理想のレビューは「作品の愉しみ方」を教えてくれるレビュー
他者の感想やレビューを「読者目線」でどう活用しているのか…↓
「物書き目線」でどう役立てているのか…↓
というのは、過去記事で書いてきましたが…
それを踏まえて、結局「理想のレビューとは何なのか?」――自分の中には、ぼんやりとした1つの答えがあります。
■自分の知らない「独自視点」ほど面白く役立つものはない
実を言うと自分は「まだ読んだことのない本」の感想・レビューより、「既に読んだことのある本」の感想・レビューを読む方が好きです。
…と言うより、他の方の「考察」を読むのが好きなのです。
ネットというのは「集合知」の世界です。
1人1人の知識は限られていても、そこには必ず「他の人間が知らない」ようなディープでマニアックな知識を持つ人間が存在します。
あるいは「他の人間では気づけない」ような鋭く尖った視点を持つ人間が存在します。
そんな「レアな知識や視点」を持つ人の、「自分では辿り着けなかった考察」を知るのが楽しいのです。
読むだけでも「こんな事実があったのか!」「こんな見方があったのか!」と新鮮な驚きがあって面白いですし…
さらにはそれを知ることにより、自分の知識や視点を広げることもできるのです。
…ただ、この種の「考察」はかなりの確率でネタバレを踏んでしまうため「まだ読んだことのない本」「まだ視聴していないコンテンツ」では迂闊に読めないのが難点なのですが…😅
■「未知の視点」は、自分の知らなかった「コンテンツの愉しみ方」を教えてくれる
既に読んだことのある本でも、他の読者の「独自の視点」を知ることにより「こんな深読みができたのか!」「こんな意味が隠されていたのか!」と新たな「おもしろさ」を発見することがあります。
そもそも「名作」が「名作」となるためには「優れた読者」に見出される必要があると言います。
皆さんも経験があるかと思いますが…
「名作」と呼ばれるものの中には、内容がひどく難解で「最初の数ページだけでもうギブアップしたくなる」ようなものもありますよね?
読んだは良いものの「何が良いのかサッパリ分からない」というものもあるかと思います。
それらがそれでも「名作」として知られているのは、その「良さ」を「理解」して世に伝えてきた先人の存在があるからです。
自分一人だけでは「何が何だかサッパリ分からなかった」名作も、「分かりやすい解説」を知った上で読むと、途端に面白さが理解できるようになる…そんなこともあるのではないでしょうか?
すなわち、優れた書評・理想的なレビューとは、こんな風に「その作品の面白さを分かりやすく、より深く他の読者に伝えることができる」ものなのではないでしょうか?
…少なくとも自分は、そんな風に思うのです。
■ネタバレ無しで書ければ「未読の読者」でも安心して読める
上でも書きましたが、考察系レビューの難点は「ネタバレ」を知ってしまうことです。
逆に言えば「ネタバレ」を極力避けて書くことができれば、未読の読者でも安心して読めるのです。
そもそも「ネタバレ」がいけない理由とは何なのか…
それは、読者から「考察する愉しみ」「知る愉しみ」を奪ってしまうことにあります。
一番分かりやすく最悪なネタバレと言えば「推理小説の犯人を教えてしまうこと」ですが…
「ネタバレ」は読者から「これの真相って、こうなんじゃないのか?」「この犯人はこの人なんじゃないのか?」と考える愉しみを奪ってしまいます。
そして「こんな真相だったんだ!」「こんな意外な人が犯人だったのか!」と知ってビックリする愉しみを奪ってしまいます。
さらに言うと、読む前からあまりに多く情報を知ってしまうと、読んでいても「あ、これネット記事で出てたやつだ」「あのレビューに書かれていたのは、この場面のことだったのか」というものばかりで、あまり「新鮮味」を感じられなくなってしまいます。
それまでに読んだことのない「新鮮な何か」を味わうことは、読書の醍醐味の一つです。
それを失うことは「読む愉しみ」を低下させ、その作品の評価を下げる要因ともなるのでないでしょうか?
…少なくとも自分はそう思うので、最近は映画のメイキングも全く見なくなってしまったのですが…。
■ネタバレ無しの「独自視点」は最強のレビューとなり得る
未読の人間でも安心して読めて、さらにその作品を味わうための「視点」や「読み方」を予め教えてくれる…
自分にとって理想のレビューとは、そういうレビューです。
別記事でも書いていますが、ただ「おもしろい」「良かった」だけでは「自分とは趣味の違う人間」には伝わりません。
人間の好みは十人十色。
自分にとっての「良かった」をどんなに長々と語ったところで、趣味の合わない人には通じません。
しかし「それがなぜ良いのか」を相手に理解させることができるとしたら、どうでしょう?
人の好みは十人十色ですが、生まれた時から不変というわけではありません。
他の人間に感化されて「それまで何とも思わなかったモノを好きになる」こともあります。
それが分かっている人間は、周りの人間にせっせと推しを「布教」して、勢力を広げているのではないでしょうか?
大切なのは「自分とはタイプの違う人間」にさえ、それを「好きになってもらえる」――そんなレビューが書けることです。
その作品の「良さ」が「興味の無かった人間」にさえ届く――そんなレビューが書けることです。
凝り固まった価値観を変えるには「目からウロコ」な「サプライズ」が有効です。
それまでの固定観念を打ち砕くような「新しい考え方」「新しい視点」が有効です。
なので、独自で新しい視点を持った「ネタバレ無し」のレビューこそ「最強」と、自分は思うのです。
■「主観的」な「熱い想い」も時には大切
別記事でも書いている通り、主観的な「好き嫌い」は趣味の違う人間にはアテにならないため、読者として「本を探している時」には、そういう「主観的情報」を考慮しないようにしているのですが…
そういった「主観的な想い」が、レビューにとって「全く不要のもの」と思っているわけではありません。
むしろ迸る熱いエモーションが読者の興味をそそり、それまで興味の無かった人が「興味を持つきっかけ」となることもあると思います。
人間は論理だけで動く生き物ではありません。
むしろ「感情が揺さぶられる」ことを常に求めている生き物なのではないでしょうか?
なので「感情を激しく昂ぶらせている人」や、その原因となるモノに興味を抱きます。
…ただ、それで興味を持って作品を手に取ってみても「それを愉しむ視点」がその人の中に無ければ、「期待したほどでもなかった」で終わりです。
だからこそ「その作品の愉しみ方」「味わい方」を知ってもらう必要があるのです。
…言うは易し行うは難しな「レビューの書き方」ではあるのですが…あくまでも「努力目標」として、自分もそんなレビューが書けるように頑張っています。
(ちなみに創作資料系の「参考文献」を紹介する時は、「個人の感想」よりも「そこにどんな情報が載っているか」が重要だと思っていますので(←書く人によって必要な情報は違ってくるため)、なるべく客観情報に終始して書いています。)