私のとある1年
毎日、毎日YouTubeの動画をひたすら見ていた。
仕事には遅刻もせずズル休みもせずに行ってはいたが、まぁ、とにかく仕事から帰ったら最低限の家事をこなし、あとはただひたすらコーヒーか温かい飲み物を片手に、時々紫煙を燻らせながらずっとMacBook Proの画面に貼り付いて延々と動画を見る毎日。
寒いのが苦手だから、冬場は大抵こんなもんだ。
家から一歩も出ずにインドア娯楽に楽しみを見出し、ひたすら冬が過ぎ去り暖かな日差しが戻ってくることを願うしかない。
それにしても、今年の冬はその度が過ぎた。
まず、NetflixやAmazonプライムの映画やドラマがつまらなく感じて見れなくなった。
以前は海外ドラマ、映画などを字幕で、たまにはその字幕さえ英語字幕に切り替えて原語のまま見るのが好きだったのに、それが5分と続けられなくなった。頭がオーバーヒートしたように、英語の発音やアルファベットの並びの字幕に疲れてしまうのだ。
吹き替えに切り替えたら切り替えたで、今度は理解できる言語の入力がオーバーフローを起こしたようになって、その気持ち悪さに我慢できず10分もじっとしていられない。
邦画は元から展開の怠さにイライラするから見ない。
お笑いやエンターティメントなんて論外だ。あたしゃ松本何某も最近の吉本の人気漫才師も嫌いだった。
そんなくだらない低俗なことやっててよく人気が出るもんだと呆れていた。
スポーツはプロ野球もプロサッカーも敵でしかない。
あいつらは、毎週楽しみにしていたドラマの放送を遅らせたり飛ばしたりする憎い奴らだ。
積年の恨みが今だに尾を引いていて、家にTVがなくなってから十年以上も経つというのに、楽しみにしているドラマなどもう無いというのに、中継を見るたびに憎しみが湧いてくるのだからしょうがない。
こうなるとネット配信で見るものがなくなってしまった。
他に何か、たとえばついつい溜め込みがちになる文具や毛糸、端切れなんかを整理したり、はたまたそれを活用して何かを作ってみたりすればいいのかもしれないが、創作活動に没頭するほど精神の集中が続かない。
能動的に何かするということが億劫になっていて、日々の夕食も手抜きの煮込みや惣菜を買ってきてチンして並べることが多くなっていた。
でも、なにかしなければ時間を持て余す。
息子氏が仕事から戻って来れば、今日あったことを話したり、誰かの噂話をしてみたり、息子氏が今おすすめの漫画なんかを持ってきてくれたりして楽しく過ごせるのだけれど、昼間はいかんせん、一人の時間が長すぎる。
そうしてたどり着いたのがYouTubeの毛抜き・角栓抜き動画だ。
超汚い絨毯を洗うだけの動画やマイクロスコープ撮影の耳かき動画、大きな木の塊を回転させて切り出し器を作る動画にもハマった。
視覚と聴覚からの情報量が単調で少ない。これは映画やドラマを10分と見ていられない頭に丁度いいのだ。
どこに山場がある訳でもなく延々と同じ動作が続けられ、いつ目を離しても構わない。いつ見るのをやめても構わない。
家事に疲れたら見る。見るのに疲れたらちょっと家事をする。
そんなペースで1月、2月の寒い時期をなんとか乗り切った。
3月になって外に明るい日差しが戻ってきても、そのペースは変わらなかった。
4月になって、昨年から始めた三線の会からお花見宴会お誘いのLINEが入ってきた。
と言っても、三線もおおよそ4ヶ月ほど触っていない。練習用の缶から三線のカラクイが折れてしまってそのままになっているからだ。
調弦の時にいきなり折れてしまったのがちょっとしたトラウマになって、先輩から安くで譲ってもらった本式の蛇皮三線の調弦が怖くてできなくなっていた。
寒くなってきたことも手伝って、月一回の練習もサボりがちになっていたのだが、4月の練習の後に持ち寄りでの宴会のお誘いは魅力的に思えた。
リーダーが牡蠣を用意してバーベキューで焼いて食べようと言う。
気候も良く暖かになってきたことだし、気分転換になるかもと参加の返信を返して、久しぶりに恐る恐る蛇皮の三線を取り出してみる。
緩んだ弦を張るのが、怖い。
以前の倍以上も時間をかけて調弦する。チューナーはiPhoneアプリだ。
