『不動智神妙録』秘伝の神髄:8
今回は目に見えるように小説風に表現して全体を知ってもらいたい。
実は夏目漱石がすでに見事に書いていたんだった。
しかしバラバラにしてあっちこっちに散らばっているため知る人ぞ知る状態なのです。
それを再構成するから人名は当然入れ替えてある。
想像も出来ないかも知れないがそれは『虞美人草』に書かれていたんだった。
前回「打人も無心、太刀も無心、我身も無心」のところを無視してきたところを漱石は次のように表現している。
「男の我を忘れて、相手を見守るに引き反(か)えて、女は始めより、わが前に坐(す)われる人の存在を、(中略)見失っていたと見える。」
ここの「男」ところを「兵士」と変え「女」のところを「大覚禅師」に変換する。
すると「兵士の我を忘れて、相手を見守るに引き反(か)えて、大覚禅師は始めより、わが前に坐(す)われる人の存在を、(中略)見失っていたと見える。」となる。
このように変換すると「兵士の我を忘れて」大覚禅師を斬ろうとしている姿が鮮明になる。
さらに大覚禅師が前回放心状態で「わが前に坐(す)われる人(兵士)の存在を見失っていた」ことが理解できる。
大覚禅師も兵士も目の前に居る相手を見失っていたと言うのである。
それでは何故兵士は「我を忘れて、相手を見守る」のでしょうか。
それは大覚禅師が兵士の大軍を前にして平然としていて、太刀を恐れぬからである。
兵士にとって理解出来ない出来事でした。
何か訳が有るに違いないと疑ったものと見えたのである。
それで「蔵せるものを見極(みき)わめんとあせる男はことごとく虜(とりこ)とな」って、
大覚禅師が「死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉(まゆ)近く逼(せま)」て来たからである。
そして「動く景色(けしき)も見えぬ。ただ男だけは気が気でない。」
「一の矢はあだに落ちた、二の矢のあたった所は判然せぬ。」
「これが外(そ)れれば、また継がねばならぬ。」
「男は気息(いき)を凝(こ)らして」大覚禅師「の顔を見詰めてい」たのです。
「男は二の句を継(つ)いだ。継がねばせっかくの呼吸が合わぬ。呼吸が合わねば不安である。」
「相手を眼中に置くものは、王侯といえども常にこの感を起す。」
時間にすればほんの数秒だったとしても兵士にとては永遠、未来永劫に感じられたのである。
何故なら「死ぬるまで我を見よ」と迫られ。
「遠き世に心を奪い去らんとする」妙術に落ちたからである。
そこから抜け出そうと焦っても、
第一矢は大軍で脅かして第二の矢は太刀で脅かしたが効果が有ったか無かったか判然せぬ。
外れたら第三の矢を放たねばならぬ、何が効果が有るのか大覚禅師の顔をじっと見詰めていたのです。
顔をじっと見詰めていても、
「心は呼吸が合わないので不安で一杯で」良く顔は見ていなかったのでる。
「遠き世に心を奪い去らんとする」大覚禅師の「黒き眸(ひとみ)のさと動けば、」
兵士は、「あなやと我に帰」ったのでる。
「不言にしてまた不語」
この戦いには一言の言葉のやり取りも有りません。
大覚禅師の沈黙に兵士は心を奪われて、それに耐えられなかったのである。
大覚禅師の黒き眸が動いた瞬間その呪縛から解放され我に返って、
大覚禅師の偉大さを知り合掌して去って行ったのである。
見てきたような口ぶりと思われるかも知れませんがじつは同様の経験をしました。
それは大きなお祭りでマイクを持って進行役をしており当然大きな声で何時間もするにはアルコールの力を借りなければ続きません。
その団体は100メートルは超えるので前方のほうは見えませんが先頭で何か問題が起こったようです。
突然怖そうで喧嘩には慣れた男が現れました、こちらは大勢の若者も警察も近くにいるはずです。
そんな状況で一人で苦情をいうには少しは自信があるものと感じられました。
お前が責任者かと来ました、ところが何が起きたのかわかりません。
お酒がまわっていたので聞いていても朦朧としていて上の空で進行のことを考えていました。
暴漢は何度も苦情を言っていましたが暴漢の姿は一度も見なかったのです。
何故なら進行の事で放心状態だったので一言も話すことなく暴漢は去って行きました。
この様な経験を三度しました避けてはと通れない時代になりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。