あなたが見えているものはこちらからは見えない。だから大丈夫。【読書記録】パークライフ(著:吉田修一)
何をしても自由。自由すぎると逆に何をしていいかわからない。
今から20年前の芥川賞受賞作「パークライフ」を読みました。
何をしてもそれがどうなっても、すべてが自分が決めたことの結果とされる個人の意思が大切とされる現在の都会で、爽やかな孤独を感じさせる人たちの話。
今回のnoteでは、この1冊から感じたことを言葉にしていきます。
このnoteでは、書評を中心に読書に関する記事を発信しています。ぐちゃぐちゃになった頭の中を読書で整理してみると、それだけで人生がラクになります。人生をラクにする1冊を紹介するnoteです。
男と女の微妙な距離感@日比谷公園
日比谷公園でスタバのコーヒーを片手に持って、春風に乱れる髪を押さえていた女性は、バスソープの営業をしている主人公僕が地下鉄の中で偶然にも話しかけてしまった人だった。
僕は知らなかったがむこうはこちらのことを知っている。
お昼にいつもおなじベンチに座っていて、たまに他の人が先に座っているとベンチの目の前でわざと大きな声で電話して、先の人がベンチから離れるととても嬉しそうな顔になることも知っている。
不思議にも彼女の話し方は距離を一気に縮めてくる。
この後も日比谷公園で僕とそのスタバ女は何度も会う。そして噛み合っているのか、噛み合っていないのかよくわからない会話が続いていく。
スタバは不自由、だからいい
この「パークライフ」にはスターバックスがよく出てくる。
そのスタバではコーヒーしか買えない。
鳩に餌をやることも、気球を飛ばすこともできない。
スタバは不自由だ。
その不自由さがあるから、どこの国へ行ってもスタバに行けばコーヒーが買える。その国の言葉は話せなくても。
スタバの店内に入ってレジでコーヒーを注文して、お金を支払い、赤いランプの下でコーヒーを受け取る。このコーヒーを買う様式はどこのスタバにもあるから。
スタバが当たり前となった私達は、もうスタバで迷うことはない。
公園は自由、だから難しい
公園は自由だ。この「パークライフ」の舞台の日比谷公園のような都市の中にある公園には、都市の緊張感から開放されたような自由な雰囲気がある。
そういった公園では鳩に餌をやることもできるし、気球を飛ばすこともできる。誰からも何も言われない、咎められない。スタバでコーヒーを買う様式もないから面識がない誰かと誰かが公園で話すことはあまりない。
そんな公園の中で、面識がない主人公とこのスタバ女はなぜか何度も会って、話をしている。それはなぜか?
でも主人公僕はその理由をそれ以上は聞けない、理由がないから。
その代わり公園の外に出てからの別れ際に、もうスタバ女に会えないような気がした、そんな曖昧な感覚の中から主人公の僕が発した言葉。
何をしても自由。何を伝えても自由。だから難しい。
そんな自由の中で少しでも迷わないようになるために。そのヒントが手に入るような気がする1冊。オススメです。
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