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『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』岡野八代|読書記録 05

読書記録5冊目。
今回は『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』を取り上げます!


『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』とは

「ケアの倫理」、みなさんご存じですか。
キャロル・ギリガンの『もうひとつの声でー心理学の理論とケアの倫理』にて提唱された道徳判断、思考様式のことです。
(私もケアの倫理に触れたのはこの本が初めてでした。)

日本では、『もうひとつの声でー心理学の理論とケアの倫理』の邦訳本が昨年度出版され、最近では『ケアリング・デモクラシー』(ケアの倫理の主要な論者であるトロントの邦訳本)が出るなど、一気に流れが来ている(逆に言えばやっと来た)考え方のようです。

岡野さんによる『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』は、この「ケアの倫理」の出発点から現在までをまとめて、現代においてどのような意義があるのかを提唱している本となっている。

「ケアの倫理」は女性たちがケアを一手に引き受けてきたことへの批判、女性の声が社会で聴かれてこなかったことへの批判に端を発し、女性の声を聴くことが社会において意義あることだと主張し、どのような声であるかを明らかにしようとしてきた。

岡野によれば、ケアの倫理が呼びかけることは、

例外なくひとは他者の応答の中で身体的、精神的なケアを受けつつ生きている。具体的でかつ傷つけられやすい存在である事実を認めそこから社会を構想しよう。

ということのようだ。

一般的にケアを言われて描くような育児や家事、介護といったケアの担い手が女性であったことへの批判から始まり、ケアの過程では何がなされているのか、そしてそこには社会で認められていないどんな価値があるのか、それが配慮や思いやりといった広い意味でのケアにも広げると、一つの倫理として成立してくることを明らかにしている。

そして、この本では、「ケアの倫理」が「誰も取り残されない社会へ」向けて、いかに意味ある考え方であるかを明らかにしている。

ケアの倫理は、今ここにいる人へのケアから、遠くにいる人、さらには社会や地球へのケアまで拡大されて論じられる。

これが求めていた考え方だ!、、?

私はこの本を読んで、これが求めていた考え方だ!!大感動!!しつつ、いやいや、、?とも思った。

個人的には「ケアの倫理」の意義は2点だと考えている。
1点目に、できるか/できないか、やるべきか否かではなくて、いかにやるかから考えるべきと主張していることだ。
トロントによれば、ケアの最初は「関心を向けること」である。そして次に「配慮すること」である。私の解釈によれば、これはケアのニーズを相手の視点から見えている世界の中で見ようとして、かつそれを達成するための責任を引き受けることに決めることである。「困っている人がいるならそれを解決するためにどうするか考えよう」と言っているのだと私は思う。
困りごとがあるとして、それを解決できるか否かやインパクトがあるかどうか、優先順位が高いか否か、なんて考えるべきことではなくて、困っているなら解決した方がいいんだからどうやるかを考えるのみだろう、といっているのだと解釈している。ケア責任やケアサービスをどれくらい提供するべきか、ニーズに対してどれくらいのケアが提供しうるかを考えるといったことばかりの社会において、「いやいやニーズを満たすために全力になろうぜ」と言っていることに、本質的であり、人間らしい考え方を論理的に示していることに意味があると考えた。

2点目に、他者を広げていこうとしている点である。女性の声が聴かれなかったことに端を発した論理だが、決して「女性の権利を踏み潰す男性許せない!女性を優遇しろ!」なんて言っているようなものではない。私はフェミニズムはすべての人に対してとてもとても優しい思想だと考えている。社会の中には聴かれていない声があることを示して、その声を聴くことで社会がよりよくなるかもしれない、と言っているのだと思っている。そこに気づきを与え、みなで”他者”を広げていこうとしていることに意味があると思う。

とはいえ、「そんなことみんな分かっているんだよ、でもできないから今があるんじゃないか」といった堂々巡りの結論に至る気もする。
結局現実を見ずに、理想を語っているだけではないか、にいかに反論されているのか、責任論等から論じられている「ケアの倫理」の勉強もしていこうと思う。



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