鉄塔の美女をみつめて
港で、パンを食べる。
それが旅一番の目的だった。
目的地は神戸。
かつて長年続いた鎖国を終わらせ、
日本が異国にその重い扉を開いた5つの港の1つ。
異国の文化の玄関口。
私はそういった歴史を感じられる街が好きだ。
古いものと新しいものが混ざった街は、
どんなところも歴史の匂いが感じられて好きなのだ。
そしてそこに異国というスパイスが含まれると、それだけで私にとってはさらに魅力的なのである。
では、なぜ港でパンを食べるのか。
それは数年前に訪れた長崎でのことだ。
たまたまその日の朝食を、ホテル近場の人気のパン屋さんで購入することにした。
それから、まぁ、せっかくだから海でもみるか、とふらふら港に行き、その隅に腰掛けてパンを食べた。
そして感じた。
広い。
空も。
海も。
山々も。
全てが広い。全てが大きい。
なんだか、この街にすっぽり包み込まれてしまいそうだ。
あぁ。私はいま、この長崎の街の一部なのだ。
そう思って胸がふるえた。
そして、そんな中で食べたレーズン入りのハードパンが、なんだか何倍も美味しく感じられた。
その経験が私の心に深く残っていた。
だからもう一度、私の好きな異国情緒あふれる街の港で、ゆっくり景色とパンを味わいたい。
せっかくなら、まだ行ったことのない街にしよう。
そう考えて、長崎や横浜のように西洋と中華の文化が混ざった港街、神戸を選んだ。
一泊2日の旅だった。
だけど、中身の濃い旅だった。
ハイブランドが立ち並ぶ旧居留地は、
それにマッチした古い石造りの建物がところどころに点在している。
なかには増築したスマートなビルがその上にのっかっていたりと、古いと新しいが調和した美しい地区だった。
夜は街路樹がライトアップされ、まるで宝箱を開けたかのように眩しかった。
北の異人館街は、坂の上の街だ。
一歩一歩登るにつれて、息は上がるし脚も悲鳴をあげたけど、一歩ずつ一歩ずつタイムスリップしていくような、そんな不思議な感覚を味わった。
時代を感じる西洋の様々な屋敷は、外観だけでも「わあっ」とため息がでるほど魅力的だった。
なかでも一番高台に位置するうろこの家は、タイムスリップのゴール地点のようで、見事なものだった。
年代を感じる屋敷内の調度品が、その気分をさらに高めてくれる。
そして食卓の壁に飾られた、微笑みを浮かべて食事を楽しむ外国の子どものモノクロ写真を目にしたとき、
(あぁ、この子たちはここで大きくなったんだ…)
と、屋敷に息づく人々の歴史に思いを馳せた。
その他に、ロープウェイで行く山の布引ハーブ園では神戸の街を一望し、
港でクルージングをして海からの景色も楽しんだ。
しかし、中華街には足を運ばなかった。
もちろん、当初は食べ歩きをするつもりでいたのだが、それとともに、今回はあまり予定にこだわらず「その時の気分で旅をする」とも決めていた。
というのも、ふだん私はガチガチに旅行スケジュールを組んでしまう人間なのだ。
しかし、それになんだか疲れてしまって、今回は大まかなところは決めつつも、あとはその時の気分に合わせて彼と相談し、彼にちょっぴり甘えながら行く場所を決めていった。
そうしていたら、けっきょく中華街には足を運ばなかった。
もし行けていれば長崎・横浜・神戸と、日本三大中華街を制覇できたが、それは次回の楽しみにしよう。
そんななか、途中別の場所に行きつつも、気づけば神戸のシンボル「ポートタワー」がある港方面には何度も足を運んでいた。
クルージングに、タワーからの夜景見物。
そして、港での朝ごはん。
これが、重要。
神戸はパンも有名なので、どのお店にするか迷ったが、ネットでみた中でホテルに近く、一番お店の写真が魅力的に見えたパン屋さんに行くことにした。
朝8時。
開店したばかりのそのパン屋さんで、それぞれ好きなものをじっくり選ぶ。
それから、途中のコンビニでカフェラテとコーヒーを買って、いざ港へ。
どこで食べようか。
少しぶらついて、メリケンパーク内にある「神戸海援隊」という、モアイ像のようなモニュメントの近くのベンチに腰を下ろす。
光り輝く海を背にしてそこに座ると、ポートタワーがよく見える。
「鉄塔の美女」
それがポートタワーの別名だ。
たしかに、鼓をすっと縦に伸ばしたような姿は、そのくびれからまるで真っ赤なワンピースを着た女性に見える。
333mの東京タワーと比べると、108mとけして高くはないが、それがまた可愛らしい。
そして、秋晴れの広い青空にその赤が映え、とても美しい。
(こんな真っ赤なワンピースが似合う女性は、
きっと自信に満ちた人なんだろうなぁ…)
そんなことを考えながら、私は目の前にそびえ立つ彼女をじっと見つめた。
それから、綺麗に整備されたパーク内に目を向ける。
そこには、ベンチに寝転んでラジオを聴くおじさんや、
中国語のTシャツを着てジョギングで汗を流すマダムに、
ベビーカーを押しながら散歩を楽しむ若夫婦。
みな、思い思いに過ごしている。
いろんな人がいるな。
これがこの街の風景で、みんなこの街の一部なんだなぁ…
そう思って、ふと気づく。
こうやって港でパンを食べている私だって、
いまこの瞬間、この街の一部なんだ…!
と。
そう思うと、なんだかちょっと嬉しくなった。
それから、もう一つのことに気づく。
私たちがいるベンチから北に少し進むと、
そこには阪神・淡路大震災の爪痕をそのまま残した場所がある。
洋風の街灯が斜めに傾きながらも、倒れず立っているのが印象的だった。
その街灯を見たとき、私はそれから目が離せなかった。
それも、この街の一部なのだ。
鉄塔の美女がこの街に現れたのは、1963年のことらしい。
1868年に神戸港が開港したことを考えると、
彼女はおそらくその当時のことは知らない。
だけど、いまから約30年前のことは知っているはずだ。
自分と同じくまっすぐ立っていたあの街灯が、
なぜいま斜めに立っているのかを、彼女は知っているはずだ。
私がこうして彼女を見つめるよりももっと熱い眼差しで、
彼女はきっと神戸の歴史と未来を見つめていくのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?