『夢中問答』第五話:答えは問いの中に
『夢中問答』第五話は、問いの中に答えがあると言う禅の真理を証明した構成になった珍しい具体例になっています。
問いは問いでありながら其の問いの答えであり、答えは答えであると同時に問いであると言う言葉のレトリックが実行されております。
一ページそこそこの短い文章ですが、仏教の思想や哲学とは直接関係なく独立完結した自由無碍の世界を実証しています。
まず本文の概略を説明してゆきます。
問い
お釈迦さんのいた時代のように衣食住にも困る状況の中で修行出来ない人、しばらく身命をたすけて修行せんために、涅槃を求むる事の何が苦しいと言えるのか。
答え
涅槃を求める修行は世慾と異なると言っても、順調に修業が進まず一進一退すれば喜んだり悲しんだりすることになる。
今は足りていてもその先を考えるような雑用心が障害になり苦悩の生活を送れば修行の妨げになりこそすれ助にはならない。
人間の死は明日にも起こるかも知れないのに涅槃を成就するまで待ってくれとは言えない、さて如何するのか。
故人の言うには食事は体の維持に必要なだけで、衣服は寒さを防ぐだけである。
たとえ禅堂の食事は粥と漬物だけでも命を維持するには足りていれば身命を惜しまず修行すれば天の加護により修行の助けになれば衣食は満足すべし。
伝教大師の言うには「衣食の中には道心なし、道心の中には衣食あり。」もしこの名言の意味が解れば道のために涅槃を求める事はなんと馬鹿げたことか。
答えの中の問いとは「衣食の中には道心なし、道心の中には衣食あり。」と言う意味を問うているのである。
此の問いが解かればすでに涅槃の妙用は自由自在に使いこなしていると言うのである。
答えは食べることが修行であると考えては駄目である。
すでに第一話の中にもその問いと答えは提示されているのでよく思い出してください。
参照
『夢中問答』夢窓国師 岩波文庫:絶版
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。