アンビバレンス
7月11日、火曜日。カウンセリング4回目。
この日、驚きの発見があった。
「自分を社会不適合者だと言っているが、会話における表情や態度、見た目や質問に対する受け答えなどで、そのような片鱗が見えてこない。」
「社会不適合者なのではなく、社会不適合者"だと思い込む"ことで
人間関係に疲弊したり傷つく事から自分を守っているだけではないか。」
カウンセラーの方にこう言われ、僕はハッとした。
(文だとすごく冷たく聞こえるが、実際はめちゃくちゃ優しく言われた。)
これを言われるまで、本当に自分は社会に不適合な人間だと思っていたし、特別卑下している自覚もなかった。
けれど不思議と、なんの抵抗もなくスッと腑に落ちた。
帰宅後、カウンセリングで話した内容を振り返ってみる。
ちょっと待てよ。
「人間関係に疲弊したり傷つく事から自分を守っている」
確かに言われてみればそうだ。
しかし普段から言っているように僕は
「基本的には他人に興味がない」のも事実。
一見関連しているように見えるこれらの特性だが、ここに僕は違和感を覚えた。
「人と親密になりたい自分」と「近づかれる(=親密になる)のを避けたい自分」。2人の相反する自分が葛藤している。
本当に他人に興味がなければ、そもそも人間関係に深入りしないため"傷つく"こともなければ、
"疲弊"するほど他人と距離を縮めないため、わざわざ自分を"守る"必要がない。
"守る"意識があるという事は、「"自分を守る必要がある状況"に身を置きたい願望が少しでもある」ともいえる。
それはすなわち「他人と親密になる」ということだ。
漠然としている問題点を明確にすることで、カウンセリングをはじめとする治療のクオリティがぐんと上がるのではないか。
そう思い、自分なりに脳内を書きだした。
解決策が見つかった訳ではないが、何となく自分の中で治療の方針や目指すべき方向性が定まった。
次回のカウンセリングでは、どんな発見があるのだろう。
・追記
この矛盾に答えを見つけたくて調べていると、「愛着スタイル」というものを知った。
僕はどうやら「不安・回避型愛着スタイル」というものに分類されるらしい。
詳しく掘り下げたら、またこれについて書こうと思う。
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