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母が「SOS」出したら周りもほっとした
適切にSOSを出すことも社会人として求められます。
力不足であればSOSを早い段階で出す。
私は仕事でもそれが苦手だったんですが、「母」という役割では特に苦手でした。
「みんなやってるし、もっと大変でも上手にやってる人たくさんいるし」
好きで生んだから、母なんだから弱音を吐いてはダメ。頼ってはダメ。
そして先日、また命を授かりましたが、切迫流産のため、自宅安静することに。
つわりもきつく、保育園から帰ってきた上の子二人のお世話をするには限界でした。
実家の家族LINE(両親、兄、妹、夫)に「どなたか夕方ヘルプ」
と初めて情けない言葉を送りました。
送ったままぐったりしていると、こどもが
「ママごはんはー?」
「ちょっ、、、無理です。今動けません」
「じゃあ、私しとくね」
年長の娘がてきぱきと準備を始め、キュウリにつけるオーロラソースも作り始めました。(料理は朝、夫が作ってくれていた)
「ママー、おちっこちたー」
と、次女がいうと、長女が雑巾を持ってきて床を拭いて、着替えさせてくれる。
後光が差して見えました(笑)
そこに「ピンポーン」と音が鳴り、近くに住む妹が仕事帰りに来てくれました。
フルタイムで働いてお疲れなのに、すぐに来てくれてありがたい。
その後両親も来てくれて、子供たちも嬉しそう。
それぞれ、家事、育児、進めれなかった仕事を手伝ってもらい、いつもは間に合わなかった20時台に子供を寝かしつける所までたどり着きました。
一人で抱え込むと、子供にあたり、疲れ切って、寝かせる時間が遅くなり、自己嫌悪になり負のスパイラル。
人に頼ると感謝の気持ちになり、子供も自発的に動き、色々な大人に話せてニコニコ。
私が動けなくなり一週間以上たっていましたが、夫と両親は仕事を抱えながらのフォローに負担が大きくなりすぎていました。
今回「SOS」の枠を広げてみると、負荷が集中していた人たちがほっとしていたのが印象的でした。
同じように「父だから」「両親だから」「支えなければ」と大変ですよね。
LINE上で兄も加わり、曜日ごとに無理のない範囲で誰かが手伝いに来てくれることになりました。
以前兄に言われたのが「何か手伝いたいと思っても、何をしたらいいかわからんよね」という言葉でした。
せっかく助けようとしてくれる人がそばにいても、言わないとわからない。
格好悪い気がして言えなかったけど、母親が完璧になろうとせず広い範囲に助けを求めるのは、とても大事なんだと痛感した出来事でした。
みんなで子育て、、、、していいんですね。