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『吾輩は猫である』論2:不二の法門

『吾輩は猫である』は『文学論』執筆の後、英国留学を終え帰国して明治大学講師の時に、高浜虚子の勧めで、本格的に書かれた長編小説であります。

この時、三十七歳、漱石は人生の危機に遭遇していました。

現代の読者は『吾輩は猫である』を読んでいる限り、とても想像することは出来ません。

むしろユーモアと発想の奇抜さに心の余裕を感じます。

そして主人公である猫に対しても冷静で誠実な態度で接しています。

感情的な暗さは何処にも見当たりません。

それでは、此の心の余裕は何処から来るのでしょうか。

苦悩、絶望を忘れている訳では有りません。

決して罪悪感から解放されてもいないのです。

その活力の源は、実に不思議なことに、不安と悩み、絶望そのものが、勇気と活力の根源でした。

悩みや煩悩が無かったら偉大な漱石は無かった言えるのです。

煩悩と作家は「不二の法門」と言ってもよいのです。

漱石の生きざまを見ていると煩悩即作家と言う意味が納得出来ると思います。

小説を書いている漱石は書くことに集中しており、快も苦も感じていないのです。

だから「快でもなく苦でもない」のです。

言葉で解釈するのではなく漱石の身に成って感じることです。

禅では人には誰にでも本来仏性がそなわっているのだと言います。

言い換えると我々は日々煩悩即菩提を実践しているのだと言うのです。

趣味に我を忘れて没頭している時、その時は「苦も楽も」感じることを忘れています。

その時「苦は発生することは無く消滅することも無い」といいます。

だから生と死、苦と楽、我と無我などの対立する概念は二つでは無く一つだと言います。

スポーツでゾーンと言われる状態はまさにその極限なのです。

画家や音楽家、熟練者も雑念や妄想の入り込む隙間はありません。

ただその状態を二十四時間持続することは出来ません。

またあっては成りません。

苦の原因は生きている限り存在し続けるでしょう。

環境の変化に無感覚でいる事はできません。

生きて行くには、社会に適応して行かなければ成りません。

人と人の会話は必要に成ります。

そこに対立は避けることは出来ないでしょう。

対立とは自己と他者に分けることで生じるのです。

死の恐怖とは生と死を分けることで生じるのです。

それでは具体例を取り上げます。

『吾輩は猫である』で、漱石は死の危機から脱する実例を冒頭から描いています。

猫にとっては生死を分ける瀬戸際に落とされた初めての経験でした。

生まれて間もない子猫にとって、一人で生きる事さえままならず、経験と言えば母猫と兄弟猫の温もりだけでした。

それも母猫が暖かいのか自分が温いのか分らない「主客未分」の状態でした。

だから危機に遭遇しても自分の置かれた状況さえも解らず、「その当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。」と言います。

生きる知恵とは実に素晴らしいもので、生死の危機を危機と感じていない事です。

余分なことを考えず、不安を持たず、恐怖すら感じず目的に向かって、唯一つの経験、母猫の温もりと本能の言うままに行動を起します。

「暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予(ゆうよ)が出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。」のです。

吾輩は「別にこれという分別(ふんべつ)も出ない。」と言います。

この言葉、考えこそ「不二の法門」なのです。

このような描写が出来るのは漱石にして始めて出来ることだと思います。

「吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだ無い。」とは当時の夏目金之助の心境を素直に表現しているのです。

