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摂食障がいの克服127【昭和の昔話と親友】

 お疲れ様です。

 普段Windows7という古いデスクトップでノートを書いています。
 YouTubeも、マネーフォワードも、気になったことを調べるのも、またLINEも、このパソコン。スマホはアイフォンSE。このふたつを組み合わせて生活しています。

 両学長は、古いパソコンは、機械に見える文鎮である(それぐらいにしか役立たない)・・・ので、5年以上たったら買い替えたほうがいいと先日仰っていました。新しいパソコンがあるだけで、生活は見違えるほどよくなるそう(例えば副業しようと思った際に、等)。

 私は副業を(というかしばし本業もなかったこの長い月日)する予定もなく、のろのろ動くこのデスクトップと共に過ごしていますが、最近それでもかたまりますね。そんなデスクトップで今朝友達にラインしていたら、既読、既読、既読・・・友達がそれこそ固まった瞬間でした(笑)。

 友達は耳が聞こえづらいけれど、目はいいので(視力0.2?ぐらいを1年かけて自力で2.0にしたそうです。そんな人いるんだ・・・)、普段文章でやり取りすると比較的私は心が楽です。なので、話せなかった反動でラインの文章を打ち込んでしまったんです。
 
 固まったことを察して、電話でもいいよ、って伝えたらライン電話が。30分ほど、昨日の私が帰った後のお話など話していました。(古いデスクトップですので、マイクもカメラもつけておらず、通話はスマホでします)

 ふと話し終わりにスマホをキーボードに落としました。
 すると、ラインの画面が一番下に。(私はラインの通話履歴も断捨離である程度消してしまったのであまり残っていません)

 ラインの一番下のその履歴は、私が絶対に消すことのない、数年前に亡くなった親友との履歴。先日お墓参りに行ったのも、この親友に会いに行きました。履歴を久々にみた。そして、最後に、『退会』通知、またもうアイコンは、存在しない人のものになってる。
 (ご主人がその後消されたんです。親友が亡くなった後、おうちにお邪魔しました。)

 親友と出会ってもう、30年以上もたちます。そのころの姿で夢にでてきて、元気そうに笑ってるから、私いつも『このあとしんどくなっちゃうのに・・』って夢の中で心配するんです。でも、この間も夢の中で、制服きた彼女がちょっとこれ預かっててね、ってスマホ渡してきて。(ちなみに私たちの時代、スマホはおろか、ポケットベルすらまだなかったんです。話したければおうちに掛けるしかないです。待ち合わせは場所と時間をきちんと決めて会います)

 余談ですが、嘘みたいですけど、本当に小さいころは黒電話でした。まるでちびまる子ちゃんの世界です。テレビはリモコンもなくがちゃがちゃチャンネル争いをするんです。(父と笑。いつも負けますけど。というよりうちは父が法律で、私には権利がなかったかな)
 (ちなみにちびまる子ちゃんが初めてテレビ放送された日には、もうテレビの前で正座して待つ勢い)

 エアコンもなかった。扇風機ですね。おふろは昭和そのもののタイル。お庭(なんて立派なものじゃない)で、火を炊くんです。なんて昭和な・・・。その後、親子電話がうちにやってきた。もう夢の世界です。私専用(じゃなかったけど勝手に専用にした)の電話で友達と、親の目を気にせずに話せる!・・・そういえばテレビもその後きました。1階と2階にそれぞれ。その2階の分厚いブラウン管のテレビにビデオデッキまでついて、そのビデオに私は大好きな体操を録画して毎日観る時間が至福の時。
 ボンタシュを後1回みないと眠れないから。って観ていたなあ。
 (昭和の家には各部屋を廊下で分ける概念が少ないので、私が自室として使ったその奥の部屋にテレビの部屋があるんです。プライベートはない時代でした)

 そんな時代の親友なんです。けれどそのあとだいぶブランクがあります。それぞれの道を歩んで、おとなになってから再会。相変わらずきれいな女の子で花があります。私とは正反対。なのに、亡くなったとき、お葬式にいくと、お母様が、『NA(私)ちゃん?・・・いつもきいていたわー仲良しなんだって』とか、お父様も『そっか、あのころの友達なんだね』って話してくださって、もう、今思っても涙が止まらない。
 私が大好きだった親友も、私のこと、好きでいてくれたんだなって

 私なんかと違って、本当にまぶしい存在だったんです。
 人気があった。男女どちらからも。

 その親友のアイコンが、もう存在しない人のものになって、でも今朝キーボードにスマホがあたって表示されて読み返していたんです。

 『NA(私)、大好き』って何度も書いてくれて、あー・・・なんであの時会いに行かなかったんだろう。

 彼女はすっごく素敵な女の子でしたが、その昔ちょっとトゲトゲしていたこともあり、私は知っています。けれど、病気になって、より一層ご家族との時間をいとおしく感じ、それでもこの私の悩み相談にものり、また、さっき読んでいたら、『10年後には笑い話だよ』って書いてあったかな。
 
 夢に祖父母が出てくることだって、またスマホをキーボードにぶつけたらその親友の画面が表示されることだって、きっと何かあるんだと思うんです。

 先日、親友のお墓で熱唱した曲は、『時の旅人』

 ”めぐるめぐる風、めぐる思いにのって、
 なつかしいあの日に、会いに行こう
 
 僕らは時の時の旅人 
 忘れかけていた日々、すべてのものが友達だったころ
 汗をぬぐってあるいた日々、野原でみつけた小さな花、
 幼い日の手のぬくもりが帰ってくる

 優しい雨にうたれ、緑がよみがえるように、涙のあとにはいつも君が、そばにいて、生きる喜び、教えてくれたー教えてくれたー
 今、君と君と一緒に歌おう、今、今ー”

 ・・・という歌です。
 私はアルトでした。本当はたぶんソプラノかなあ。今はわりとスナックでも歌えます(点数は90点ぐらいでます。笑)
 当時は内気過ぎて歌えなかったので・・・。

 昨日朝歩いていると、たんぽぽが歌いたくなりました。
 ”雪の下のふるさとの夜、冷たい風と土の中で、まだ来ぬ春を夢に見ながら、野原で咲いた花だから”

 だいぶまた話がそれましたが、Life is too short
 親友の人生は本当に短かった。けれど今も大好きです。
 私も辛いけど、でも、生きてるからこうやってノートも書いたり、苦しいときにノート書いたり(・・・ってノートに依存しすぎ・・・)、繋がれた方に感謝できるんだろうな、って思ったんです。

 余談ですけれど、私は絵を描くことが好きです。
 アイコンは、ロンドンタワーブリッジにいったときの写真をみつつ、自分とタワーブリッジを描いています。(3時間ぐらい)
 たまに体操をしている自分を描いたり、ロンドンで一緒に過ごした大好きな知人とのお食事の絵を描いたり、
 親友が亡くなった時には、親友がそのご家族と一緒にいる、そんな絵を描いたりしました。上手じゃないし、私もメンタル整ってないから単なる自己満足だし、もっともっともっと、人としてちゃんとしてからってしたらよかったと思うのですが、でも、こんな私でも、その当時に親友が大好きって言ってくれたんだなっておもって。

 昭和のお話及び、親友のお話でした。
 
 

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