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わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(3) ―予測誤差最小化ー

前回までに、「人間の知覚体験は、内的モデルによる感覚刺激の予測によって成り立っている」というようなことを、視覚における不良設定問題を例に出して、ざっくりとお話しした。このような感覚刺激の予測は、神経回路がベイズ推論に相当する計算を実行することで実現している。この予測計算ユニットは、より要素的な感覚に対応する下位のユニットから、しだいに広域的な全体像を予測するユニットにむけて多段式の階層構造になっていて、最上位のユニットは解剖学的には高次連合野の神経回路に相当すると仮に考えておくことにしよう(さしあたってはそれで足りるので)。

それでは、まずその一段分の回路について考えてみよう。予測ユニットは階層的なので、一部の事前信念は上位のユニットから来ている。そして各予測ユニットは例のベイズ推論的な計算によってより下位のユニットからくる感覚入力に対する予測を常に組み立てている。そして、この計算された予測を下位のユニットからきた実際の入力を教師信号として比較することで、このユニットの予測に関する予測誤差が算出される。これにもとづいて予測ユニットのパラメータが更新されて予測が最適化されるというストーリーだ。


階層的な予測誤差最小化 (出典:https://api.semanticscholar.org/CorpusID:33802417)

もちろん、各ユニットは単に直列になっているわけではなくて、あるユニットが複数の上位ユニットから事前信念を受け取ってもいいし、逆に複数の下位ユニットにまたがるような大域的な予測を生産しても構わない。これは、神経科学を少しでも学んだひとなら、現実の脳の神経回路によく似ていることが理解できるだろう。

サルやヒトの脳には沢山の視覚野がある(出典:http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/21/index-21.html からお借りしました)

なぜか唐突に精神療法の話になるが、どうしても臨床的にみてこの話の何が面白いのかということになるだろうから、ここで読者の皆さんを退屈させないように、ひとつ喩え話をしておこう。(ただの悪い癖である)

・・・むかしむかし、ちいさな小僧さんが老和尚に質問したという。「仏性とは何ですか? 」そうすると和尚が答えた。「ここに一つの家がある。その家には六つの窓があって、その中にお猿さんがいる。この猿をひとつの窓から『猿さん』と呼ぶと、その猿は『うん、うん』と言って返事する。他の窓から呼んでも同じことで、六窓ともによべばともにこたえる。こんなものだ。」小僧さんは聞いた「わかりました。でも、お猿さんがねてたらぼくどうしたらいいんでしょう? 」和尚は椅子から降りて小僧を抱きしめると、「かわいいお猿さん! さあこれでもうお前さんと相見したぞ! 」と。

六つの窓とは、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)の喩えだが、要するにここでは感覚入力としておこう。このお猿さんは家の中にいて、感覚入力しか受け取れない、どうしてお猿さんは外のことを知ったり働きかけたり自由にできるのだろうか? 禅には禅の読み方があるのだろうが、それは置いておくとして、俗世に処することを考えている俗人のわたしたちにしてみれば、これは意識せずに階層的予測誤差最小化をやっているわたしたちの体験そのものである。このお猿さんは意識ではない。意識はむしろこの窓のひとつだ。また、ホムンクルスでもないし、もちろん松果体でもなければ先験的主体でもない。そもそも実体とか存在ですらない。強いて言うならば、森田正馬先生だったら“われわれの身体および精神の活動は、自然の現象である”と表現するような、わたしたちが自然といっている現象そのものだ。

閑話休題。ここで提案されている階層的なユニットの集積が、今までのボトムアップモデルと違うのは、あくまでこの階層は上から下に向かって作動するということだ。つまり、下から上に、「感覚器官が信号ジェネレーターで、それが順々に上位のフィルターで変換されていく」というのではない。というか、一見そのようにも見えるが、それだけではなく、むしろ上位のユニットが予測を生成し、それが順次下位のユニットに事前信念として送られるという下向きの情報の流れと作動の方が本質だというのだ。ただし、下向きに送られる情報は事前信念だけだし、逆に上位ユニットからみれば下位ユニットがやっていることの詳細はさっぱりわからない。ただ予測に対する答え合わせにつかう分だけの返事が返ってくるにすぎないからだ。このことすなわち、比較的上位の処理である言語意識にとってより低次の情報処理が隠蔽されているということであり、つまりこれがわたしたちが考えるところの無意識というものである。

さて上記の六窓獼猴の話は、のんびりしたお猿さんの話だが、この話を階層的予測誤差最小化にあてはめると、だいぶ忙しいことになりそうだ。
新しいお猿さん達は、孫悟空のように沢山の分身を持っていて、潜水艦のような殻のなかにぎっしり詰まっていると思うことにしよう。5つか6つの小さな窓があって、たとえば視覚の窓のまわりには視野の特定の部分を監視する無数のお猿さんがいる。あまり混雑してるので、他の猿には窓が見えない。そこでこの第1列のお猿さんは、「明るい」「暗い」などと口々に叫んでいる。そこで次の列の猿たちは、それを手掛かりに「斜めのものがある」「真っ直ぐだ」などと叫ぶ。このようにして順次申し送って上位のお猿さんに伝えるのだが、こんどは上位のお猿さん達から「たぶんミカンが見えるぞ」という伝達が降りてくる。そうすると、「丸いもの」を監視しているお猿さんや、「黄色っぽいもの」を監視しているお猿さんたちは元気を出して、そういうものがやってくるという予測を組み立てる。もしもこの予測が正しければ、下位のお猿さんから実際にそういう入力がやってくる。そうすると上位のお猿さんに「当たり!」と伝えることになる。予測が正しくなければ、それを証拠として予測のやり方をちょっとだけ変えてみる場合もある。
お猿さんたちが騒がしいのでお話しとしての美しさはすっかり失われるが、そのかわりに伝声管でいっぱいの潜水艦みたいで、これはこれでなかなか愉快な風景だ。

階層的な予測誤差最小化というのは、だいたいそういうイメージのことである。もちろん、物体を識別するお猿さんの軍団の他にも、空間上の位置を特定する部隊とか、腕を動かすためのグループとか、視覚部門と動作部門を連絡調整してミカンを掴めるようにするお猿さんたちなど、もっと沢山の機能が働いているのだが、ホーヴィの本で提案されているのは、これよりもかなり抽象化されたモデルだ。しかし、そうしようと思えば、想像上の新しいお猿さんの一隊を編成するのは容易なことなので、さらに複雑にして、たとえば言語を識別し行動に変換するお猿さんや、他者の動きを認識するお猿さんグループなどを考えることだってできる。(なお、ホーヴィはもっと賢そうな話をしてるので、お猿さんたちはぜんぜん出てこない。全然だ。もしかして期待させると申し訳ないのでひとこと)

さあ、やっと自閉スペクトラム症のはなしをする準備ができたぞ。かなり新奇な話題なので、読者の皆さんが付いてきてくれているか心配だが、まあなんとかなるだろう。
それでは次号予告です。年末年始にかかるので、次回更新はたぶん来年になるでしょう。それではまた。

”次回、「自閉と計算論」 院長、敢えて火中の栗を拾うか ”


”Predictive coding and the Bayesian brain: Intractability hurdles that are yet to be overcome” J. Kwisthout, I.J.E.I. van Rooij Cognitive Science
2013

サルやヒトの脳には沢山の視覚野がある 三上章允
http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/21/index-21.html


森田 正馬 神経質の本態と療法     白楊社 新版2004

従容録72則 中邑獼猴 
(https://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/koan.html
https://zenken.agu.ac.jp/research/45/12.pdf
を参考に一部改変しました)



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