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ギラギラ

7月25日火曜日。
昼休み、近所の公園で本を読んだ。

最近読み始めた、岡本太郎の名著「自分の中に毒を持て」
読み始めたばかりだし、難しい事はよくわからないけど
自分の中で沸々としているエネルギーだったり、世間体により抑制されている自分らしさ、メッキを剥がした先に見えてくる(であろうと信じてる)持ち味とかをもっと開放したい気持ちになった。

利口ぶって小綺麗でいようとしてしまう自分もまた"今の"自分らしさではあるけど、
「もっと泥臭くいこうぜ」
そんな風に今の自分に声を掛けたくなるような著書だ。


サムネイルに映っているSEIKO
僕が持っている時計の中で最も長く所有している時計。
グランドでもプロスペックでもないただの逆輸入モデルだけど、愛着がある。

これは今から約13年前、中学の入学祝に父からもらったもの。
当時G-SHOCKやアディダスオリジナルの時計、ice watch(懐かしい)など
派手なものへの憧れが強かった僕は、正直テンションが上がらなかったのを覚えている。

「なんか大人っぽすぎて地味な時計だな」


中学に上がったばかりの僕にとって25歳は、めちゃくちゃ大人だったと思う。
「友達も恋人もいて、車も金も持ってて、何不自由ない生活を送るんだろうな」
当時の僕の未来予想図。キラキラというか、ギラギラ。

そこから回顧録に書いたような学生生活を送り、コンプレックスを通り魔的にまき散らしながら、なんとか今ここまでたどり着いた。

気付けば未来予想図からはだいぶかけ離れた"大人"になった。
かつて憧れていたキラキラ(ギラギラ)した大人にはなれなかったけど
少しだけ自分の身の丈がSEIKOに追いついた気がする。
改めて見るとカッコいい。


実は公園で読書をする直前、昼食を若干食べすぎたことにより吐き気とパニックを引き起こしていた。
それらを鎮めるために、気を紛らわそうと公園に避難してきたという訳だ。

ここ数日、「死んだらその時だしな」と割り切れるようになったことで感覚過敏から解放されつつあり
そのおかげか発作は比較的早く静まった。
(とはいえ発作が起きるたびに毎度絶望に飲まれるのだけど)


父からSEIKOをもらった時の僕に今の僕を目指せなんてオススメはできない
し、今の自分を「大人像」のお手本として掲げるべきではないと思う。

でも、「こういう生き方もあるんだぜ」と教えてあげることはできる。

うつによって"一度死んだ"からこそ、以前まで蔑ろにしていた沢山の当たり前を味わうことが出来る。
友人や家族との他愛もない会話、自己表現に没頭する時間、誰かと通じ合った時の感動、おいしい食事や綺麗な風景。

カッコ悪いけど、そんなに悪くないかなって思う。

もらったSEIKOを箱にしまったまま、夢をギラつかせている13年前の自分がもしこれを読むとしたらこう声を掛けたい。


「もっと泥臭くいこうぜ」






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