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#2 幼少期〜小学1年生編 【7年間の不登校から大学院へ】


まえがき


 今回の記事では、不登校になる前の#2 幼少期から小学1年生までを書いていきます。

私はどんな子どもで、どんな性格だったのか。
本格的な集団生活が始まる小学校に上がる前から、不登校になる兆しはあったのかなどを分析しながら振り返ってみます。


この文章を更新していこうと思った心境については、一つ目の記事で書いていますので、まだの方は是非こちらから読んでいただけると嬉しいです。



幼少期の性格

 物心がつく前から、多くの人が集まる場所が基本的にあまり好きではなかったようです。

また、食べることに興味がない様子で「できれば食べたくない」というような少食な子でした。このままだと大きくなれないよ、と両親がどうにか栄養のあるものを食べさせようと工夫をしても「食べたくないの!」の一点張りだったようで、とても困ったとのこと。

そのせいか、周りの子と比べると身長も少し小さくヒョロっとした感じ。でも自然のなかで遊ぶことが大好きで、ずっと外を走りまわっているような元気な子でした。


人見知りで、初対面の人と会う際は必ず両親の後ろにすぐ隠れてしまう。かといって、人が嫌いなわけではない不思議な性格。シャイだけど、心を開いた人にはピッタリとくっついて仲良くなるような、そんな子。


 ただ、やっぱり振り返って考えてみても集団でいることや、多くの子どもが集まるような場所(例えば、子どもが遊ぶ広場など)には自ら積極的に行きたがらない性格だったようです。

物心がつく前の生まれ持った性格も、やはり不登校に関係していたのだろうなと振り返ったいま思います。


そんな私も4才から幼稚園に通うことになりました。




笑顔の写真がない幼稚園

 幼稚園でもらった写真アルバムを見た瞬間、両親は「笑っている写真が一枚もない!」と驚いたようです。


幼稚園で撮られた私の写真には笑っているものが一枚もないのに、家で撮った写真にはおちょけて笑顔で楽しそうな姿ばかり。


 幼稚園でのお昼の時間には、持っていったお弁当に口すらつけず、水筒のお茶を飲むだけ。家に帰って来てから、一口も食べずそのまま持って帰ってきたお弁当を楽しそうに美味しく食べる。

「食べてくれますように」と母がお弁当をどんなに工夫しても、幼稚園で食べて帰ってくることは卒園まで結局一度もなかったそうです(……ごめん、ママ)


 人混みは苦手だけれど、友だちと遊ぶことは大好き。外遊びが特に好きなのは変わらず、友だちと公園でずっと走り回るような元気一杯の私。


幼稚園ではお弁当を絶対に食べないということ以外は周りの子とも何ら変わらず、幼稚園に行きたがらない素振りを見せることもなく、卒園しました。


そんなどこにでもいるような子どもだった私が、9歳で不登校になり、そこからさらに7年間も学校に行けない紆余曲折の日々を経て、大学院にまで進学することになるなんて全く誰も予想できないことでした。




小学校編に入るにあたって

 私の場合、不登校になった明確な理由というものがいまだにハッキリとは分かっていません。

だからこそ、徐々に学校に行けなくなっていった過程の詳細や、学校に行けなくなったときに何を感じていたのかを詳しく書いてみたら、同じような気持ちを抱えている子や親御さんに届くのではないだろうかと思い、文章にしてみています。

小学校に入学してからは不登校への動きが大きく、書きたいことが増えてくるので、小学校編からは「である」調に切り替えて小説のように描写なども交えながら書いていきます。

 不登校になっていく過程では暗くしんどい心境の描写などが続きますが、指数関数的に徐々に明るい話へと変化していきますので、読みながら気持ちがしんどいと感じた際は読むのをやめてください。大丈夫そうだと感じたら、まるで小説を読むかのような気持ちで気軽に読んでもらえたら嬉しいです。 


それでは、歩んできた道のりを頑張って思い出して、ありのままに書いていきます。



小学1年生

 小学校の入学式。
桜の季節、いつもとは違うかしこまった服装に私は身を包んでいた。

レースの付いた靴下が足首にチクチクして、バッチで留めるビニールのクツが硬かったのを妙に覚えている。初めて入った体育館に差し込む日差しは眩しくて、明るいお祝いムードがやけに楽しかった。

早々に入学式が終わってお昼前には解散になり、春らしいポカポカ陽気のなか両親に連れられてお散歩しながら帰った。


同じ幼稚園に通っていた友だちも多く見慣れた顔ばかりだったからか、真新しい環境に緊張でカチコチというわけでもなかった。

担任の先生はまるで幼稚園の先生のようにとても優しくて大好きだったし、学校の授業も楽しく、休み時間には校庭で友だちと遊べるのが嬉しくて、お昼過ぎに下校して家でおやつを食べて宿題をする。夜は『どっちの料理ショー』が始まる前にはもう疲れて寝ちゃうみたいな生活が純粋に楽しかった。


学校に通いつつも自由な感じがたしかにあって、気楽でのびのびとした気持ちで、いま思い出しても小学一年生の頃は光に溢れていているような印象だ。

当時の写真を収めたアルバムにも宿題をする姿や課外授業を楽しんでいる写真などもあって、その表情から伺えるように学校が楽しそうだった。


性格的には、人見知りをしてすぐに母の後ろに隠れてしまうような子どもではあったけれど、学校では男女関係なく仲良く遊び、ふざけてキャッキャ笑うことも多かった。クラスの集合写真を見ても、真ん中で満面の笑みでダブルピースをしている、そんな子。


本当にどこにでもいる小学一年生の女の子だった。


そんな子が「学校に行きたくない」と言い始めるのは、もう少し時間が経った小学2年生の3学期からの話になる。


次回は #3 小学2年生、学童保育でケガ事件【7年間の不登校から大学院へ】 を更新予定です。




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