人を変えるのは罰じゃない・・・・愛なんだ!
昼ドラの台詞みたいなタイトルになりましたが、ぜひ見て行っていただければと思います。
こんにちは。
元小学校教員明善です。
今日は罰を与えることよりももう少しいい方法あるかも?
ということを考えていければと思います。
子どもなどが何か悪いことをしてしまう。
これは絶対に誰もがやってしまうこと。(そうですよね・・?)
その時に大人としてどんな対応をするべきなのか。
まず、教員の時には厳しく𠮟る3つのポイントを伝えていました。
尊敬する先輩の考えを基にしています。
1,命にかかわる時
これは車道に飛び出すとか、窓で遊ぶとか、命にかかわることは絶対に阻止しなければいけないですし、二度とやらせてはいけないからです。
2,人に迷惑をかけた時
高学年なら人の権利を侵害した時。と伝えるかもしれません。
授業中に大きな声で話をしていたりするなど他の人の迷惑になってはいけないですね。
3,何度言ってもやらない時
他の人の迷惑になっていなくても、何度も言われて行動しない時には叱ると伝えていました。このパターンは時間などを守れない時などが多いですかね。
この3つのポイントに抵触してしまった場合叱るわけですが、
頭ごなしに叱らなければならない時とそうでない時と使い分けなければいけませんね。
命に関わる時はまずは静止をしなければならないので、きつく言った後にフォローという感じですね。
他の時には気持ちを聞いたりして、共感しながら二度としないようにしてほしいというこちらの気持ちを伝えるようにしています。
家庭で叱る時に多いのが、罰を与えるということではないでしょうか。
「おやつぬきよ!」
「ゲームは取り上げます!!」
などと罰を与えるということをした経験があるのではないかと思います。
その後変わりましたか・・・・?
もちろん、変わったこともあると思うのですが、
子どもの思考として、ばれなければいいとか、その場しのぎの考え方が生まれてくることがあります。
なぜなら、なぜそれがいけないのかということを理解していないで、罰を受けるからダメなんだ。というように考えてしまうからです。
なので罰を下す人に気づかれなければやってもかまわない。というような思考になってしまうのです。
こんな例があります。
ある人が車を運転していて、一時停止線で止まらず警察に止められました。
ついてねぇなぁ・・・。と思うだけでそれ以後も変わることはありませんでした。
しかし、同じ人がまた一時停止線で止まらなかった時に、また警察に止められ、違反で切符を切られるのを覚悟しながらも、
以前は、停止線のだいぶ先で止まるような感じだったが、今は自分は変わってきていて、少し先になってしまったがちゃんと止まった。だから見逃してほしいと願いました。
当然すんなりとそうですかとはならなかったものの、長い時間話し、最終的にその時は、今後絶対に違反をしないというなら今回は切符を切りません。となりました。
その警察官に感動し、二度と交通違反をすることはなかったと。
これは実話なのですが、大人でも罰を受けるよりも許された方がその後の行動に良い変化があるという事です。
子どもならなおさらだと思います。
結局悪いことをしなくなるのは、そのこと自体を悪いことだと理解するからというのは大きいです。
そしてさらに大きいかもしれないのが、信頼された人を裏切れないという気持ちだと思います。
交通違反の例でいえば、もう違反しないという信頼や約束のもと許されたわけです。
その気持ちを裏切ることはできないと思うのが人間の心だと思います。
そうした信頼関係が何よりも大切だという事です。
学校でも家庭でも、罰を与えるということではなく、
なぜそれがいけない行動なのかをしっかりと伝えて、次はきっと良い行動ができるはずだと信じてあげて下さい。
その人はもっと良くなると思って接しているともっと良くなるという「ピグマリオン効果」もあります。
期待に応えたいと誰しも思っているので、その気持ちをしっかりと伸ばしてあげればいいと思います。
・・・・もちろんすぐにはうまくいかないので、気力と長い時間がいるかもしれませんが・・・。(笑)