やっと調弦ができて、唯一弾ける曲「安里屋ユンタ」を弾いてみる。う〜忘れてるし、指もまともに動いてくれない。
やっと弾けるようになった曲だったのに、4ヶ月のブランクは初心者には長すぎた。また、弾けない初心者に逆戻りだ。
缶から三線、軽くて手軽でよかったんだけどなぁ。音が小さいのが難点だけど、音が小さいから夜中でも気にしないで練習できたんだけどなぁ。
カラクイが折れ易いとは聞いていたけど、折れたら中に残った破片をどうやって取り出せばいいんだろう?新しいカラクイはどこに売っているんだろう?わからないことだらけで萎えてしまった。
本式の蛇皮三線なら修理をしてくれる店を知ってるけど、指の練習用の缶から三線も修理してくれるのだろうか?修理代金高いんだろうなぁ。福島まで行くの遠いよなぁ。
あそこの親父さん無愛想で怖いんだよなぁ。
思考がどんどんと暗くなっていくので、早々に三線を仕舞って、無理やり楽しいだろうお花見宴会の方に気持ちを向ける。
普段の三線の練習もそもそも宴会込みなのだ。
日曜の大きな公園の昼下がり、三線の練習とエイサーを踊る人たちの合同練習を2時間ばかりやったら、それぞれにお菓子やビールを持ち寄って、泡盛やら珍しいお酒を持ってくる人もいたりしてその場で宴会が始まる。
昼間からビールを飲んでほろ酔い気分で三線の陽気なリズムに合わせて沖縄民謡を歌う宴会が楽しくて、去年の夏は毎回嬉々として参加していた。
リーダーは、宮古島を愛するミュージシャン。酒好きで陽気なその男の人柄に惚れ込んで集まった人たちの中には、元々は沖縄に縁もゆかりもなかった人も多い。
年二回の沖縄イベントで舞台で安里屋ユンタと遊び庭を弾くのが私達のお仕事。
別にお給料が出るわけでも、名声が上がるわけでもないけどね。みんなとわちゃわちゃエイサーを踊ったり歌ったり、オリオンビールを飲むのが楽しくてやってる。
なんとなく沖縄が大好きな人たちの集団が、私が参加している「風人百人三線」青空教室のメンバーだ。
そんな宴会付き練習に今年はまだ一度も行けずにいる。
なんかちょっと閾が高い気がしたけど、気さくなメンバーの人柄を信じて参加したお花見宴会のその日は楽しくてお酒もいっぱい飲んだけど、翌日はまた、何をするのも面倒でYouTubeの動画を見続ける日に逆戻りだった。
GW直前、実家の庭に去年から作った家庭菜園で育てたニンニクを収穫する。
このニンニクは10玉300円って破格値で買ってきたスーパーのニンニクを去年の秋植えたものだ。
それまで農業なんてやったことなかったけれど、なんか勢いで始めざるを得なくなってしまった家庭菜園では、手間がかからず放ったらかしでも育つ、喰えるものしか植えないってコンセプトでイタリアンパセリやミント、ローズマリーなどのハーブと夏はサツマイモとピーナッツ。冬はニンニクを植えている。
GWの連休中に息子氏に手伝ってもらってサツマイモを植えるために、このニンニクを収穫して畝を作り直さないとならない。
実家に行く気乗りはしなかったけれど、サツマイモは植えたい。
電車に揺られれて30分、そんなに遠くない距離だけど乗り換えは一回。ウチの最寄駅からは車庫止まりの電車しかないから、そこでその先へ行くのに乗り換える。
・・・ハズなのだけど、電車の揺れが気持ちよくてうとうとしているうちにハッと気づくと何故か、戻る電車に座っていた。
いつもなら車庫止まりの駅で起こしてくれるはずの車掌さんが起こしてくれなくて、車庫まで行ってそこで折り返してきたらしい。
慌てて反対側のホームへ行ってやっと実家へ。30分が1時間かかってしまった。
ニンニクはほぼ放ったらかしだった割には、しっかり大きな玉になって合計29個収穫で、お世話になっているお友達にお裾分けしてもまだ余る豊作。
新鮮なニンニクは葉っぱや皮まで余す所なく食べられてみずみずしく美味しいと学習したので、次はさらにたくさん植えると誓ってサツマイモの苗を予約しに行った。
初夏になっても、まだ私のYouTube鑑賞は続いていた。
週に一、二度、実家菜園のサツマイモに水やりに行く以外は毛抜き動画三昧。この頃になるとそこに不動産の内見動画が加わっていた。
