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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたもりおゆうのライフワーク画集。昭和の思い出を絵と文でお送りしています・・・毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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#ライフワーク

昭和を代表する家庭常備薬「仁丹」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ267枚目 昭和の家庭の常備薬といえば絶対にこれ「仁丹」です。 どこの家庭にも置いてあった、と言っても過言ではありません。 もちろん我が家にもありました(笑) 今では珍しくなった携帯用の懐中薬です。懐中薬と言えば、水戸黄門の印籠ですね(笑) 何か体調が悪いと母親に「仁丹飲んどきゃぁ!」と言われたものです。 まさに昭和を代表する家庭薬です。懐かしいですね、あの小さな瓶。 薬効は、、、 悪心嘔吐、消化不良、めまい、暑気あたり、乗物酔い、

お餅の思い出

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ264枚目 昨年末にも火鉢の記事でお餅のことを書いたが、子どもの頃は本当によくお餅を食べたものだ。僕はお餅が大好きだ(笑) この歳になると人生全体で子どもの頃の方が圧倒的に短いのだが、お餅を食べた記憶の大半が何故か子どもの頃のものだ。 その殆どが祖母や母親と火鉢の炭火で焼いた餅の記憶で、本当にあれは美味しかった。 我が家は母方の在所の農家に頼んで餅をついて貰っていた。 小机ほどの大きな板状の餅が届くと二、三日おいてから四角く切り分け

「私をスキーに連れてって」だった時代

「僕の昭和スケッチ」261枚目 「もはや戦後ではない」と後藤誉之助*が経済白書に記した昭和31年から少し遅れて昭和36年、スキーブームが到来した。 それは政治家の言葉ではなく、ようやく庶民にもこの言葉が肌で実感できる「スポーツの時代」の到来だった。この年にはスキー客が年間100万人を突破したと言われている。 この頃は若者たちがスキー板を担いで夜行列車でスキー場に向かうという時代。ゲレンデをテーマにした加山雄三の若大将シリーズ「アルプスの若大将」(昭和41年)も大ヒット。

火鉢と炭火の思い出

「僕の昭和スケッチ」261枚目 岐阜にある僕の実家は商売をやっていたので店にはコークスを使うストーブがあった。けれど、奥の住まいにあった暖房器具は火鉢だけだった。 それは一階の八畳間に一つ、三畳ほどの食事をする部屋に一つ、二階は三部屋あったが火鉢は一つだけ。祖母がいつも背中を丸めてあたっていたのを覚えている。 火鉢の暖房というのは今時の暖房とは違い、部屋中を暖めるというには程遠いものだ。けれど、子供の頃からそれで過ごしていたので、冬は寒いものだと思って育った。 その火

雀が絶滅危惧種って本当!?

「僕の昭和スケッチ」259枚目 雀は今絶滅危惧種に指定されています。 これは悲しいかな本当のことのようです。 昭和の頃までは、農村はもちろん、都市部でも街中の屋根瓦の上や歩道を飛び回っていた雀です。思い起こせば、僕がこのマンションに越してきた頃は小さな庭やベランダに確かに雀たちは遊びに来ていました。 しかし、そう言えば最近庭で庭で雀を見た記憶がありません。 雀にまつわる言葉 雀は人の住居のすぐ近くに暮らしており、人との関係も深く、古くから俳句などにも読まれていました

昭和はスパイ映画大流行の時代「007シリーズ」

「僕の昭和スケッチ」257枚目 昭和はスパイ映画大流行の時代で、それは「007」で始まった 1962(昭和32)年のことだ。 おりしも、米ソ冷戦の真っ只中。そんな世界情勢をバックボーンにイアン・フレミング原作による007は颯爽と登場した。 邦題は。「007は殺しの番号*」。 殺しの許可証を持ち、ハンサムで所作がスマート、加えてウイットな側面も合わせ持つ男、というキャラクター設定は、それまでにない斬新なもので僕を含めたくさんの男どもがこのジェームズ・ボンドに憧れたものだ。

「状差って何?」消えゆく日本語

「僕の昭和スケッチ」255枚目 状差は、届いた手紙や葉書をさしておくものだ。 昨今、この「状差」という言葉も死語になりつつあるという。 昭和の頃には当たり前の言葉だったのだが・・・(笑) 通信手段がメールやLINEに代わった世代の若者には分からないのも無理からぬ事かも知れない。 人から手紙が来ると嬉しかったものだ。 だからそれを状差に入れて大切にとっておく。 緩く時間が過ぎていく時代のことだ。

