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『夢中問答』第十三話:三種の慈悲

問い

禅宗のある師匠の言うには先ず自ら悟ってその後尚修行を積み余裕があれば、他人を助て上げなさいと言われました。

ところが仏典の中には自己未だ悟らずと言えども先ず他人を助けよとは菩薩の願いとは違うのではないでしょうか。

夢窓国師曰く

慈悲には三種の慈悲がありそれぞれ①衆生縁の慈悲②法縁の慈悲③無縁の慈悲と言う。

衆生縁の慈悲とは生活全般に困っている衆生を見て頼まれもしないのに助けることは小乗の菩薩の慈悲である。

その行為は自己の事しか関心の無い二乗心よりはすぐれているとは言え社会的名利優越感が無意識の内に隠れているから真実の慈悲とは言えない。

それはいわゆる維摩経の中で愛着から起こる大悲と言われているのである。

法縁の慈悲とは衆生の生活は人情非人情は全て夢幻のごとしとして、それに対して苦とは悪夢に過ぎないから夢から覚めなさいと教えることである。

また夢幻とは思い過ごして困っていない人を見て可哀そうな人と勝手に解釈して要らぬお世話をして他者の心を傷付けることである。

夢幻を見て苦しんでいる人にはこの世は諸行無常であり夢幻から覚めなさいとさとすのを大乗の菩薩の慈悲と言う。

しかしそれでも大乗の菩薩の慈悲と言っても人情を離れて愛着からの大悲とは異なると言えども夢幻の世界での慈悲であるから真実の慈悲とは言えない。

無縁の慈悲と言うのは自ら悟って本源自性天真仏の慈悲が自然に現れて助けようともせずして衆生を感化することである。

そのようになれば法を説くとも説かぬとも、助けるとも助けないとも言う必要はない。

百丈の大智禅師が小巧徳小利益をむさぼる事なかれと言うのは以上のような意味である。

禅門の師匠の人に教示する趣旨は以上である。


参照

『夢中問答』夢窓国師 岩波文庫

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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