摂食障がいの克服282【復習・誰にも響かない復讐】
こんばんは。
私の文章を読んでくださり、好きをくださる方がいるということに感謝ばかりです。
現実逃避して(眠剤飲んで)眠ってしまっていました。
習慣とは恐ろしく、先日まで眠剤が切れていたので1ヶ月ぐらいなしで眠っていたのですが(従って不眠か過眠)、土曜日に手に入れるや否や毎日頼っています。土曜日に1錠飲んだ時、効きすぎて合計17時間眠ったものですが、今は数時間でぱっちりと目覚め(よくない慣れ…)仕事に影響はなさそうです。
あまりにしんどくて、(もう眠剤飲む)と日中に言ったら、それを心配して電話までかけてくれたお友達がいたのです(ノートに登場したことのない方ですが…いえ、1度だけ書いた、男友達)。無関心の不合格まで書いたけど、ありがたいことだなあと思いました。
一旦お仕事が始まればこういう無責任なことはしないので、今日だけです。
起きてからYouTubeをつけると、オンタイムにちょうどまんまるこまちさんが新たな動画をアップされていました。初のオフ会だそうです。こまちさんは28歳なのでそれぐらいのご年齢の方の集まりになるのでしょう。
ちょっと精神的に弱りすぎて、こまちさんが視聴者さんと乾杯してるのみて涙ぐんでしまった。いい時間を過ごされて素敵なことです。
【復習】
今朝のリスニングパート2とパート3、聞き取れました。100分の筆記試験の後なので脳がくたくたですが、パート2は最後まで聞くこと、だと思いました。知らない単語が恐らくは1級なので出てくるけれど。英検を勉強していると、各級、『この単語って何』となる瞬間はあるのですが、知らない単語はさらっと流すことだと思っています。全部が全部理解できなくても文脈を見失わなければ、読解・リスニングともに、選択肢も4択より少なる気がします。
パート3はやはり準1と違うと思ったのは、順番に情報処理ができないということ。音源の情報が全部の選択肢をカバーしているので、いつどの情報が流れているのか。それを拾えると回答はできる。
この135分にどれだけ課される試験でしょう。語彙、長文(空所補充)、長文(内容一致)、要約、論述、リスニング(パート1~4)。復習を終えたので、今日は恐らくまんまるこまちさんで許されるでしょう、きっと。
【復讐】
ずっと摂食障がいについて書いているのですが、非嘔吐過食であれ、過食嘔吐であれと言いたいけれど、恐らくは非嘔吐過食じゃないのかな。過食嘔吐ってリセットできるので日常に組み込むんですよね。私はそうだった。次の日の自分は自分でいられるというメリットがある。
しかしながら非嘔吐過食では、太るんです。
これが、体の過食なる、もう自分では止められない範疇になると。つまり私の39キロぐらいから49キロぐらいですが、自分の意志なんて関係なくて次々と食べてしまう。これが究極に我慢してから起こるのでもう心身ともにボロボロになります。
過食って結構その瞬間に耐えきれない心理状況により、起こるんです。
だから私自身は、今この瞬間、繋がっている人たちというか、そういう関係が大事だと思っています。摂食障がいの回復において。
そして、自分でもわからないけれど、傷ついたときに、『じゃあ、過食してやる』みたいな復讐心が生まれるんです。
これって何なんだろう。結果自分が傷つくのに。体いっぱいで表現するのでしょうか、これぐらい辛いんだよ、って。それでどんどん太って。結果誰の心に何も響かないのに。
拒食症も過食症も自分を、自分で大切と思えるプロセスで(最近そう思えない出来事しかなくて、自分を大切と暫定的に思えないけれども)、復讐心を自らの命さらしてするという行動ではないんですよね。
それこそ過食嘔吐とは、きっと認めてほしかった気持ちの表れだろうし、拒食症は、気に留めてほしかった表れだろうし、リストカットもそうだし、きっと体を使って、今までずっと傷ついていたとか、今もこれだけ苦しいと精一杯表現する行動なんだと思います。
つまり、今過食とか摂食障がいに苦しむ方は、きっと、自分自身もそうだけど理解されたい立場の方に理解されていないという現状があると思うんです。けれど、自分が自虐行為に走っても、だれも、心は傷まない。原因を与える立場の人って、強いので。無視するとか、誰かを見捨てる強さがあるので。だから何をしたって相手に何も響かないので、無駄な復讐だと思うんです。
だから、復讐心でする、過食とか自虐行為が(依存症すべてにおいて)少しでもこの世から消えたらいいなって思います。
今もものすごい胸も体中が苦しいけれど。
【過ぎ去った過去】
1年間仲良かった友達が、朝起きると、
『たくさん食べる?』って聞くから、私『摂食障がい克服したからね』って勝手に変換していた。だから、『うん』って言って。
本気でたくさん買ってきた。
私はもう長い間年単位で食べられないので、初めて、過食症を克服できたと感じた朝(体重43キロ)、トーストとミニトマトと、オレンジを食べた。トーストは、よく売っているサイズではなくて、4分の1ぐらいのサイズのレーズントーストだった。
嬉しかった。初めてパンってものが食べられたな、自分。もう治った。
その後の数年に渡る恐ろしい過食。
そんな日々を経て、パンとかトーストが食べられる。果歩と同じです。
『ホリーガーデン』の果歩がなぜ淡々と朝食にトーストが食べられたのか。それまでがすごい進歩だったからに違いない。カフェオレボールに入れる紅茶だって、水分が怖い摂食障がいだったからかもしれない。すごい進歩だ。
友達が私がそうやってパンを食べている(めちゃくちゃどきどきしながら手にするパンっていう物体)、それを勝手に、回復を喜んでもらっているって思っていた。まさか、ただのよく食べる人を相手にされているなんて思っていなかった(小食なほうではあるけれど)。
友達と一緒にいたとき一番発したことばが、『もっと私にも興味もってください』だったな。
人は聞いてほしい生き物だし。まして、摂食障がいになると愛に飢えているし。けれども、その行為が復讐になる日には、何も自分にとってメリットもない。自分を自分で癒し続ける行為で、それが、例え時に過食という行為でも、そういうことなのかもしれません。今日は思い切り食べそう。明日はまた太ったとか言わんといて、そう言ってくる身内も今はいないし。(43キロで初めて菓子パンを食べて報告したらそう言われた暗い過去)
そういう思い切り食べる日は、世間ではチートディと言われて、ダイエットしていて、思い切り食べて、体重がどんって増えて、また戻っていくっていう。言い訳ばかりして、今日は食べたいのだなっていう心ですね。
長くなってしまいました。読んでくださりありがとうございます。
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