真新しい家、古い家、奇抜なデザイナーズマンション、狭小地に建つ家、リゾートマンション、コンセプトハウス、シェアハウス・・・様々な家の様々な間取りを眺めて、自分ならこの家にどう住むかを考えるのが楽しくなっていた。
理想の家は、対面式キッチンの広いリビングダイニングのある家がいい。
結婚していた頃、願っていたのに叶わなかった対面式キッチンは今でも理想の台所だ。
黙って黙々と料理をするのは嫌い。
音楽を流しながら、ワイワイおしゃべりしながら作るのがいい。
自分の身長に合った作業台で作るのはどれだけ楽だろうかと想像する。
日本女性の平均身長が高くなったと言うのに、賃貸住宅の台所は相変わらず150cm台の身長に合わせて作られている。
作業台が高い分には簀を敷くなり、踏み台をおけばいい。けれど低いとどうしようもないのだ。
唯一の解決策は左右に大股開きで立って身長を下げての作業だけど、これは機動性が著しく損なわれるのですぐに止めた。
大して広くもない台所だから、最初に使うものを全部揃えてから作業するわけにはいかない。必然的に冷蔵庫やパントリー、狭くても動線は意外と幅広く動き回ることになる。
丁度いい高さの作業台は料理を楽しくするに違いない。
そして、採光のいいリビングダイニングや寝室も素敵に違いない。
近頃、馴染みのBarのマスターの影響もあってか、多肉植物や観葉植物に目覚めた私は、家にハオルチアの鉢やアロエの鉢をいくつか並べるようになっていた。
そんな植物達が喜ぶ日差しの入る部屋を、どううちの子達で飾ろうかと空想するのが楽しくなった。
蒸し暑い関西の夏をYouTube三昧の涼しいin doorで過ごしていたある日のこと。
突然片付けがしたくなった。
雑多なもので溢れかえっていた居間兼台所兼私のOfficeを業務スーパーで一番大きなキッチン泡ハイターを買ってきて、ゴミやいらないものを捨て、整理しながら洗っていく。
キッチン泡ハイターはすごぶる優秀で、何年も放ったらかしで油でギトギトに汚れていた換気扇フードを一瞬で元の淡いクリーム色に戻してくれた。
玄関先の自転車に立てかけて換気扇フードにキッチン泡ハイターを吹き付けた時の感動は忘れられない。
その感動が私に火をつけて、どんどん普段掃除をしない場所の掃除が捗った。
食器棚の中を整理して、使わなくなった結婚当初からの食器のほとんどを捨てた。
どうせ息子氏と二人暮らしで客も滅多に来ない家だとばかりに、普段使っている食器でも5客セットのうち2つだけ残してガンガン捨てた。
驚いたことに、結婚する前ex-husbandが使っていた食器まであったのでそれも捨てた。
この荒屋に越してきてから一度も洗ったことがない電灯のフードも苦労して外して洗った。
クリームイエローだと思っていたフードが真っ白になったのにはびっくりだね。
Amazonミュージックでノリのいい曲をガンガン大音量で流しながらの3日間。
使ったキッチン泡ハイターは合計一番大きなの3本。
だるい、面倒臭い、何もしたくない、そんな陰鬱とした気分もキッチン泡ハイターが一緒に洗い流して漂白してくれたような気がする。
一年の半分が過ぎようとしていた頃。家出していた活動的な私がやっと戻ってきた感じだった。
何も書けなくなって放置していたSNSに、ポツポツとまた書きたいことが見つかり出した。
そして、9月。
Threadsに出会ってしまった。
昔のTwitterを思わせる文字数制限のあるSNS。
あからさまな広告は少ない。AIがユーザーのネットでの動向を追跡して趣味指向に合う投稿を選んで表示してくれる。
料理のこと、着物趣味のこと、手芸やハンドクラフトのこと、観葉植物や野菜を育てること、Threadsにはたくさんの同好の士がいた。
美味しそうな料理のレシピを真似て見るとやっぱり美味しい。どんどん料理がしたくなった。
たまに浴衣を着る程度でしかなかった私の着物ライフは、着物大好きな人達の投稿に触発されて、買ってから着付け練習にしか着たことがなかった結城紬を箪笥から引っ張り出させた。明日はこれを着てくらま温泉に行く!
