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虹色のカラス

にじいろのカラスはいるか?

A「にじいろのカラスはいるか?」

B「何を言っているんだ、いるわけないだろう」

A「じゃあお前はこの世の全カラスを見て確かめたのか?カラスには白い奴がある。
であれば、なんらか突然変異で虹色になってしまったカラスだっているかもしれないじゃないか。お前は全てのカラスを見ておらず、全てのカラスを見ていないのならば、カラスに虹色がいないと言い切ることはできない」

思考実験はナンセンスだ

この応答に、対偶論法を使って参戦してやろうとか帰納法を使って思考してみようだとかいうのは、ナンセンスである。

カラスを検証するに際し、対偶論法を使ったとて、それに関する理論的欠陥はない。しかしながら、直感的に人間が違和感を覚える理由は、対偶論法によって説明することはできない。

今回は、後者の「ヘンペルのカラスに対する直感的な違和感」について述べる。

普通、ヘンペルのカラスが哲学の題材として取り上げられる時、カラスの検証法に視点が当てられる。むしろ、違和感を感じた人間の直感のほうに視点を当てられることは少ない。

なぜなら、このような思考実験で対象とされるのは、思考された対象であって、そう思考してしまう人間そのものではないからだ。しかしながら、思考実験がやりたいのは、実際に科学的にカラスの生態を調べることではなく、実際のところ言葉遊びなのである。

思考をするとき、思考する人間がいなければ、そもそも思考という入口は開けない。であるのに、思考する人間をすっ飛ばして、思考した先の対象を考えようとするのが「思考実験」なのである。

つまりそれは、人間の思考の癖やそもそもの人間の特性を加味することなく、ダイレクトに真実にたどり着けると信仰しているのである。

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