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「僕がイラストレーターになるまでの長く曲がりくねった道」 その③

この記事は昨日の続きです。

「その3.更なる地獄へ落ちた30代」

職業アイデンティティー

さて、僕はこうして「少年ビックコミック」新人賞を頂いた。
ところが、賞が発表になり、さぁこれで本格的に漫画家を目指そう・・という時になって・・・思いもかけない自分の欠陥に僕は気づいた。

それは、プロの漫画家になるためには余りにも大きな欠陥だった。

例えば、漫画家志望の若者のポケットには、大方こんな夢が詰まっている。
人によって少しずつ違うにせよ・・・

もちろんお金を稼ぐ、人によってはジャンジャン稼ぐ
締め切りに追われながらも毎日面白い作品を描く、描き続ける
売れっ子になるぞ! アシスタントに囲まれて忙しい日々を過ごすんだ!
外車が買えるくらいになってみせる!

地味でも良い、自分のペースを守って作品を描いて暮らしていきたい・・・

とまぁ色々だが、大抵はこんな夢が大なり小なりポケットに詰まっている。勿論、誰もがその夢を実現させる訳ではない。例え相当の実力があっても10年20年と第一線で活躍するのは至難の業だ。だが、その夢が叶う叶わないは問題ではない。そういうビジョンを持っていること自体が大切で、その夢、ビジョンが原動力なのだと僕は思う。

<「僕は誰かを言えるのは誰?」イラスト © 2022 もりおゆう >


どう言っていいのかよく分からないのだが、簡単に言えば、漫画は僕にとって趣味であり職業ではなかったのだ

漫画家を目指す人たちのポケットに大抵はごく普通に入っているものが、僕のポケットには入っていなかったのだ。僕には漫画家になった自分の姿を何故か全く想像できず、漫画=収入=生活、という図式、漫画家に対する謂わば職業的なアイデンティティを全く持っていなかったのだ。そんな簡単な事にこの時初めて気づいたのだった。

もう一つ、これは技術的な問題だが、、、
漫画というのは絵を描く前にアイデアを考えてそれを絵コンテ(コマ割り)にする作業があるのだけれど、この二つの作業、特に絵コンテが僕は早くはなかった(これは、一般の方にはちょっとお分かりになりづらいかも知れないが、同じアイデアでも絵コンテの取り方で結果が随分と変わってくるのです)。この事が、職業として取り組む場合には非常に大きな問題になる。
つまりプロは早くやる、アマチュアはゆっくりやる(笑)。

<イラスト © 2022 もりおゆう >

漫画家になる3つの条件

これは私見だが、僕はプロで一流の漫画家になるには3つの条件を満たしていることが必要だと思う。

1つ目は、かっこいい絵やカワイイ絵が描ける事。絵が上手い必要は全くないのだが、読者が好きになってくれる魅力的な絵が描ける事が絶対条件だ。
2つ目は、面白いアイデアを考える能力(原作付きを除く)とそれを絵コンテに表す才能。
3つ目は、どんなに忙しくとも速いスピードでどんどん仕事をこなしていく能力、体力、熱情のようなものだ。

自画自賛と笑われるかも知れないが、僕は恐らく1と2の才能については及第点を頂けると思う。だが、僕には決定的なまでに3つ目が欠けていた。


ただ何かが好きだ、という事と、それを職業にすることは別の事。

信じられないほどの脳天気さなのだけれど、この単純な事、自分の大きな欠陥にいざスタートしようという段になって、初めて僕は気づいた。多分それまではスタートラインが霧の彼方ほどに遠くあったので、それは僕にとって現実的な問題ではなかったのだ。十代の終わりに描いた数本の漫画が出版社に売れ、少しばかり依頼も来るようになった頃に何故か自分に現実感が感じられなかったのはそのせいだったのだ・・・

勿論、受賞後僕は担当の編集者に言われて次回作の絵コンテ描こうと、何とか机に向かってはみた。それは、当たり前の事だ。何しろ出版社は、自社で活躍してくれる新人を育成するために新人賞を設けている。だから、賞を取っておいて「ハイやめます」とは流石(さすが)に言えなかった。

だが、絵コンテを描いていても応募作に取り組んでいた時のような高揚感、幸福はついに僕には訪れなかった。

僕が探していたのは職業であり、一生をかけてやりたい仕事、社会人としてやっていける仕事だった。

この後、僕は編集部にも連絡を取らず、二度と少年漫画を描くことはなかった。ただ、一年程経った頃に、この時の編集者からお電話を頂いたのを覚えている。

「もりおさんのような青春ラブコメディが少年誌でもウケる時代になって来たので、もう一度やってみませんか?」と。

とても嬉しいお電話だった。
お声をかけてくださった事に感謝し、自分はアマチュアであり、プロで成功する天分ではないことを丁寧に説明してようやくお断りした。僕は上京して十数年間東京の片隅に沈んでいた。だから、向こうから声をかけてくれる人がいることの大切さ、有り難さを身にしみて知ってはいたが・・・


う〜ん、いけない、暗くなってしまった(笑)!

それに、実際問題そんな悠長なことを言っている場合ではなかった。

平たく言えば、愚かにも僕はまた振り出しに戻ってしまったのだ・・・


僕は、又思った。

自分は一体何をするのだろう・・・何になるのだろう?
しかし、どう思おうと全て自分がやってきた事が招いた自分の現実だった。

年も30歳をとうに過ぎているというのに・・

イラストも駄目、漫画も駄目・・・


悪魔が僕の耳元で囁いていた。

『そうら見ろ、お前はきっと一生何者にもなれないぞ』 と。

それは、本当に恐ろしい言葉だった。



この頃、僕の大好きだった中原中也の詩にこんな一節がある。

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ
(中原中也詩集「山羊の歌」いのちの声より)

<中原中也/Wikipediaより>


素晴らしい! なんて素晴らしい詩だろう!
だが、中原中也に感動している場合ではない・・・
僕はどう生きていくのだろう・・・・!


この続きは、また明日「その4. ゲーム業界に身を置く・・」に続く

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