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歴史・人物伝~太平記・倒幕編⑧武勇に優れたがゆえに悲劇を生んだ護良親王

歴史・人物伝~太平記編の第8回です。

後醍醐天皇が隠岐へ配流となり、倒幕勢力が衰えるかに思われましたが、天皇に代わって「幕府を倒せ」という令旨(命令)を全国の諸侯に出していたのが、天皇の子・護良親王でした。

親王は幼くして僧籍となり、比叡山の天台座主の地位にいました。もともと学問よりも武芸に長けていたとされ、元弘の変をきっかけに起きた動乱で、僧籍から還俗して倒幕の旗手となったのです。

幕府からは、倒幕を企んだ天皇の子の中で「最も危険な存在」だとして、たびたび命を狙われます。親王は紀伊半島山中を転々としながらも令旨を出し続け、自らも軍を率いて幕府に抵抗しました。

倒幕が達成され、後醍醐天皇の親政になると、功績を認められた護良親王は征夷大将軍に任じられます。しかし、足利尊氏らと対立し、天皇への謀反も噂され、ついには捕らわれの身となってしまいました。

あまりにも武勇に優れていたがゆえに、倒幕後も影響力を保持したかったのでしょう。後継者争いの火種を消したい天皇は、天台座主に戻ることを望んでいたと思われ、父子の思いの違いが悲劇を生んだのだと思います。


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マイケルオズ@日々挑戦する還暦兄さん(フリーランスライター)
noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!