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景観について考える

はじめに

みなさんは街の景観を気にされたことはありますか?自分の住んでいる街が綺麗かどうかを気にすることがあったとしても、街並みのような景観について深く考えることはあまりないと思います。僕自身、景観について意識するようになったのはヨーロッパに行ってからで、本格的に意識をしたのは卒論を書くときでした。景観はあまりにも街に溶け込んでいて単なる日常の延長であることが多いです。気づかないうちに景観が壊されてしまうこともあります。今回は景観について書いていきます。

街並みを守ろう

景観は街の景色で、その景色がどういうものかでその街を表すことができます。奈良や京都のように古都の雰囲気を残した街並み、はたまた東京や大阪の高層ビル群、地方都市の山々などたくさんあります。つまり、景観は街の景色であると同時にその街を特徴づける要素でもあります。同じ景観が2つとして存在することはなく、唯一無二であり、さらに現代と過去でも景観は異なります。このことから、景観は生き物と捉えることができます。
しかし、景観は生き物であると同時にほとんどが人間によって作られたものです。山や川のような自然のものと人間が作った建物などと融合させた景観は作られます。景観のメインは人間が作った建物です。綺麗な街並みで有名なヨーロッパもほとんどが建物によって作り出される景観です。このことから景観は生き物であると同時に人工物です。景観は我々が意図して作り出すことができるものです。街の景観を見れば、ある程度町の方向性や現在地が分かります。歴史を残そうとしているのか、それとも発展を追い求めているのかが一目で分かります。
景観は時代とともに変わっていくものですが、時の流れの中で残さないといけないものがあります。そういったものと現代社会の追い求める理想がぶつかる時があり、歴史的景観は負けるしまうがあります。日本でもヨーロッパなどを参考にして景観法という景観全体を保護する法律ができます。これまでは個別の地域や特定のエリアだけを対象とした法律でしたが、景観法はすべての景観を対象としました。景観保護を目的としており、違反した場合の罰則も設けられています。しかし、この法律も完璧ではなく、罰則も非常に緩いです。実効性に懸念のある法律です。現在の景観保護制度は形骸化していることが多く、真面目に守っている人が割を食っている状態です。
景観を保護したくとも、修繕費用は所有者負担であるため、所有者の懐事情で景観の行く末が左右されてしまいます。また、景観保護規制がヨーロッパよりも弱いため、取り締まるにも限度があります。こういった現状から日本の景観保護は中途半端な状態に終わっています。日本で一番景観保護に厳しいと言われる京都市でさえ、ヨーロッパの足元にも及びません。条例で、景観法より罰則を厳しくできないことが原因と考えられます。日本は戦後の経済成長とともに景観保護の考え、二の次にしてここ最近、その危機意識が芽生えたと言えます。

景観は重要な観光資源

綺麗な景観は観光資源になります。ヨーロッパの大都市から遠く離れた小さな町が観光スポットであることは珍しくありません。ドイツのロマンティック街道にあるローテンブルク・オプ・デア・タウバー(以下、「ローテンブルク」)がその典型と言えるでしょう。ドイツのバイエルン州に位置し、州都のミュンヘンから車で2-3時間かかり、電車で行きづらい場所です。しかし、アクセスが非常に悪い町がなぜここまで人気なのかというと、それは中世の街並みを彷彿とさせる街並みだからです。城壁国家であったローテンブルクは城壁をくぐり抜けるとタイムスリップしたかのような気持ちになります。城壁の外と中では全く景色が異なります。この景色を見ようと全世界から観光客が訪れます。
ローテンブルクは観光地であると同時に町であり、住民もいます。住民はのびのび生活していますが、制限が多いです。家などの修繕は事前に申請し、許可をもらわない限り、修繕を行ってはいけません。勝手に修繕をした場合、多額の罰金や訴訟を起こされて多額の賠償金を支払うことになります。しかし、修繕費用などはすべて公費で賄われ、個人の負担はほとんどありません。規制は非常に厳しいけれども、その分の補償も手厚いのがヨーロッパの特徴です。こういった取り組みを通して、ヨーロッパの街並みは守られ、観光資源になっているのです。個々人の意識もあるでしょうが、制度が充実していることが一番大きな要因と考えられます。
日本でも浅草や京都などは日本人だけでなく、外国人に人気です。その1つに綺麗な街並みや歴史的景観があるからという理由があります。高層ビル群は目を光るものがありますが、観光資源というよりビジネスの中心になります。しかし、綺麗な街並みや歴史的景観はそこにしかありません。京都の街並みに似ているところはあっても、京都と似て非なるものです。街並みを綺麗にしたり、歴史的景観を残したりすることは大きな観光資源にするチャンスなのです。日本の高層ビル群を見に、外国から訪れる人は少ないでしょうが、綺麗な街並みや歴史的景観を見に訪れる人は多いです。国内旅行も同様で綺麗な景色や景観があるところに旅行をすることが多いはずです。こういったことから、景観がいかに重要な観光資源であるかがよくわかるはずです。
歴史的景観と新しい建築物は必ずしも対立するものではありません。イタリアのローマのように古代遺跡と近代建築物が隣り合う光景も非常にうまく調和しています。コロッセオの隣にあるフォロ・ロマーノの横にビットーリオ・エマヌエーレ2世広場があり、一瞬で時代を行き来できる感覚になります。こういった没入できる景観もあり、非常に面白いです。ヨーロッパでは景観を観光資源と考えていることがよくわかります。
ドイツも日本も焼け野原から復興しましたが、ドイツでは昔の景観を復活させ、日本では耐火性を重視した建物を建てるようになりました。結果として、ドイツは景観を観光資源にすることができましたが、日本はそれができませんでした。長い歴史を持っている日本として、こういった選択は大きな過ちであったと考えます。こういったこともあり、住民運動レベルで景観保護を求める条例が制定され、景観法が制定されるまでに至りました。景観法も完璧な法律でないため、改正が必要な法律です。改正の過程で、所有者や真面目に守っている人たちが割を食うような法律にしないでいただきたいです。景観は重要な観光資源です。観光立国を目指すのであれば、景観保護に力を入れるべきです。エンターテインメントはブームに左右されますが、歴史的文化などはブームに左右されず手堅いものです。

最後に

今回の内容は自分の書いた卒論をアレンジしたものです。本当の卒論は非常に長く、非常に堅苦しい内容になっています。街の景観をあまり意識することはないですが、実はそれが大きな観光資源になることがわかったと思います。日本では水が当たり前のように出て飲めますが、断水時に水はもちろん出ませんし、飲める量も限られ、その大切さを痛感するはずです。景観は水や空気に近いもので、自分の住んでいる街の景観を意識することは水や空気の大切さを実感することとよく似ています。景観保護には不便さが伴い、便利さを求める現代の価値観と相反します。しかし、景観が観光資源になると思えば、多少の不便さを越える恩恵を受けることができるかもしれません。手厚い補償、雇用の拡大といったことが起こり得ます。景観保護は歴史を守るだけでなく、経済の活性化に繋がります。一人一人の意識が変わることで、社会が変わり、守られるものがあります。未来の都市開発はタマワン、高層ビル群の建設ではなく、景観保護かもしれません。

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