「結果に執着しない」の意味。本当に自分が求めているものが何かを知る
インド哲学の基本の中に
「結果への執着を手放す」の教えがあります。
これはインド哲学を学んでいてもいなくても、
「結果への執着を手放す」に
ついては
聞いたことがあると思いますし、
その大切さを多くの人が知っていると思います。
でも、そもそも
私たちは
何かしらの「良い結果」が欲しいから、
日々努力するわけで、
その良い結果に執着しなくなったら
努力しなくなってしまうではないか、と
思ってしまいます。
でも、
そういうことではないんです。
私たちが、
何かものごとが
うまくいっていない時、
ネガティブ感情がある時は、
私たちは
「特定の結果にに執着している」
ということになります。
何かが手に入らないと嫌、
何かが自分の思い通りにならないと嫌、
ある特定の状態にならないと
「私は幸せになれません!」という感覚を
持っているから
私たちはネガティブ感情になります。
だから、そこに気づいたら、
まずは
「特定の結果に対する執着」を手放すことが
大切になりますが、
この時、大切なのは、
「結果への執着」がなくなっているという
「心の状態」にしていくこと。
なぜなら、この
「結果に執着していない心の状態」
この心の状態でいることこそが
私たち全ての人の本当の望みであり、
「結果に執着しないこと」という教えの
真の意味になります。
たとえば、
「自分の好きな仕事で生きていきたいな」と思った時、
私たちが本当に欲しいのは、
「自分の好きな仕事で生きていくこと」ではなく、
それが手に入っても、入らなくても、
私は幸せで、満たされているんだ、という
「この心の状態」そのものが欲しい、が
本当の望みです。
つまりは、
何かが手に入っても、入らなくても、
私は十分なんだ、という
無条件の「愛」と「赦し」の状態であることを
私たちはひたすらずーーーーっと望んでいるということ。
ここがポイントになると思います。
もしかしたら、頭の中では
無条件の「愛」や「赦し」などを
求めていない、と思うかもしれません。
でも、
私たちは、
今よりもよくなりたい、
今よりも心地よくいたい、
今よりも気持ちよくいたい、
その「気持ちよさ」を手にいれたいがために、
外側に色々なものを求めます。
お金、遊び、仕事、パートナー、人間関係などなど、
なぜ欲しいか、といえば、
ただただ、
この「気持ちよさ」を味わいたいから。
「気持ちよくなるために」
私たちはあらゆるものをなんとか手に入れたくなります。
では
「気持ち良い」の心の状態とは
どういう時に起きるのか。
心地良さとは、
本来の自分(内なる自分)と繋がって、
そこに抵抗がない状態、
内なる自分と一致して生きる状態、
これを私たちはいつも求めています。
そして、一致して生きている時、
私たちは
私はこのままで十分なんだ、
このままの私で十分に価値があるのだ、という
無条件の「赦し」や「愛されている」という
感覚を持つことができます。
あなたはそのままで十分素晴らしいよ、
今のまま、そのままであなたは価値があるよ、
という
無条件の「愛」、無条件の「赦し」を
私たちは生まれてからずっと求めていて、
それが内なる自分と一致している状態で
それが最高に心地が良いのです。
ですから、
私たちは生きていく上で、
何か結果を手にすることを
ゴールにするのではなく
自分に対する
無条件の「愛」と「赦し」の中で
内なる自分と一致してい生きるを
ゴールにすることが大切になります。
この状態にいつづけることで、
外側に関係なく、
私たちは幸せでいられます。
その時、
外側の世界が変化してきたように観えてきます。
そうなると、
私たちは、
外側に対する行動もかわってきます。
観えているものが変わりますから、
行動が自然と変わります、
だから結果的に外側の世界がかわっていきます。
この順番に世界が変わっていきます。
だから
「結果に執着をしない」は
結果に執着をすると、
本当に自分が求めているものが観えなくなりますよ、と
5000年も昔から、
教えてくれています。