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人より遅くなってしまった上京物語(27歳編)
私はかなり田舎に住んでいるので、遅くても30代前半では結婚して子を産む…という平凡な考えの大人が多い地域なのです。
27歳の冬、私は両親に突然の告白をしました。
「もっとスキルアップしたいので、東京に行かせて欲しいです」
地方都市で理容師として働いていたのですが、どうしても東京で働きたくて…諦められず。
両親は驚いて、「みんな結婚して子供産んでるのに、何で今から東京なの?」
東京で職人として働いていた父は
「東京はそんなに甘くない。テレビで見ている東京の生活できるのは夢だ。」と言われました。
父が東京にいた頃は景気のいい時代で、いい生活をしていて、帰ってくるつもりはなかのに家の都合で帰らざるを得なくなったのです。
「わざわざ今から東京行くよりも、年もとし何だから、良い人と出会って結婚した方が良い。」
と東京を知る父は反対でした。当たり前だと思います。
私だって、子供に30歳目前でわざわざ東京に行くなんて言われたら大反対します。
そんな中、母は違いました。
「あなたはやってみないと諦めない性格だから、行って来なさい。」と言ってくれたのです。
父を説得するのに時間がかかり、私が上京できたのは28歳の5月でした。
右も左もわからないまま東京駅に着いた私は、
ワクワクと不安が入り混じり、緊張しながらアパートへと向かいました。
東京での生活が始まり、すぐに甘いものではない事を実感する事に…
父を納得させられるようなお店で理容師として働くことができなければ、家には帰れない。
東京に行く意味のあるお店を見つけるのは本当に大変でした。
1年間はパン工場や新宿の一流ホテルでバイトし
ながら、ハローワークに行くという生活が続きました。
どちらのバイトも真面目にやっていたので、
「このまま働きませんか?」とありがたいお言葉をいただきましたが、なぜ私が東京に来たのかの意味を自分に問い、
「理容師のステップアップの為に東京に来たので申し訳ありません。」と断りました。
東京での知り合いも出来、本当はそのまま働いて、慣れた所にいたかったですが、
父の顔がちらつき、泣く泣くお断りしたのです。もう意地でした。
どうしたらわからない日々を過ごしていたある日、姉から突然の電話が、
「1年もって会ってないからお父さん、酔うとあなたの事心配しているよ。」
「携帯の連絡先の名前見ると、もう1人娘いたな…。」なんて言ってると伝えられました。
自分のどうにもならない状況に、友達もいない東京で1人涙した事を今でも鮮明にに覚えています。
シラフでは絶対本音を言わない人だから、申し訳ないと思いながらも、私も私で結果を出すまでは家には帰れないと思い、父には1年間連絡もしなかったのです。
我慢した日々、神様のお導きか…住んでいたボロアパートの近くに技術の素晴らしいお店があることを、田舎に住む姉がネットで見つけ連絡をくれたのです。
すぐに行動にでました。やっとこの時が来た!と体が勝手に動いていました。
そして、そこには本当の素晴らしいが技術ありました。新卒しか採用しないというオーナーに
精一杯直談判し、どうにか働かせていただけることに!
やっと家族への連絡ができるようになったのです。
やっと東京に来た意味を見つけられたのです!
その毎日は、今までの理容師人生とは(17年は地方での歴があったので)180度違う日々でした。
毎日忙しく、休みもほぼ無く、睡眠時間3時間ぐらい。とても刺激があり、充実した日々でした。
忙し過ぎて、眠過ぎて、ご飯食べるひまもないくらいですごく痩せました…
痩せ過ぎてブラジャーするの忘れた自分には笑えましたけど(笑)
毎日充実した日々、忙しい毎日でしたが、私も父のように家に都合で帰らなければなくなりました。
あのまま東京にいれたら今頃どんな人生だったかなぁ…と思う事がいまだにあります。
6年ほどの東京生活でしたが、毎日が濃い日々でした。
今住んでいるこの町では決して味わえない経験をさせてもらう事ができたのですから、両親に感謝です。
東京での生活は、人生の財産となりました。
あの日々を頑張れたから、多少の事は何でもないようなちっぽけな事のように思えるくらい、強くなりました。(子育て以外は)
ホームシック、孤独、技術の未熟さ、人間関係…
たくさん経験し、いろんなものを見て来ました。
現在は子供が2人いますが、高齢で産んだため、キツイ事多いので、あの頃の仕事のキツさの方がましだなーなんて思います。
自分のやりたいこと、頑張りたいこと、仕事での辛さは自分ががんばれば良い事なので頑張れますが、子育てだけはそうはいきません。
仕事に生きたい私には、はっきり言って苦しい日々です。
月日が経ち、子供達に助けてもらうことも出て来ました。
子供の成長を応援し、やりたい事をあきらめずに進んで行けるよう、背中を押してあげたいと思います。
あの時、賛成してくれた母のように。