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感情的な人たち

はじめに

自民党総裁選で石破さんが新総裁となりました。結果としては、思っていなかった結果ではないので残念でした。ただ、今後どうなるかは気になります。今回の総裁選後に気になるコメントが散見されました。それが石破さんに投票した議員を開示しろというものでした。確かに残念な結果でしたが、これは暴論としか言えず、感情的とはいえ、こういったコメントは非常にまずいものと思います。今回はこういったコメントに賛同できない理由を書いていきたいと思います。

民主主義が大前提

民主主義の選挙では、普通選挙、平等選挙、秘密選挙、直接選挙、自由選挙の5つの原則があります。総理大臣以外は直接選挙ではありませんが、国会議員を選ぶという意味では直接選挙になっていると言えます。総裁選では国会議員票と党員党友票の重さは違います。これは選挙で選ばれているかどうかで票の重さの違いがあると考えており、この差は合理的な範囲だと言えます。そして、今回の総裁選もこの原則は守られるべきですし、誰が総裁になろうとこの原則を壊すようなことをすべきではありません。加藤さんの陣営で推薦人20人に対して、国会議員票が16票という衝撃の結果がありましたが、それでも投票者を開示するようなことをしてはならないです。
ほとんどの政党では党のトップを決めるときに選挙を行います。共産党はトップからの指名で決まりますが、ほとんどの政党では民主主義を採用しています。民主主義でトップを決めるのであれば、首尾一貫して5つの原則を守り抜く必要があります。誰が誰に投票したかをわかるような選挙に公平性などあるはずがありません。確かに、誰が誰に投票したか明らかになっている場合もありますが、それは本人が公言しているからであって、投票用紙に投票者の名前を書き、それを公表したり、候補者で投票箱を分けたりしてわかったわけではありません。むしろ、そんなことがあっていいはずもありません。名前を書くのは候補者の名前だけで十分です。
冒頭のようなコメントをしている人がなぜ、あのようなことを言っているのかは単純で、投票した人を次の選挙で落としたいからというのです。確かに不純な動機で石破さんにしたのが多かった総裁選でした。しかし、だからと言って投票者の名前を開示するのはおかしいです。保守派はこういう過激な人が多いのかと思われ、嫌煙されてしまうのです。彼らがしたいのは気に食わない議員への脅迫であり、高市さんを次の総裁にするためにできることをするのではありません。これがそういった人たちの本質でおそらく日常生活でも同様のことをしていることでしょう。民主主義のルールに則って行われている選挙である以上、民主主義のルールに従うのが当然です。それを崩すようなことをすべきではありません。

同レベルになる

左翼系のコメントで自分たちの予想と違ったり、納得しない結果であったりすると、不正選挙だと言ったり、投票者をあぶりだせと言ったりしています。冒頭のようなコメントをしている人たちが嫌っているはずの人たちと同じレベルになってしまっていることに気づくべきなのです。自分の思い通りにならなかったから、民主主義をぶち壊すようなことをするのか?それでは、自らの求めることを実現するために暴力も厭わないような人たちと同じです。同族嫌悪が行き過ぎたあまり、融合されてしまったのではないと疑うほどです。
民主主義の原則を壊してまで自分の気持ちを晴らしたいと考えているようであれば、非常に危険です。投票者の開示は独裁国家で行われていることで、対立候補以外に投票すれば、罰則が与えられたり、最悪の場合、処刑されたりします。彼らの言説がそこまで恐ろしい結果になると考えて発言しているとは思えませんが、彼らの言説は最悪の場合、このような末路が待っているのです。投票者の開示それ自体が民主主義を壊す一打になるのです。自分の推している候補者が負けたからと言ってそのようなことを軽々と発するべきではないと考えます。
河野さんがネトウヨと言ったように、そういった括りで見られてしまっているのが現状で、それを変えるのは保守派の役割だと思います。個人的に政治家があのような発言をすべきではないと思っています。保守派=右翼=過激派というレッテルが貼られてしまうのです。自分の結果と違ったからといって、民主主義を壊すようなことをいう人は保守派でもなんでもありません。以前に取り上げたいわゆる思慮浅薄なネトウヨです。保守派と思うのは自由ですが、そういった人たちの言動はこっちまで道ずれにしないでほしいです。保守派こそ規律を正しく守り、民主主義を守るべきなのです。



最後に

民主主義に則った選挙で民主主義の原則を壊すようなことはしてはいけませんし、主義主張が違えど、その原則は守るべきです。感情論だけで物事を進めてまともな方向に進むことはできません。感情論だけで政治を見るべきではないです。感情論の先にあるのは、まだ別の感情論であり、何かが解決することも自分の気持ちが晴れることもなく、ただ感情論の中に閉じ込められてしまうだけです。思慮浅薄な人にならないように、いたずらに過激にならないことが一番だと思います。過激なことは受けると思っているかもしれませんが、あんなものはほとんどが嘲笑の対象です。受けているのではなく、嗤われているのです。過激な発言に論理性などはなく、感情的なものが多く、中身などありません。過激なことを言うのは自由ですが、その後、自分がどう思われるかや今後を考えたほうが身のためでしょう。こういった発言を見るたびに、思想が近くとも関わりたくないなと思ってしまいます。感情を表に出してもいいですが、その後、周りがどう思おうともそれも自由ですからね。

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