見出し画像

自分がどのくらい人と同じ価値観を持っているのでしょうか?

家族という最小単位から始まり

居心地の良い友人や恋人

他人同士でありますが、地域性というものも価値観ですよね。
その土地で同じものを食べる習慣があるのもいい例です。

範囲を広くしていくと日本とか、宗教とかにもなってきますね。

海外で住むと自分の価値観とは全く違う人たちと出逢います。

それが自分に合うのか、合わないのかという問題ではなく。

例えば、私がアメリカに住んでいて、その文化というかその生活に合わせると

窮屈になる時があるので、私は合わせられる部分に関してその価値観に合わせた生活をします。アメリカ仕様の生活と言いますか。

よくMLBで見るベンチで選手がひまわりのタネを食べて、タネの皮をぺって吐き出すシーン。試合後は、ベンチは凄まじい光景になります。日本だったらとても子供たちに憧れて!って言えないです。

でも選手は、ベンチ以外で食べ物を吐き捨てたりとかはないんです。

ベンチだけなんです。

野球という文化の中の1つなんです。
そういうものに慣れた時、その光景が気にならなくなります。

挙げたのは野球界の中の一例ですが、そういう風に自分自身の価値観を変えていくというのが、大なり小なりどの世界にもある気がします。

芦田愛菜さんがあるインタビューで「信じる」について語っているインタビューを見て、自分のイメージしているものという類では同じだなと感じました。


私がほとんどの人が共存するにあたって価値観へのリスペクトを感じます。
特に特殊技能を持った人物に対してのリスペクトは感じますね。
特殊技能と言っても、本当に特殊な才能というよりは、その土地ではあまり浸透していないもので、なおかつ実用的と認識されるものです。

私でいうと日本で行っていたケア・治療技術がこちらでも活きています。

あとは、面倒だなとか、恥ずかしいなとかというマインドを捨てて、どれだけオープンマインドでいられるかで、相手は結構受け入れてくれます。

小林




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?