「ふる里の城」私の岐阜城

「僕の昭和スケッチ」253枚目 金華山を見上げる岐阜の街は僕の生まれ故郷だ。 その金華山の頂きには織田信長の居城「岐阜城」があり、麓には城下町が広がっている。 岐阜城は、元は稲葉山城といい本格的に整備されたのはマムシの道三こと斎藤道三の時代。その後、信長が山頂にある城や麓にある町などを整備し「岐阜」と改名したことにより「岐阜城」と呼ばれることになった*。 今日は、この一枚の絵を見ていただければ、僕はそれで十分。 東京から名古屋に新幹線に乗り、名古屋からは東海道線で岐

僕の昭和スケッチ250回記念  

Best8からBest4<ご挨拶> 「僕の昭和スケッチ」の絵を先週で丁度250枚アップさせて頂きました。 とりあえず100枚くらいは描こうと思って始めた「僕の昭和スケッチ」ですが、4年かけて250枚になりました。 ちょっと自分でも想像しなかった数字です。 これも、ひとえにnoteで見てくださる皆さんが見て下さったお陰です。 この場がなければ、僕は絶対にこんなに描き進められなかったと思います。有難うございます。 僕の昭和スケッチは、実際の風景や事物をスケッチして描くのではな

「雨の日とアマガエル」

「僕の昭和スケッチ」249枚目 雨蛙 雨蛙は飛び切り美しい生き物だ。 透き通るようなライトグリーンの背と真っ白な腹部、小さな指先は淡いイエローオーカー・・・ 私が初めてその小さな生き物に会ったのは、雨の雑木林の中、家族と墓参りに出かけた日のこと。子どもの頃だ。 暗い空から落ちてくる生憎の雨に家族の顔も曇りがちで、みな足取り重く、、、ようやく藪の向こうに塔婆や墓石が見える辺りまで来た時の事。 一匹の小さな生き物が茂みから私の手に飛びついてきた。 見ると、それはエメラ

駅弁の思い出「小鯛の笹漬け」

「僕の昭和スケッチ」248枚目 駅弁は楽しい旅の友だ。 僕にとってのそんな楽しい駅弁の思い出は何といっても「小鯛の笹漬け」。 若狭名物だ。 僕は岐阜の生まれで、昭和40年に初めて若狭湾に泳ぎに行った。 若狭は岐阜市から北西に位置し、波穏やかで美しい海だ。 泳ぐだけでなく、キスやコチ、カワハギなど沢山の小魚をよく釣った。 驚いたのは手のひら程の小鯛が釣れた時。 なんて綺麗な魚だろうと思ったものだ。 その小鯛は駅弁にもなっていた。 「ものすごく美味しいもの!」という訳では

懐かしの駄菓子屋昆虫採集キット

「僕の昭和スケッチ」247枚目 小学生の頃、夏休みになると、よく昆虫採集キットを買った。 大抵は駄菓子屋に置いてある安物だ。 防腐剤や注射器が入っている。 そして、昆虫をせっせと捕まえて、防腐剤を注射器で打っては採集箱にピンで刺して並べる・・・標本作りだ。 男子なら皆やった経験があり、美しい昆虫標本作りは男子の夢だ。 だが、この採集箱は夏休みの終わり頃になると必ず変な匂いを立て始める。 理由は簡単なことで、こういう駄菓子屋で売られていた採集キットに入っている防腐剤は

夏空と海辺の赤いポスト

「僕の昭和スケッチ」246枚目 ビックリするほど暑い毎日が続いていますね。 あまりの暑さに些か参りますが、それでも僕は夏が好きです。 抜けるような青空に白い雲、海にかき氷、、一年の内で一番好きな季節です。 上の絵は、遠い昔に若狭湾に行った時の記憶を辿って描いた一枚。 円柱形でシャッポを被ったような赤い郵便ポスト。 どこの街角にもあったものですが、いつの間にか見なくなりましたね。 今日も、この絵を見て頂ければ他に語る事はありません。 絵が全てです。 皆さん、どうぞ熱

「スイカの思い出」昭和の夏

「僕の昭和スケッチ」画244枚目 母親の在所である黒野*の思い出を描いたのが上の絵。 夏を謳歌するような青空の下に、収穫されたスイカが並んでいた。 堂々たるものだった。 今日は、絵を見て頂ければそれで僕としては十分。 付け加えることは何もない。