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「愛についてどのくらい学んできた?」サティシュ・クマールからの問い

ここまで、シューマッハ・カレッジ滞在のことを書いてきたのですが、最後にサティシュのお話を。

本で読んだサティシュ・クマールもすごく素敵だったけれど、実際にリアルで会ったサティシュは、すごくパワフルで、キラキラ話すおじいちゃんという感じ! オーラはあるけど、まったく威圧感がなくて、温かさとか愛とか人間性が滲み出るような存在感のある人でした。


わたしがずっと探していた「教育観」に出会った

わたしが最初に読んだ本はこちら。サティシュが書いた本の中で、なぜかわからないけどこれが一番タイトルが気になって、即購入したのでした。

けっして薄くはない本なのですが、読み進めれば読み進めるほど、素晴らしい言葉がたくさん出てきて、一気読みしてしまいました。

「教育は、子どもたちが充実してしあわせな人生を送るためのものでなければならない」

スモール・スクールは、「試験勉強のための工場ではなく、自分自身を発見する場所」をめざした。

「ほんとうの学びは、経験が感動を生むときに起こる。

たとえば、学びが自分の人生に役立つことを知ったとき、
自分自身を表現できたとき、
自分がコミュニティの一部であると感じたとき…」

そして、わたしが一番感動したのはこの言葉。

「世間に広まっているのは、生徒や学生を空っぽの容器とみなし、それにいろいろな情報や知識を詰めこむのが教師の責任だとする見かただ。

しかしこれは教育とはいえない。

『教育(エデュケーション)』という言葉はラテン語の『エデュカーレ』からきている。その意味は、すでに中にあるものを『外へと導く』、あるいは『引きだす』ということ。隠れている可能性が開かれるように、潜在しているものが顕在化するように…」

知識を詰め込んで、人間を画一化するのではなく、「その人の中にあるものがさまざまな出逢いを通して開いていくことが学び」というメッセージが、わたしの理想の学びのカタチと近くて、なんだかグッときたのです。


他にも、仕事やアートに関するものなど、いろいろ素敵な言葉が。

ゴッホもモネもダーウィンもシェークスピアも優れた芸術作品や文学作品はみな、エコリテラシーに恵まれたアーティストから生まれた。

「職を探すのではなく、自分で仕事を、自分の生き方をつくること」

最後の、「自分で仕事をつくること」「自分の生き方をつくること」はまさに今、わたしが帰国してから取り組んでいるテーマでもあります。

3つのH(Head, Heart, Hands)

シューマッハ・カレッジにおいて、大切にされている考えの一つが「3Hの学び」。頭と心と身体をバランスよく使って学びましょう、という教えです。

オックスフォード大学やケンブリッジ大学をはじめ、世界中どこの大学に行っても、教師はあなたの頭(脳)しかみていない。しかも左脳だけ。

左脳は科学的、数学的、組織的、経営的、実践的。右脳は直感的で想像力に富み、創造的で関係性に富み、自発的でスピリチュアルなもの。
わたしたちは5歳から20歳までの15年間、ほぼ左脳だけを使って、貴重な人生の形成期を過ごすことになる。

何も作らなくていいし、何も育てなくていいし、何も料理しなくていい。
世界中の教育システムは今、非常に限られた教育体験にとらわれている。

この教育を受けた人たちは、勇気と冒険心を失い、臆病になり、怖がりになった。誰かに頼ることを忘れ、与えてもらう必要を見失い、お金以外のものを信用することができなくなってしまったのだ。

シューマッハ・カレッジは住み込みで、学生たちは一緒に生活しながらコミュニティで学ぶ学校。サティシュは、自分の話や偉い人たちの演説を聞くのと同じくらい、ガーデニングや料理や掃除が重要だと語っていました。

手は奇跡であり、魔法だ。
粘土のかけらを、美しいものに変えることができる。
私たちは家を建てることができ、料理を作ることができ、赤ん坊を抱くことができ、唇でキスすることができ、腕で抱きしめることができる......

身体はとても重要なのに、私たちは忘れてしまっている。

科学技術が進歩すればするほど、人間は不必要な存在になり、わたしたちはただの「消費者」になっていってしまう。だからこそ、教育を通して「創り手であることを思い出して欲しい」とサティシュは伝えていました。

パンをつくることも、詩をつくることも、庭を手入れすることもすべてが芸術であり、わたしたちは本来誰もが芸術家。芸術家とは何か特別なことをした一握りの人を指すのではなく、自分の想像力、創造力、自発性、自分の心、自分の手で何かを創り出した人のことを言うんだよって。

芸術は現代の世界では、音楽、絵画、彫刻のようなファインアートだけを指すと思われている。けれど、もっと芸術の概念を広げてほしい。

芸術家は特別な人ではなく、すべての人が特別な芸術家なのです。
すべての人が詩人であり、すべての人が芸術家である必要があるのです。

もしあなたが土地の世話をし、健康の世話をし、人生の世話をし、そして楽しみ、喜びと祝福のようなものを持つならば、あなたはアーティストなのです。

現在、わたしたちの社会は消費者の社会です。
わたしはこの社会を変革し、この社会をアーティストの社会にしたい。

人生に美を取り戻しましょう。
それこそが真の芸術なのだから。

わたしたちの手に、美と祝福と喜びと人間関係を取り戻すのです。

わたしの身体はわたしのものだけれど、それ以上に大きな意識、想像力、創造性、スピリチュアリティ、喜びのための器のようなもの。だから、わたしは視野を広げたいし、意識を広げたい。

わたしたちは神聖な存在として生まれてきて、世界を美しい場所にするために生きているんだよって話していました。


それから、同様に、心がとても重要と言うことも強く伝えています。

「愛についてどのくらい学んできた?」

そう問われて、すぐ言葉にできる人はすごく少ないと思います。もちろん、わたしもまったく答えられませんでした。

(むしろ、愛について教えられる人ってどのくらいいるのだろうか?)

