。科学理論は,理論から予測される結果と実際の結果との一致,関連する理論との関係や幅広い適応範囲,アドホック性の排除といった点が検討されて,正当化されていくのです。
理科授業で扱う科学理論も,このような性格をもつわけですから,上記の視点を考慮して授業を実践していく必要があると,筆者は考えています。
「水蒸気」の学習
小学校第4学年で学ぶ「水蒸気」概念を例に,これまでの視点を踏まえて行った授業実践を紹介します。
「水蒸気」は無色・透明・無味・無臭であり,五感で知覚することのできない学習困難な科学概念の一つです。冷水の入ったコップの表面につく水や開放したコップの水が減少する観察事実は,それだけで「水蒸気」概念を正当化することはできず「コップの中の水が染み出した」,「コップの中の水がなくなった」という学習者の考えを論駁できません。
そこで,先述したクーンのアイデアを積極的に援用し,当該概念や理論がどのように正当化されるのかを学習できる授業実践を行いました。
クーンの「科学理論を正当化する根拠」の中で,「水蒸気」概念および「蒸発」・「凝結」理論を正当化するのに適しているものは,主に③「視野の広さ(scope)」や,「②無矛盾性(consistency)」,「④単純性(simplicity)」であると考えられます。すなわち,「水蒸気」や「蒸発」・「凝結」は身の回りにある様々な現象を一貫して簡単に,矛盾なく説明できるから,その存在に確信をもてるのです。
そこで,授業では次に示す11事例を「水蒸気」,「蒸発」,「凝結」を使って説明できる活動を通して,「水蒸気」概念や「蒸発」・「凝結」理論の有用性を実感できるように指導しました。
身の回りに起きる11事例を「水蒸気」概念および「蒸発」・「凝結」理論で説明できるようになった学習者は,「11この現象は,すべて水蒸気というアイデアで説明できたから,水蒸気はあると思う」や「私は,水蒸気は目には見えないけどあると思います。理由は,水蒸気や凝結や蒸発は,他の考え(水が現れたり消えたりする)より便利だからです」,「(水蒸気を)信じまくり。だって全部説明できるから」など,「水蒸気」概念の意味と使い方を理解し,その存在に確信をもてるようになりました。
「水蒸気」という言葉を使えば,様々な現象を統一的に説明できるという経験を得ることで,学習者は「水蒸気」を説明のための便利な道具であると理解し(プラグマティックな理解),目に見えない概念が正当化されることを学ぶことができました。これは,クーンの①〜⑤の視点が科学理論を正当化する根拠になるという主張と一致しています。
おわりに
クーンの「科学理論を正当化する根拠」を援用した指導は,学習者が特定の理論を科学理論として理解することに効果的でした。
ところで,学習指導要領が掲げる科学の条件としての「実証性」,「再現性」,「客観性」は,本当に科学理論をその他と区別できるのでしょうか。学習者は,「実証性」,「再現性」,「客観性」の条件を検討することで特定の理論を科学的であると判断できるのでしょうか。
筆者は,クーンの視点がそのような疑問に対する新しい代替案になると考えています。
文献
比樂憲一・遠西昭寿(2019)「解釈学的循環を考慮した自然界における水の循環の指導 ―主体的で深い学びを目指して―」『理科教育学研究』,第60巻,第2号,425-432
クーン,T.(中山茂訳)(1978)『科学革命の構造』みすず書房
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