人生自体が学び
昨日、こんな記事を書いた。
でも、数年前までは「自分を優先する」ことは、
自己中で、わがまま、そんなこと許されない、という思いがあった。
だから、自分大事にしたり、自分を優先することはあっても、無自覚にこれくらいなら…と制限をかけていたり、我慢や罪悪感を感じていたように思う。
そんな我慢は溜まるし、ときには爆発する。
それでも、我慢が当たり前のように、頭に、体に染み付いていた。
同時に、我慢は美学であって、それで自分は満たされる、幸せになれると、信じてさえいた。
その生きづらさに、何となく気づいたりしても、手放すという選択肢はなく、また、その奥にある怖れも半端なく、結果、ずっとそうやって生きていたみたい。
それが真逆になった。
まさに、コペルニクス的転換。
どっちが生きやすいかって、言うまでもない。
ただ、他人優先も、我慢も、その極まで達する経験があったからこその転換だ。
そして、その転換はある日突然起こったように感じるが、決してそんなことはない。
長い時間をかけて、自分を探求して、やっとそういう転換を体感できるようになってきた。
自分を優先することは、利己的なんかではなく、とても自分に優しい。
常にそうしたくなるくらいに優しいものだと、やっと分かった。
歩んできた道には全て意味があり、全て必要で、そして。全て繋がる、としみじみ思う。
人生自体が学びそのものなんだ。