「この世の喜びを」,「荒地の家族」 & more まだまだ楽しめる芥川賞
もっとも優れた純文学作品におくられる芥川賞。
1/19に発表された第168回芥川賞はW受賞。
井戸川射子さんの「この世の喜びを」と、佐藤厚志さんの「荒地の家族」。
その2作が全文掲載されている文藝春秋3月号には、その2作を選んだ9名の選考委員の選評が載っています。芥川賞をさらに楽しむためのヒントがつまっている。
もっと純文学を楽しみたい。そんな方必見の1冊です。
(文藝春秋3月号には芥川賞受賞作の全文と選考委員の選評が載っているとてもオトクな1冊です。)
このnoteでは、書評を中心に読書に関する記事を発信しています。ぐちゃぐちゃになった頭の中を読書で整理してみると、それだけで人生がラクになります。人生をラクにする1冊を紹介するnoteです。
今回は、芥川賞を受賞した2作と、惜しくも受賞を逃したけどすごく評価されている「ジャクソンひとり」のあらすじと選評の一部を紹介します。
選評①「この世の喜びを」(著:井戸川射子)
<あらすじ>
もう子育てを終えた「あなた」は、職場のショッピングモールのフードコートに夜遅くまでへばりつくように座っている少女がいることに気付く。少女は家にはいたくないようで、だからここで勉強をしている。
あなたは少女との対話の中で、子育てに苦労していた過去の自分を思い出す。その中で現実を生きるために削ぎ落としてきた部分を思い出す。こういうものだと単純化した現実の中の複雑さを思い出す。
「あなたと少女」だけじゃなく、「大人と子供」から「親とわが子」、そして「現在と過去」と幾重にも重なっている。
そこに気付けること、これこそが喜びだ。
選考委員からとにかく大絶賛の「この世の喜びを」。
最初に読んだ時は頭の中は??????(この作品何?わけがわからん、、、って思いました)
しかし、この書評を読むともう一度、先入観なく頭を空っぽにして読んでみようと思うようになりました。
もう一度ゼロから純文学を楽しんでみようと思います♪
選評②「荒地の家族」(著:佐藤厚志)
<あらすじ>
東北のあの震災から約10年が過ぎた。
祐治は復興していくその地で変わらずに植木職人と生きている。 震災で仕事道具を失い、その2年後には妻晴海を失う。再婚相手の知加子は赤子を流産で失うと、祐治の元からも去っていく。そして息子の啓太とはコミュニケーションの仕方も次第に失っていく。
「失う」という揺るがしようのない事実に対して、祐治はそれを誰かのせいにはしない。ただひたすら「耐える」。
大切なものを失った時、その事実に対してどう振る舞うか?
誰かのせいにするか?
別の何かで埋めるか?
それともただ耐えることか?
この「荒地の家族」に対する、主人公祐治に対するイメージは「耐える」。昭和の辛さを感じる作品で正直好きになれなかった。
でも選評を読んで気が変わった。
「だれが悪いわけじゃない」、「安易な解決をしない」、「肉体を通して伝わってくるものだけに、心を向ける。」、これは最近失っている感覚かも。
それを思い出すためにもこの1冊ももう一度読んで見よう、そして純文学を楽しんでみようと思います♪
選評③「ジャクソンひとり」(著:安堂ホセ)
<あらすじ>
ジャクソンは、アフリカのどこかと日本のハーフで、昔モデルやってて、ゲイらしい――やる気はなく、やりたいことも特にない。
そのジャクソンが着てきたロンティーにあるQRコードが読み取られると、裸ではりつけにされたブラックミックスの男のリベンジポルのような動画が再生された。
どれだけ説明しようが、どれだけ大きな声で叫ぼうが、もう理解したいようにしか理解できないのかもしれない。だからこそこのクソのような現実で遊ぶこともできる。
さあ復讐というゲームを始めよう。
今回の候補作の中で、一番今っぽくて、ワクワクして、面白かったのがこの「ジャクソンひとり」。なので受賞しなかったことには???でした。
そして絶賛 & 高評価の選評を読んで、さらに???
やはり純文学、芥川賞は難しい💦
もう「ジャクソンひとり」は3回も読んだけど、あのリズム感を味わいたいのでもう一度読んでみます。
(ジャクソンひとりの書籍紹介記事はこちら)
候補作すべてが面白く、とても楽しい芥川賞の第168回でした。
次回169回の候補作発表は6月、受賞作発表は7月。
半年後のお楽しみです。
また記事書くので、よろしくお願いします。
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