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歴史に残る日本三大悪女。

日本三大悪女、みなさんはご存知ですか?

今回はその不名誉なラインナップに名を連ねた、豊臣秀吉の側室、「淀殿」についてです。


淀殿は、信長の妹 市と、浅井長政の長女で、豊臣秀頼の生母でもあります。

父と兄を伯父 信長との戦いで、母 市とその再婚相手である柴田勝家を秀吉との戦いで亡くした後、皮肉にも仇である、秀吉の側室となったという、波乱万丈の生涯を送りました。


彼女が稀代の「悪女」と呼ばれるようになった、一番大きな理由としては、大阪の陣で徳川家康に抵抗したことで、結果、豊臣家を滅亡に導いたことでしょう。


絶対的権力であった秀吉の死後、徳川家康の台頭に伴い、淀殿・秀頼母子の立場は急速に揺らいでいきました。

関ヶ原の戦いの後には、家康の優勢は圧倒的なものとなり、豊臣家の領地も大幅に減らされ、フツーの大名に格下げされます。

さらに徳川秀忠が徳川幕府の二代将軍に即位し、幕府の世襲による存続が明らかになると、ついに我慢の限界。

「天下の豊臣家をさしおいて何事か!」
と激怒、全面戦争の構えをみせます。

そして1614年、ついに大坂冬の陣が勃発。

淀殿はみずから武装して陣頭にたち、指揮をとり奮闘しますが、大坂城天守閣が砲撃を受けることになります。

これで一度は態度を軟化させ講和をしましたが、幕府からの大坂城退去に豊臣家は抵抗。

結局徳川家との武力衝突を再び選択した淀殿は、この大坂夏の陣において秀頼と共に果てました。

こうして結果的に豊臣家は滅亡してしまったのです。

さらに秀吉の正室である北政所とはものすごく不仲で、この関係が関ヶ原の戦いの発端の一部では、とまで。 

真相はわかりませんが、淀殿が歴史の大きな出来事に関連していたのは間違いなさそうですね。


それにしても、女手ひとつでひとり息子と豊臣家を守るために最前線で戦った淀殿。
とても強くたくましい女性ですね。

個人的には三代悪女と言われるほどでは、、と思いますけどねぇ。。
(他にもそこらへんにゴロゴロいますからね。。悪い女。)

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