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感想 板上に咲くMUNAKATA 原田 マハ 世界の棟方志功。版画家の半生を奥さんの視線で描いた力作。
原田マハは、芸術家を描くと最高に面白い小説を書く稀有な作家であると思います。
今回の主人公は、版画家棟方志功の妻です。
妻の視線を通して棟方志功の半生を描くというものでした。
東北出身なので、東北弁が多様されます。
作品中、この方言が良い味を出していました。
「スコさは、ゴッホになるんだもの。世界一の絵描きになるんだもの」
これは棟方志功の妻の言葉。
棟方志功はゴッホのファンですごく憧れていた。
最初、僕は少し混乱しました。というのも、棟方の作品は幼児が描いたような仏画という印象が強かったからです。
ゴッホとどこが繋がるのか不思議でしたが、その理由やスタイルの変化についても作品中にわかりやすく説明があります。
戦争中、棟方志功一家は東京から田舎に疎開しますが、大切な版木が東京にある。それを妻が一人で宅配に頼み輸送するエピソードが印象的だった。というのも版木を送るというと、非常時に何事だと怒り狂われるからです。だから、妻は椅子の緩衝材ということで大量の版木を送るのですが、その日、あの東京大空襲に、約束を果たせなかった妻は夫には会わす顔がない二度と会えない。それでも遠くから夫と子を見たいと思ったのか疎開先の駅に・・・そこの郵便ポストの前で、妻への分厚い手紙を神棚に奉納するようにポストに祈りながら投入している夫に出会うという場面、すごくいい。
棟方志功が憧れていたゴッホのひまわりですが、神戸の空襲で焼けてしまったとのこと。
このあたりのエピソードには作者の反戦の意思が明確に示されていたように感じました。
目が棟方志功は悪いのですが、もう描けないのではという危機になります。
「たやすくはない道。到達点はまったく見えない。……進むしかない。私が後押しする。そうして、どこまでも進むのだ」
この妻の意思は心地よい。
芸術の道を二人三脚で歩んでいた姿が目に浮かびます。
最終章にある妻のこの言葉も好きです。
「自分はひまわりだ。棟方という太陽を、どこまでも追いかけてゆくひまわりなのだ」
棟方が好きなゴッホのひまわりとかけているのだと思うが、まさしく、この比喩通りの二人なのでした。棟方は妻が大好きで、妻も棟方が大好きなのです。
この奥さんがいて、あの世界の棟方志功が成立したのだと思いました。
日本のゴッホになるんだということでしたが、棟方志功はゴッホを超えたのではと思ったりします。世界の棟方になったんです。
2024 10 20