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自分自身を道標に、能動的な人生を生きていたい。 〜「夜の道標」を読んで〜

芦沢央さんの「夜の道標」を読んだ。

単なる軽やかなミステリー小説なんかじゃない。
人間が抱える苦悩が描かれた、とても深い物語だ。

苦しみの中にいる時、人はつい、自分以外の存在に人生を委ねてしまいたくなる。

占いに頼ってみたり、転職の判断をよく分からない会社に委ねてみたり。
大体そうやって責任を放棄した決断の中では、その後の人生はうまく進んでいかない。

自分で決断することを大切にしたい。
それは苦しみを伴うけれども、他人の言う通りにしてうまくいかなかったやり切れなさに比べたら、まだマシだろう。

物語に登場する人たちは、皆ある意味で道標を見失っていた。
真っ暗な世界で他者に依存することで、良くない結末を迎えているとも言える。

自分だけを道標にして生きていたい。
自分がどうしたいか。
それを自分で決断したんだという責任感と共に、人生を歩んでいく。

誰が決めたわけじゃない。
自分で決めた道だ。

苦しみは尽きない。
本書を読んで、多くの苦しみに触れて、その実感は増した。

だけど逃げたくはない。
苦しいから放棄するのではなく、苦しみの中でも、自分を道標にする勇気だけは最後まで持ち合わせていたい。

これからも人生は決断の連続だ。
やること、やらないこと。
どうやって生きていくか。
決めることがたくさんあって、嫌気がさす。誰かに丸投げしてみたくもなる。

でも、自分の人生だから。
きっと自分を道標にした人生の方が、何かを達成できた時に得られる喜びは大きい。

差し当たり、私の今の人生においては「子育て」が大きなテーマになっている。
本書でも親子の関係に悩む姿が描かれていた。
だけど苦しみだけじゃなく、それを超える喜びも大いにあると信じている。

子を持つか、持たないか。
道標は他人に委ねない。
社会やネットの声なんて気にしない。

私の道標は私だけだ。
私が思うように、導かれるように、強く生きていたいと思う。

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