音楽は、見えない世界を表現すること
こんにちは。
金曜日は、ピアノや音楽をテーマに書いていこうと思います。
ピアノ講師である一方で、
祖父がお坊さんだった、というご縁もあり、
なぜか「心(見えないもの)」にもすごく興味がある。
一見、別々のように見えますが、
きっとつながっているんだと思う。
音楽を演奏することは、心を表現すること。
音楽家がどうして心を整える必要があるのか・・・。
美しい音楽を演奏する、ということは、
その人の内面の表現である、ということ。
心で演奏しているような感じ。
”心”の状態がそのまま音楽にあらわれるから。
だから私は、「見えない世界」を深く深く知りたいと思っているのだと思う。
”美しいもの”を見たい、と思うのは、
人間の本能によるもの。
人間だって、心が汚い人よりきれいな人に好意を寄せる。
自然も、芸術も、身の回りのものも、
”きれい”と思うものに惹きつけられる。
その”きれい”の概念は、人それぞれかもしれません。
”きれいなもの、美しいもの”を知ることで、
”汚いもの、醜いもの”の存在を知ることができる。
この世の中は、二極性の世界。
どちらか片方だけあるわけではないのです。
両方でセット。
だから両方を”知る”必要があるのだと思う。
私は、”自分の内面を知る”ために、
きれいなものを積極的にインプットしようと意識的に実践しています。
そうすると、イヤなことや嫌いなことも同時にわかってくる。
このイヤな部分は、私の中の”きれいな部分”を思いっきり浮き彫りにしてくれているんだ、と今は歓迎できていますが、
これがわからないと、
ただイヤだからどっか行って!と自分の中から追い出そうとしてしまう。
追い出そうとすればするほど、それは追ってくるし居座ります。
だって、執着しているから。
イヤな部分、嫌いな部分があることを認めて受け入れていくと
自然と存在が薄くなっていくのです。
(決してなくなることはないのですが、薄くなる感じ)
頭に入れる情報も、目に映すものも、
できるだけ自分にとって”よいと思うもの”を入れるようにしています。
そうすることで、内側から自分がどうありたいか、
という願望がすーっと浮かんできて、そうなろうと意識することができる。
そうして、”自分という人”を表現しているのではないかと思うのです。
他人の言動を見て、
「イヤだなー、こんな人にはなりたくないなぁ・・・」と
ただ思っているだけでは、変容は起こらない。
「自分にもこんな一面があるんだ」
ということをまずは受け止め、認める。
そうして、すーっと手放すとそこから変容は始まる。
学校教育では絶対に教わらないこと。
心の探求と、その人の個性を育てること。
心の豊かさが、美しい音楽を表現するキーポイント。
不思議な感覚ですが、
ピアノを弾いている時は、時空を超えているように感じる。
(時間というものがなくなったような感覚)
音楽は、「時間芸術」と呼ばれています。
これはAパートからBパート、そしてAパートの再現(実際は全く同じではなく変化がともなったAパート、あくまで再現であること)そしてコーダといったように、場面を順番に進んでいくのが音楽です。
常に変化しているのが音楽。
なので、時間という概念からは切り離せないのですが、
この世界のいう「時間」とはちょっと違う感覚のような気がします。
またこのことに関しては記事にしたいと思っています。
時間は過ぎていくけれど、
音楽は、「いま、ここ」を瞬間的に表現するものだと
わたしは認識しています。
だって、わたしたちは「いま、ここ」しか生きられないんだから。
音楽も、「いま、この瞬間」しか生きられません。
過ぎたものは、記憶にすぎないのです。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。