『草枕』論2:ラカンの想像界と象徴界
ラカンの想像界と象徴界はどのような関係にあるのか、どちらが先に存在するのか考えてみたい。
我々は犬やリンゴを見てイメージを意識したり記憶したりする。
そこでイメージが先にありそれをリンゴだと名前をつけたり教えてもらったりすると思っているのではないでしょうか。
我々が目を開ければいろんな物が見える、ところで見えたもの全てを言えますか。
見たものの名前を意識した物しか記憶に残らないのです。
名前をつけないとイメージは見えず記憶されず思い出せないのです。
イメージは名前をつけ記憶しないと一瞬にして消えてしまいます。
日々膨大な物を見ても言葉と関連付けしないと見なかったことと同じなのです。
だから「まず言葉ありき」というのです。
ところが禅ではイメージでも無く言葉でも無く「まず空ありき」といい漱石は『草枕』で次のようにいう。
しかもその経験は「わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横(よこた)わる、一定の景物でないから、これが源因(げんいん)だと指を挙(あ)げて明らかに人に示す訳(わけ)に行かぬ。あるものはただ心持ちである。」といい。
その経験は「稲妻(いなずま)の遮(さえ)ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思う」速さだという。
漱石は詩とか画、音楽、彫刻から言葉や画、音を引いたイメージも意味も無い体験だというのです。
しかし確実にいえることは普通なら気が付かないほどの静かで一瞬の経験であっても過去未来永遠を一度に見ている経験なのです。
だからその経験が漱石の作品の源泉であり、いまなお多くの読者に読まれているすべての小説がその経験を言語化したものであるという。
何のことか解らないと思います、これは漱石の頓悟の経験で、覚醒とか悟りと言われて体験なのです。
ラカンの心の構造でいえば「他者A」と「対象a」が消えてなくなった状態なのです。
「対象a」といえば決して満たされない欲望でした。
まずラカンと漱石の共通する体験から話めましょう。
漱石は「悟り」を得る目的で円覚寺の管長釈宗演老師の「門」をたたきました。
しかしそんなに簡単に悟れるものでは無く『門』で宗助は絶対絶命に陥り次のような心境を述べています。
「彼は後(うしろ)を顧(かえり)みた。そうしてとうていまた元の路へ引き返す勇気を有(も)たなかった。彼は前を眺(なが)めた。前には堅固な扉がいつまでも展望を遮(さえ)ぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦(すく)んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」
まさに引くに引けず進むに進めない窮地に追い込められた漱石でした。
ところがラカンも人生崖っぷちに立たされたことは誰もが知っているところです。
ラカンといえばフランスの構造主義、ポスト構造主義思想に大きな影響力を持った精神分析家でした。
いくつかの波乱はあったもののパリ精神分析学会会長に選ばました。
ところが同協会は内紛状態となり、ラカンは会長職を辞任したのでした。
さらに活動に制限が加えられ絶対絶命は堅固な門に感じられたのです。
ここで思い出してほしいのは絶対他者とは「他者A」に当たります。
会長職の辞任は研究と活動の否定に通じていたのです。
「他者A」を切り捨てることは自己を捨てることだったのです。
さらに命より大切な「対象a」も攻撃を受けたのでした。
この「対象a」がどれほど恐ろしいものであるか身を以って知ったのでした。
「対象a」とは目誉である会長職を捨てなければならなかったのです。
しかし二人は「他者A」と「対象a」を捨てることによって自由の世界を手にしたのでした。
独創性はその自由なイメージによって作られたのでした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。