スルーする力を、あえて身につけない選択。
疑いたくはないけれど、
疑わざるを得ない。
今は、
そんな時代なのではないか。
・友達の言っている体験談
・SNSから流れてくる情報
・本に書いてある知識
など、
参考にするのはいいだろう。
一方で、情報を鵜呑みにしない。
そんな自分で在りたいと
思わないだろうか。
「なぜそうなんだろう」
常に疑問を持ち続けなければ、
気持ちが潰れてしまうような気がする。
情報を受け取りすぎない。でも。スルーもしない。
常に疑わなきゃならない?
それこそ、落ち着かない!
と、感じる人もいるだろう。
なぜなら、「考える」とは
実に「めんどうくさい行い」だから。
「〇=▼だよ」と言われて、
ああ、そうなんですね。
と、すんなり納得するだけって、ラクだ。
一方で、
「いや、本当?」
「それっておかしくない?」
「うーん。なんかしっくりこない」
と、疑問をもつ。
何が?
誰が?
どうやって?
なぜ?
と、掘り下げていく。
すると、
「自分なりの結論」が出るだろう。
手帳でも、noteでもいい。
まずは、疑問を言語化してみよう。
これは「ビジネス」ではない。
だからこそ、
いきなり結論がでなくてもいい。
例えば、
「家を片付けたらお金が貯まった!」
という体験談は本当か?と疑ってみよう。
片付けたら、お金がなくなった!と
言っている人もいるんじゃないか?と。
モノを捨て過ぎて物足りなくなり、
インテリアや収納に凝りはじめて
支出が増えた!なんて人もいる。
(過去の私だ。)
片付けでお金が貯まった!は、
単なる「結果」に過ぎない。
「片付けでお金が貯まる」と
断言されると、
あたかも「本当の情報」のように
聞こえるだろう。
断言を疑おう。
視点を変えれば、解釈も変わる。
この時代の逆をいく。
私は何らかの情報を受け取ったら、
疑い、考え、仮説を立てます。
そして、実際に試してみるのです。
4年以上家の中を片付けたり、
専業主婦から起業してみたり。
もっとお金を投資することで、
早くゴールにたどりつける可能性はある。
そう分かっていても
あえて小さく始めて、時間をかけて、
試行錯誤しました。
自分なりの「結論」が出るまでの
過程もnoteに書いてきました。
私がほとんど「断言」をしないのは、
個人的な体験談に過ぎないから。
自分のことを「マネしてね」とも
思っていないし、
自分が正しいとも言いません。
ただ経験に基づいた「自分の意見」が
あるだけです。
スピードの速い時代だからこそ、
自分の答えを見つけながらゆっくり進む。
「やらなきゃ」に追われたくないから。
「今」を、見失いたくないから。