自他の境界線をちゃんと引く。
1年前。
すごく悩んでいた。道すがらアパートを見かけると、子供たちと3人だけで暮らせたら…と妄想していた。
夫のモラハラによる洗脳がかなり解け、夫の問題を背負うのは私ではないと気付いた時期だった。
どうやらモラハラやDVの加害者と被害者になる人は、自他の境界線が甘いらしい。
夫や義家族に、私の使っているお箸やコップを勝手に使われる。食べている途中であっても。
こんなことからも境界線の甘さが垣間見える。
最初は戸惑ったし、最後まで嫌だったけど、この家のやり方なんだと諦めていた。
悩み事や問題事もそうだ。
夫や義母のやるべきこと、悩んでいることもよく聞いてあげて解決しなければならなかった。先回りして手助けしていた。そうでないと相手の機嫌が悪くなるのだ。
私も子育てではかなり義母に頼っていた。お金の援助も断ると怒るので当たり前に受け取っていた。
お金に関しては夫が気分でお金を出し渋ったので仕方がないとありがたく頼った。
夫や義母の機嫌をとる、それは当たり前のことだった。
イライラして大きな音を立てている家族の機嫌をとる。
私の揚げ足を取り、ずっと嫌味を言い、機嫌の悪い夫がどうしたら喜ぶだろうと頭を悩ませ、スキンシップしてみたり泣いてみたり怒ってみたりした。
普通のことだとそう思っていた。次第に友人の機嫌を取ったり、悩みを聞いて自分のことのように眠れない、なんて事も抱えるようになった。
実家の時はどうだったろう。
あまり私に構わなかった両親。
問題は多かったが、自他の干渉が少なく、自立を余儀なくされた。
毒な部分もあったが、友人の悩みまで自分のことのように悩む、なんてことはなく、他人に当たることはあまりなかったように思う。
義実家で暮らしている時は、イライラすることが多く、子供に当たることもあった。
依存心が強い人間になっていたと思う。
自他の境界線、と言うのは、私の中では
『自分の機嫌は自分で取る』がわかりやすい。
相手の課題まで背負わない、アドラーも言ってるけど、子供に当たったところで、罪悪感に苛まれる未来が来るだけで解決はしないのだ。
今の職場で、まさに試されることがあった。
一度、イライラしてる先輩にくどくどとダメ出しをされたのだ。暴言に近い、バカなの?ふざけんな、なども言われた(ちなみに16歳下の上司)。
入ったばかりの動きの悪い人間にイライラする気持ちはわからなくもない。実際まだ、私はまだまだだし、この会社のやり方も染み込んでいない。
だからと言って、上司のイライラする性質は私の問題ではない。彼女が機嫌が悪くて周りに迷惑をかけると言うこと自体に、私には関係ないのだ。本人が解決すべきことなのだ。
長年しみついた被害者体質?HSP?は、イライラしてる人がいると萎縮して集中できず、失敗を増やしてしまう。すべてダメな自分のせいかと余計なことを考えすぎてしまう。悪循環が始まる。
自他の境界線がまだまだ下手。
どうしたら解決するだろう。
見つけた答えは、
自分を愛する、認める。
ことに戻る。
まるっと自分の存在、感情を認める。
自分の頭の先から足の先までに毎日感謝する。
自分に影響を与えてくれている、見えるものや見えないもの、全部に感謝する。
嫌な気持ちになっても、それを味わう。否定せずに認める。問題が現れたら成長できるチャンスと喜ぶ。
簡単ではないけれど、それに尽きるのだ。私は私を愛する必要がある。自信とは自分を信じることだから。私がしっかり自分を信じていれば、周りの感情に振り回されることはないのだから。
今は、子供たちには溢れんばかりの愛を毎日贈り(若干嫌そう)、子供に家事でできることは頼んで感謝し、イライラして当たることはかなり減っている。
生理前でも悪夢を見るくらいで、静かなものだ。
私、ありがとう。頑張ってるよ、大丈夫。
今日もありがとう、明日もいい日になるよ、すごいね。
通勤の車の中で行き帰り語りかける。やばい人だけどいいんだ、これで。
ついには車にもお礼を言っているw
でも、ありがとうで溢れている毎日はなんて気持ちがいいのだろう。
辛いことがあってもリセットが早い。
そして、私に当たる上司も、何故か当たらなくなってきたように思う。
自分を信じている人に、モラ人格は反応しないのかもしれない。
たくさんの気づかせてくれたことに。気付けた自分に、ありがとう。
私はゆっくりでも、変容を繰り返す。
幸せは更新される。
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