親父の見様見真似で覚えた編み物は、新しい編み方を教えてもらえてうれしくなった。年明け落ち着いたら実際に会って編み方を教えてもらう約束もした。
知らない見たこともない種類の植物の写真がたくさん見れて、どの子もかわいい。ウチの子自慢しても、カワイイと褒めてもらえて嬉しい。
農作業の体験や田舎の里山管理を通して地域復興している人達とも繋がれた。
初冬の里山の中の畑に連れて行ってもらって、さまざまな作物やらハーブやらを見せてもらって、蔓なしえんどう豆を蒔くための畝作りをした体験はとても楽しかった。
里山の自然にもワクワクしたし、主催者のカンボジア農業支援のお話も楽しかった。私もいつか行きたいと思う。
暖かくなって里山に山菜が出始めたらまた参加しよう。
今度は息子氏も連れて、農業高校仕込みの息子氏の鍬の腕前を役に立ててやらないといけない。
社会問題、パワハラやセクハラ、女性蔑視、LGBTQ、自然環境とヴィーガン、宗教と信仰、発達障害と精神疾患、アダルトチルドレン、毒親、子育て、税金の仕組みと不条理・・・私がずっと関心を寄せて追いかけてきた社会問題であり、私自身の問題でもあった話題がいくつもそこで議論されていた。
返信型の思考回路を持つ私にとって、話題を振ってくれる誰かの存在は非常にありがたい。
その一言がきっかけになって、記憶の中に蓄積されている経験や知識や考察がこぞって表へ出たがる。
記憶の断片が繋がり、論理的な文章になって指先が綴っていくのを眺めているのはとても楽しい。
どんどん文章が書ける喜びと楽しさを久々に感じた気がする。
レスバトルもするけど、そんなものまで楽しい。どんな屁理屈を返してきても論理的に整合性の取れた反論を返して、ぐうの音も出ないほどに退路を塞いだ時の快感は格別だ。
そうして、コレ。今書いているnoteまで始めてしまった。
年末ギリギリになって始めたnote。
年内に書いた記事は3つ。でも、話題のストックはいくらでもある。
MacとiPhoneとiPadに連携させてあるメモに書きかけの原稿だっていくつもある。
いずれ、もう少しnoteに慣れて読者も増えてきたら、有料記事も書いてみたい。そのネタだって持っている。
外へ出かけることも格段と多くなった。
SNSが外へ出かけることも後押ししてくれた。
SNSで紹介された近畿圏の観光地は、近場なのに美しく楽しい景色が広がっていて、実際この目で見たいと思うに十分だったし、SNSで繋がった仏画の画家さんの出品する展覧会が奈良であると聞いて、法隆寺まで出かけてしまった。
新しく常連となったお店もあるし、誕生日には息子氏奢りでシェラスコを食べにも行った。そんな情報源もSNSだ。
だんだんと毎日が楽しくなっていった。2024年の後半。
そのワクワクは年が明けた今も続いている。
今年はどんな出会いがあるだろう?
何を私はすることができるだろう?
まずは年末の交通事故で負った怪我を治さなきゃだけど、怪我をものともせず、怪我をする前よりも行動的に動き回っている私である。
さて、これを公開したら、着物を着て観音様に初詣に行こうかしらね?
まだ、袖を通したこともないカラシ色の道行きを、今日着るか、明日くらま温泉行きを初袖通しにするかが、目下最大の悩みである。