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2024年10月30日 書評『日記の練習』
昔、Webアクロス編集部編『トーキョー•リアルライフ』が好きだった。初めてAmazonで買った本だ。たびたび引っ越しをしてなくなってしまい、絶版になっていたから中古でも買い直した。だから、日記を書籍化したものが好きなのかな、と思っていたものの、その手の本を探してまで読みたいかというと、食指は伸びなかった。
本屋B&Bで『日記の練習』を見かけ、パラパラめくって「ああ、こういうの、リアルライフっぽいな」と思って買った。
しばらく積読して今日読み終えた。読み終えてから、なぜ『トーキョー•リアルライフ』が好きだったのかを考えた。自分なりに考えれば、同世代のことだったからだろう、と仮の結論に至る。
結論といっても、そんなに体系だった分析ではなく、ほぼ印象論になる。『トーキョー•リアルライフ』には、そんなにカネもない時期の普段のこと、若者の仕事のこと、勉強のこと、そういう同世代の何でもないことを垣間見えた。そのスコープから、凄いなあと思ったり、どうもこの人は違う世界にいるなと感じたりして、何かしら自分のアンテナに引っかかるものが多くあったのだろう。
だから、やたら泥酔したり、やたらエモーショナルになり、やたらエンパシーを発したり強制したり、という『日記の練習』の著者の日々を読むと、おのれの昔の回顧(懐古?)になってしまう。アンテナに引っかかっていたあの頃。
私の中には『日記の練習』と『トーキョー•リアルライフ』との違いが何か横たわっていた。同じ日記なのにもかかわらず、何かが聳え立つ。もしかしたら、今の私と『トーキョー•リアルライフ』との間にも溝があるのかもしれない。そのコンフリクトは、単なる時の経過だったりするのかもしれないし、「パーティが終わって、中年が始ま」った自分を否応なく襲いかかった大波小波のライフイベントかもしれない。
『日記の練習』が面白くないということではなく、若いなあ、という感想が先にあったのはなぜだろう、ということを考えたら、こういう筆致になった。