特別扱いされてる。と長所を伸ばしてくれてる。は受け手の捉え方次第だなと痛感した話。
こちらのnoterさん、孔さんの記事を読んで
あーー。そういえば。と思い出した。
私 人生 うろちょろして現在、自宅でご近所の子どもたちを対象に英語教室を運営しております。
どうやって楽しませようか、興味を持ってもらおうか。と
日々、子どもたちと向き合っております。
その中で低年齢のクラスはおトイレ問題、母子分離不安などなどの理由で
親子クラスになっていますが
その中でやっぱり発生する
『先生、あの子だけ特別扱いしてない!?』
の親御さんの気持ち。
。。。
ああ。今思い返すだけでもなんだか心が苦しくなってしまいますが。
先生1人 に 生徒さん数名。
この構図はどうしてもどうしても 孔さんの記事にもあったように
個性は人によって全く異なるため、全員に合った教育プログラムなんてものは存在せず、あくまで最大公約数を取ったものが標準的な教育プログラムになります。
に なってしまうわけです。
その中で
この子はここが得意だから、このタスクをちょっと増やしてみようか。
この子はこういうの好きだから、もっと時間をとってみようか。
などなど。
常に子どもたちの反応や、取り組み方を観察して
平均的に組まれているプログラムをその子の
得意分野、興味分野 にできる限りカスタムして。
その一つの 興味、きっかけ から自身が英語にフォーカスできるように!広がっていけるように!(りきみ!)
と、
1レッスン1レッスン必死こいて、やっていたんですけどね。。。 遠い目。
親の望む長所と実際の子どもの長所が異なっていたときに、親はどうするか。
実際、わたし自身も絶賛子育て中の身なので
ものすごく気持ちがわかります。
ここをちゃんとできて欲しいのにできてない!
あの子はできるのになんでうちの子はできないの!?
あるあるです。あるあるあるです。
わたしにも経験あります。
親の望む長所と実際の我が子の長所のギャップ。
あー。そうかー。そっちタイプかー。
みたいな。
そういう時、ちょっと諦める気持ちも必要かなと思うんですよね。
親御さんが子どもに一生懸命になる気持ちは当たり前。というかむしろ素晴らしい!
それも愛情の一種ですもの!
でも、自分の子どもだけど違う一人の人間である。というちょっとした距離感が大事なのかな。と思ったりします。
特に小さい子は気持ちに正直、状況を見て自分の行動に調節をかけるなんていう
社会性はほぼほぼ皆無であるからして。
とってもわかりやすく、
興味あるもの 好きなもの 得意なもの。
が見えるわけです。
で 以下この流れ。
好きで得意であって欲しかった部分が他の子に見えてうちの子には見えない!
↓
しかも先生その子にそっちばっかりやらせてうちの子には全然やらせてくれないじゃない!?
↓
先生、その子だけ特別扱いしてる!うちの子は特別扱いしてくれてない!
↓
この先生信用できない!ムキー!!!!💢
。。。泣きたい(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
でも泣いている場合じゃありません。
こういうときこそ、教える側と子の成長を見守る保護者側の
意見の擦り合わせが大事。
あなたのお子さん、ここ素晴らしいから、そこからどんどんくすぐっていきましょう!
の提案に、
やっぱり完全
NO!!!! を出す親御さん。。。
。。。泣きたい(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
たとえ今単語がすらすら出てこなくっても
アルファベットが覚えられなくても
学びは全てつながっているから
興味があること得意なことをきっかけに
どかーーーん!!
っと単語やアルファベットに興味が湧いて来たりするのですよ。。。
わたし自身も英語学習者です。
我が子に英語を教えているときにも常に自分に言い聞かせていること。
英語は一朝一夕でできるようになるものじゃない。
お子さんに英語、できるようになって欲しかったら、どうぞ忍耐も一緒に教室にお持ちくださいませ。
長所+短所=平均。
教育は本来は1人1人の才能を伸ばすためにあるのですが、「特別扱いは不公平」ということばかりが優先されてしまうと、学ぶ側は自分の個性を抑えて”標準レベル”に合わせることが求められるため、本来持っていたはずの才能が陽の目を見ないことになってしまいます。
孔さんの言葉をお借りして。
子どもたちがクラスの中で、
自分のこういうところを先生が特別扱いしてくれている!そう実感することってとても重要なことだと思うんです。
また、
他の子が特別扱いされているところを見て
へー。あの子はそういうの得意なんだね。
と他者を認めるという気持ちも生まれたり。
もう『特別扱い』 に嫌悪感を抱く時代は終わったんじゃないかなーっと思います。
子どもたちや英語学習に限ったことじゃなく、
あなたのそういうところ、本当に特別だよね!!
がもっと日本に必要だと思う。 今日このごろです。