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摂食障がいの克服430【英語の勉強記録:社会復帰と英検1級への挑戦74】
こんばんは。お正月3日目です。
お休みは、後2日しかありません…。休みがないことが悲しいのではなく、英検1級の勉強をじっくり時間を掛けてできる日が限られるので不安です。
お仕事の前に準備が必要な案件が差し迫ってきて『impending』と感じつつ後もう少しで長文読解もライティングも見つかりそうな気がして、追求『pursue』したい思いです。
(→ この後仕事の準備に入ると途端に時間が過ぎ去りました。)
【大問5:英作文】
昨日の遺伝子工学技術のボディパラグラフを再度書いてみました。
所要時間:25分
文字数:221
内容:6/8
構成:7/8
語彙:6/8
文法:5/8
24/32
文と文の繋がりは全て明確にして構成面に反映。結論の段落の工夫の欠如が原点の要因とのことです。導入部分同様に結論部分の表現の強化は、ボディパラグラフの根拠の点数(=内容の6点から7点よりは素点的には努力次第で上がるように思います。)
導入部分はある程度どのようなトピックでも書けるようにもなってきたものの、これをボディパラグラフで膨らませた後に1行で凝縮する!もはや芸術の域…。
この数日でコロケーションを覚えたことにより所要時間が若干少なくなりました。表現したい際に動詞で悩むことが少し少なくなったことによります。
準1級~1級で使う表現:
*It is of utmost importance that…
← It is importantよりも引き締まる。
(『It is of great importance』の進化版)
*play a dominant role in~ing
←play a pivotal role in, play a crucial role inにプラスして今回使ってみました。
(『play an important role in』の進化版)
*今後、『play a vital role in the ~ing』等の様に特定の範囲の行動や動作に対してvital(上記形容詞)であると書く練習を各分野でしてみたいと思います。
*essential to the success
*be central to~
*serves as a clear indicator of ~
*今日の英作文を録音して復習
この数日で感じた違和感(英語の学習で語彙も長文も何か違和感を感じるとある程度の時間がある際に紐解くようにしています。これまで語彙問題、長文空所補充問題、要約問題等。…全てが解決はしないけれど自分の中では少しだけ理解できるようにもなりました。もやもやしたまた進むと勉強自体が辛い)が1級の英作文では『結論が単なる言い換えではない』…書き方があることに気づきました。準1級では導入部分を結論部分でパラフレーズ・つまり言い換えて表現しますが、1級では3つの根拠を並列させるのが導入部、単なる並列ではなく、更なる洗練させた言い回しで導入部より更にアピールさせるというか…要研究です。模範解答やAIや、また1級ホールダーまでは程遠くても自分なりに勉強しようと思いました。
【本業の準備】
約9時間(まだ、終わりません…)
英検の勉強が本番140分のための500時間であるのと同じように、仕事の事前準備が何時間も必要な実際のプレゼンは短く、どのようなお仕事においても言えることでありながら、ふと思うことは私は時給で働いているということです。納得して働いてる部分が多々ありつつ、有限である時間で英検1級の対策をしたいからということがこの疑問へのメインな理由であり、趣味の時間がほしい、外に出かけたい等という願望は全くありません。
1年間で変わったのは、自己完結している生活に疑問がないことです。周りに認識されていないぐらい小さな暮らしでも焦りがなく、自分の生活は仕事と、息子への責任と、英語の勉強と、必要な家事のみでなりたっている。
ノートという大きな居場所がありました。
この場所があるからこうも落ち着いて仕事と勉強だけで成り立つことに不安もなく進んでもいけるので感謝の思いで一杯です。
ひとり、毎朝毎晩連絡をくれるお友達もいました。
摂食障害の根底には愛情不足というか食に限らず飢餓感があり、何かで埋めようとするため、他者との関係に響いたり、他者のことばや目に見える行動がほしかったりするわけですが、仕事と英語とノートで完結する毎日に大きな疑問がありません。資格取得も目標ですが、英語の世界で学ぶことの多さに改めて魅力を感じ、英語そのものではなく、英語を通して見える世界の大きさ・広さ・深さすべてに魅力を感じます。
*【摂食障害完】ではなく、続きます。過去や後遺症や揺り戻しやその都度の思いはそれこそ数え切れないほどに抱えてきて、出ても来ると思います。何十年以上も抱えた症状の根底が突然なくなりはしないと思います。ただ大きな部分においては、外に出なくても誰と直接話さなくても、自己完結できるということは、自分の中では前進だとも思います。
『先日、摂食障害に特化するなら英検の勉強をやめたほうがいい』気持ちや、『受験をやめようかと思う』と書いたと思い出したのですが、これもまた資格勉強の辛さなのでジグザグであり、然しながら、摂食障害の克服が『螺旋階段のように』と表現されるように、ぐるぐる回りながら少しずつは、まとまった時間に勉強のもやもやに立ち向かうことで少しは上を向いているのかもしれません。(若しくは単に冬休み中で安定しているという側面が響いているのかもしれません)そして、誰かのためではなく、自分のためにと思えるからかもしれないですね。
摂食障害の症状が出ている時に、「誰でもいい(無論自分の大切な存在であれば尚いい)。気づいてほしい。自分はここにいる」そんな気持ちだと思います。なぜか苦しい気持ちが、自分を苦しめる行動に移すのか、精神疾患なので解明も難しいと思います。
どうにもならないコントロール不可能な環境に絶望していて、唯一コントロールできる体重や体型にしがみつく中で唯一のアイデンティティになり、そのためなら絶食(=拒食)してもかまわない、そうコントロールしていたら、体も頭も心も悲鳴を上げて、過食に移行する。そんな経験を段階を経て乗り越えても来た際に、孤独感はいつも付きまとっていたけれど、それが最近ないという英語の勉強の魅力でした。つまり、他者は関係なく、いつでも勉強したらよかったという過去への悔恨も含みそう思います。
読んでくださり、ありがとうございます。