富と権力と名声と将来を約束された大学講師の席を捨てて、当時の作家は現代の作家と違い生きるか死ぬかの決断を要したのです。

無名の一介の物書きに成る決心を表明していると捉えられるのです。

山のものとも海のものとも分からない職業の選択です。

決心は出来ず、迷いに迷っていたと思われます。

夏目金之助にも成算は無かったと考えられます。

「別にこれという分別(ふんべつ)も」無かったのです。

苦悩と模索の時期でした。

その気持ちを其のまま猫に例えて表現しているのです。

猫は次の様にいっています。

「海だろうが、山だろうが驚ろかないんだ」とは夏目金之助の固い決心の表明であったに違い有りません。

苦悩と模索は底なしの沼でした。

もがけばもがく程、足も手も沼に取られ意識さえ希薄になって行く描写は『吾輩は猫である』の最後の最後で猫の死を表現することで終わっています。

この猫の死は、死をも恐れない不動の決意だったのです。

実に心強い感動を感ぜずには居られ無い言葉です。

死をも覚悟の作家の選択だから「死即生」と表現出来るのです。

それでは、如何にして絶望を勇気に変え、苦悩を活力にしたのでしょうか。

漱石は苦悩とは、絶望とは「自(みずか)ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問(ごうもん)に罹(かか)っている」のだと言います。

また、「人間は魂胆(こんたん)があればあるほど、その魂胆が祟(たた)って不幸の源(みなもと)をなす」と言います。

それではどの様な行為、態度、言葉が自らを追い込み、絶望と苦悩の淵に引き込むのでしょうか。

かっての親との喧嘩、思考形式が特定の人に向けられる事とをフロイドは感情転移と命名しています。

その感情の発生源は父と息子の愛憎の葛藤にあると言います。

此れを考えると人類に共通する心理と考えてもいいかもしれません。

当然フロイドもこの事実を認識させることに努力しました。

この無人との無言の喧嘩は意識の上には現れず無意識状態である為、自覚する事はありません。

雑念として意識されることはあります。

その戦いに於いて自己の正論が通らず、負けが続く結果「不平」が溜まるのです。

正当な戦う相手は居ないにも関わらず、無理やり勝手に敵を作り、その敵と勝手に戦い、負けて「不平」言うのです。

正当な敵では無いと言う意味は、本当に戦う相手は他に居ると言う事なのです。

戦えば負ける相手とは戦わないで、弱そうな相手を仮想的に探して戦っているのです。

それでも勝てないで不平を言うのです。

その具体例は珍野苦沙弥の落雲館事件であり、観客の居ない一人芝居であり、「無言劇」であり、雑念なのです。

漱石はこの雑念を取り除くことに因って苦悩を活力に変えたのです。

一人芝居を自覚する事がその一歩なのです。

しかし、この一人芝居を自覚する事が中々出来ないのです。

妄想に違い無いのですが、妄想であると自覚することが必要なのです。

自覚する力とは命を懸けた真剣勝負だと言います。

落雲館事件とは漱石が解決した雑念なのです。

何時までも不平不満を持っている人は、絶えず「一人喧嘩(ひとりげんか)」をしていると漱石は考えています。

苦しむ事をしたく無ければ、居ない人と喧嘩をしなければよいだけのことに成ります。

珍野苦沙弥の落雲館の学生との喧嘩は「一人喧嘩」と考えられるのです。

イリュージョンであり実際に起こったものでは無いのです。

一度も現実の学生との出会いや喧嘩は『吾輩は猫である』の文字には皆無なのです。

潜在意識の雑念、妄想なのです。

現実の世界で起こっている事実はただの雑音騒音なのです。

現実の雑音騒音をありのままに受け取れば妄想は「生ぜず滅する」こともないのです。

妄想は「生ぜず滅せず」には前提条件があり自然をあるがままにみることです。

学生達の爆笑や叫び声は現実にあったのでしょうが、それは珍野苦沙弥に向けられた「からかい」では無く、学校であれば何処にでも有る日常茶飯事の状況なのです。

現代ではマスク警察が方々に出ていますが、当人にとっては蔓延防止と言う正しい考え方でしょう。

とこらが使いかたを間違うと他人を苦しめるというマスク警察に早変わりするのです。

だから善と悪は「不二の法門」なのです。
 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

夏目漱石の作品からの引用は青空文庫です


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