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『三宅雪嶺人生訓』二三

〇冥想せんより観察せよ
 目を閉ぢて考ふるは宇宙を小にするもの、唯だ宜しく眼を開くべし、観察し得らるる限りを観察すべし、宇宙に対して考ふる勿れ、試みよといふは、之を観察せよといふ事なり。

『宇宙』、『三宅雪嶺人生訓』一一頁

【現代語訳】
〇瞑想するより観察せよ
 眼を閉じて(宇宙を)考えるのは、宇宙を小さくするものである。ただ眼を開くのがよい。観察できる限りを観察すべきである。宇宙に対して考えるなかれ、試みよ、というのは、宇宙を観察せよ、ということである。

【補説】
雪嶺は『宇宙』において、「鍛錬せられたる推理」+「精細なる観察」=科学、と述べている。

雪嶺の瞑想批判は、「為めに観察の進歩し人間は眇たる小星に蠢動する者なるを知るも、猶ほ冥想をもって全能と為し、種々の観念を綜合し分離し、意の欲するままに組み合はして歳月を送るの少なからざるを見たり。独逸哲学の印度哲学と相ひ似るは偶然にあらず、両ながら沈思冥想して心に慰藉を求めしなり」(『宇宙』)と、瞑想型の哲学とされるドイツ哲学やインド哲学にも及ぶ。
その批判の理由は、「慰藉」、すなわち独善的な慰めに過ぎない点にある。

余計な妄想よりも実地の観察を重視する姿勢は、宇宙のみならずあらゆる方面で貫徹された。

世人の気づかない隠れた真理を白日の下に晒す雪嶺の眼光は、このような観察重視から得られたものであろう。

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