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生きづらさよりも”生きやすさ”【読書記録】「N/A」(著:年森瑛)
第167回芥川賞ノミネート作品の「N/A」を読みました。
このnoteでは、書評を中心に読書に関する記事を発信しています。ぐちゃぐちゃになった頭の中を読書で整理してみると、それだけで人生がラクになります。人生をラクにする1冊を紹介するnoteです。
<こんな人にオススメの1冊>
・人間関係に悩んでいる
・ビジネス本、自己啓発本には飽きた
・「芥川賞作品て難しそう」って思っている←この本めっちゃ読みやすい!
「かけがえのない他人」を求める高校生
主人公は高校2年生。
主人公が通っている女子校では、全生徒からの憧れの存在でバレンタインの日に学校中からチョコレートが届く”王子様”。
一方食事制限によって体重計の目盛りは40kgを下回り、唯一無二で代替えがきかない「かけがえのない他人」を強く求める。
自分自身をいかようにもできる自由さとその裏表の不安定さを抱えた年齢の主人公が「わたし」自身をカタチづくっていく過程の物語。
単純なテンプレで自分が消費される気持ち悪さ
この主人公には強く求めるものと強く拒否するものがあります。
強く求めるものは"かけがえない他人"。
“恋人”や”友人”、”家族”などわかりやすいテンプレートを必要としない関係性。
そういったものを超越した関係性、”本当のわたし”を見てくれる関係性。
一方強く拒否するものは生理。
死ぬわけでもないのに血を出すことは恥ずかしい。
それで人から優しくされることはもっと恥ずかしい。
そのあるべき姿を実現するための手段として主人公が選んだものは、同性の恋人をつくること、そして体重が40kgを切るまでに食事を制限して生理不順を意図的につくりだしていくこと。
他人からの目線や生まれつきの性を自分の意思によって抑え込もうとするが、その意思は周囲どころか同性のパートナーにも理解されない。
性的マイノリティ、摂食障害。
周囲の人たちは何かしらのカテゴリーの方に人は当てはめて、それに対する模範解答を用意することで安心しようとする。
「勇気づけられました!」、「応援します!」。
その姿がSNSでは“共感"といったさらに単純なテンプレートとして自分が消費されていく。
自分のコントロールと想像を超えたスケールでそれが起こり、とても気持ちが悪いものとして感じる。
生きづらさよりも”生きやすさ”を選択してはどうだろう?
主人公はとても意思が強く、それを実現するための行動もできる。
でもこの主人公ってどんな人?どんな性格?と聞かれてもうまく説明することが難しい。
意思が強い、そのわりには「わたし」がない、見えてこない。
人間はカテゴライズで理解されるものじゃない。唯一無二の本当の自分として理解して欲しい。
それだけなのに、そのはずなのに、それだからか主人公は「わたし」にすらカテゴライズされないN/A(該当なし)だ。
持って生まれた性を拒否したり、明確に定義できない"かけがえない他人"を求める。
その中であえて”生きやすさ”を選んでみるのはどうだろか?
この物語の最後のシーンでそう感じました。
そのシーンでは主人公にとって重要な人物との重要なやりとりがある。
その相手から生きやすさのヒントを手にした。
そう感じたラストはとても清々しかった。オススメです。
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