白夜行 東野圭吾
好きな小説、好きなドラマ、好きな映画
全部にラインナップするのがこの白夜行(東野圭吾)です。
ドラマDVDは20歳の誕生日に自分へのプレゼントとして購入し、そこから毎年クリスマス時期に見返しては号泣しています。
正直、好きすぎて自分も引いていますし、周りも引いています。
出会いは実写化のドラマ。木曜日 21時枠。
綾瀬はるかと山田孝之の共演でした。
(セカチューの次の作品でしたね。)
当時中学生だった私にはとてもショッキングでした。
これを見終えたとき、重たすぎて心にぽっかりと落とし穴ができたんです。
この落とし穴、今でも落ちることがあって危険です。(笑)
私の最初印象としてはこの物語は「純愛」でした。
東野圭吾の作品には「献身的な愛」が表現されることが多いと思っているのですが、白夜行はその特徴が強く出ていると思います。
そして中学生の私はひどく影響受けてしまい「ここまでしてくれるのが愛だ」とか思い、さらには、雪穂の逞しさに憧れてしまってました。
(笑いごとでなく本当に危ない考えです)
さすがに現在はこの物語は純愛なんかじゃないと考えは改まっています。
真っ直ぐなのに、ゆがんでいる。
ゆがんでいるのに、真っ直ぐ。
だから夜なのに明るい現象「白夜」という文字が付いたこのタイトルはとてもマッチしていて、興奮ポイントです。
大人になってこの物語を見ると、この2人にイラつくことが増えたり、親からの愛情の重要性を深く考えたりします。
(どこからがネタバレなるのか…ドキドキなのであまりかけない)
物語関係なく、今の日本だと子供達の「未来」は「生まれた環境」に大きく左右される事は間違いないですね。
親は子を選べないし、子供は親を選べない。
そんな当然のことを負に感じてしまった人は何かしら辛い経験をしているのではないか、と思ってしまいます。(勝手ですけど)
前に書いた「持っている人、持っていない人」の記事に繋がるけれど、
生まれてきた環境に疑問を持たなかった人たちがこの物語を見てもきっと気付けないポイントが多くあるように思います。
気づけた者同士は、もしかしたら同じ様な傷を味わった事があるのかもしれませんね。
共感、共鳴が正解とは言えませんけどね(笑)
ドラマではかなり感情を揺さぶる演出が多いです。
なんてったってあの森下佳子の演出ですもの。
(森下さん演出のドラマ「わたしを離さないで」で綾瀬はるかの「やったのは私よ」という白夜行でも言っていた台詞が出てきた時、私はもう大変でした(笑))
一方、小説は心理描写は一切ありません。読みながら自分の頭で書かれている「事実」を組み立てていく必要があります。
文庫本で厚さは約3cm。
厚い方だと思いますが、驚くほど速いペースで読み切られると思いますよ。
なので、ドラマと小説とでは、考察であったり、別視点といった見方が面白いです。
何より白夜行の小説を読んだら、やらないといけない事が決まっています。
それは続けて「幻夜」を読むことです。
ふふふ。
ああ。好きなものについて書くって、もっとこう…スラスラ行くのかと思えば丸2日かかりました。
今回も最後まで読んでくださりありがとうございます!