多くを愛するために、全てを愛さない
今日、みょげによくしてくれる後輩が、そのまた後輩に当たりがキツいらしい、という事がわかったみょげ。
みょげにとってはそんな事をするような子に見えなかったから、みょげは結構ショックだったみょげ。
でも、そこで思ったみょげ。
誰もが、「全ての人にとっての好い人」とは限らない
んだって。
礼儀正しい後輩が、そのまた後輩に当たりがキツいだけじゃない。
一家の主が家を守るために、外では吠えていたりする。
誰にでも優しく見える人が、何股もかけるとんでもない女たらしだったりする。
控えめで穏やかに見える人が、家では暴君やってたりする。
決断力があると言われる人が、人の気持ちを考えろと言われていたりする――。
人は全ての人に好かれることは出来ないみょげ。全ての面が美しい人なんていないからみょげ。
だから、「良い面しか持たない人だけ愛する」とか、「嫌な面があったら完全に縁を切る」ってやってると自分の首がどんどん締まっていくみょげ。
じゃあ、どうしたら良いか?
大切なのは、人の嫌な一面を見たとき、それでその人を全部嫌いにならないことだと思うみょげ。
例えば今回の場合なら、後輩はそのまた後輩への姿はクソかもしれないみょげが、みょげに対する姿はそう悪くないみょげ。だから、
自分に都合の悪くない部分はうまァく利用して、本質に関わる深いところではスッと身を引き関わらないようにする
っていう絶妙な距離を保つよう努めるのが良いと思うみょげ(ちなみに、その悪い面があまりにも反社会的だったり倫理に反するようなものであれば、関わるのを全てやめたほうがいいと思うみょげ)。
……なんか、人の全てを愛せないって寂しいと思うみょげか?
実は、矛盾しているように見えるみょげが、「全てを愛そうとしない」ということが、「より多くの人を愛する」ということのヒントなんだみょげ。
全てが美しい人しか愛せないとなると、それは誰も愛せないということと同義みょげ。
そんなことは、きっといちばん悲しいみょげ。
だから……
誰もが、「全ての人にとっての好い人」とは限らない。でも……
テキトーに、ホドホドに愛することで、たくさんの人と上手くやれるようになるんじゃないか? 少なくとも、みょげはそう思うみょげ。
追記:ま……みょげの場合、人を傷つける人は基本的に赦せないみょげから、今回のことでその子とは絶対的な線を引くことにしたみょげ。でも関わらなくちゃならない時があるから、テキトーにやり過ごすことにするみょげよ。はぁん、世知辛いみょげ……。