心もとても重要。ハートから人間関係が生まれ、ハートから勇気が生まれ、ハートから愛が生まれる。
この世界で生きる意味を探すなら、愛を知る必要がある。

だから私は、大学、カレッジ、小学校、中学校のすべてのカリキュラムで愛を学んでほしい。

お互いを尊重すること、他人に親切にすること、他人に思いやりを持つこと、他人との関係を築くこと、お互いのために何かをすること。それはすべて心から生まれるものだが、私たちの心はまったく教育されていない。

ハートに基づいた教育とは、何をするにしても、それは愛のためであり、
金銭を得ることは手段でしかないと、私たち全員を教育すること。

何をするにしてもそれをする目的は、「それが好きだから」「感謝しているから」「楽しみ祝うため」であるべきなんだ。

「愛するために愛する」のであって、愛が返ってくるかどうかは考慮しなくていいんだ。

もちろん、誰かを愛せば愛が返ってくる。
しかし、それを心配する必要はない。

期待せず、それが起こるのを楽しみ、それを祝い、感謝すること。
嫌いな人であっても愛すること。

これどのくらいの人がそのまま理解できるんだろうって思うのです。そして、それを自分の日常で実践できるかどうかは、また別の話。

自分の人生をどう扱うかは自分次第だ。
あなたこそが主人公であり、あなたの人生の責任者なのだ。

詩や音楽、教師などから学ぶことはできる。
けれど最終的には、自分の人生を自分の手で切り開き、その人生を自分自身の喜びに満ちたものにしなければならない。

自分自身を愛し、自分自身を信頼し、自分自身と全世界のために良い人生を送ることができると自分を信じることだ。

その確信、信念、自分への愛がなければ、世界を愛することはできない。

そして、ガンジーやマーティン・ルーサー・キングのような偉人たちを挙げて、彼らを動かしていたのは愛と希望だということも話していました。

憎しみによって、人は変容することはできない。
愛によって、人は変容し、社会を変革させることはできる。

これらのメッセージは強すぎて、もしかしたら苦手な人もいるかもしれないけれど、その人のタイミングで必要だと思えるときが来たら、目の前のことから取り組んだらいいだけ、とわたしは思っています。

3つのS(Soil, Soul, Society)

もう一つ、シューマッハ・カレッジで大切にされているのが「3Sの教え」。このときは、主にSoilのお話をしてくれました。

西欧諸国では、ほとんどの人々が土地から切り離されてしまっている。

まず最初に言いたいのは、わたしたちは「土地の所有権」という考えを持つべきではないということ。

土地は商品ではない。土地はコミュニティです。

土地との直接的なつながりを持つこと。
もし私たちが土地とつながっていたら、とても癒されるはずです。

今、身体的にも、精神的にも、どうしてこんなに病気が多いのか?
それは、わたしたちが土地、そして自然から切り離されているからです。

農業や食料生産が機械化・工業化され、土とのつながりを失ってしまった結果、ロンドンやニューヨーク、東京といった大都市に住む人々は、食べ物がどこから来るのかわからなくなってしまったのだと。

ラテン語で、土は”humus”、人間は”homo”。
これらは同じ語源を持っている。
つまり、人間は文字通り"土"の存在であり、土地は私たちのアイデンティティを支える土壌なのです。

土で育った食べ物を食べて生きているわたしたちは、そこから切り離されて生きることはできないんだよと言われている感じがしました。


それから、同一性、画一性が、現代の問題だとも言っていました。

同質性は自然ではない。

すべての木は違う。
すべての花は違う。
動物はみんな違う。
私たちは皆人間だが、皆違っている。
私たちは違いを生きている。

多様性は進化である。
進化は多様性を好む。

同一性、画一性は現代の問題なのだ。
だから、自分が違うことを恐れてはいけない。

多くの宗教があり、多くの色があり、多くの言語があり、多くの哲学があることは素晴らしいこと。

そして、「あなたがあなた自身であること」が大切ということ。

あなたは分離しているのではなく、ただ異なっており、その意味でユニークな存在。この地球上には80億人の人間がいるけれど、あなたのような人は他にはいないのだから、と。

誰かと違うことを恐れるのではなく、あなたが人と違っていることが価値なんだよってすごく強いメッセージだし、もっと多くの人に届いて欲しい言葉だなぁって思いました。

人間の存在の尊さ、自然の豊かさを思い出す

ここでは、サティシュが語っていた、対極にも見えるエピソードを2つ紹介します。最初のメッセージは、けっこうぐさり来る人もいるかも…。

経済システムや教育システムが優秀であればあるほど、人間は経済成長のための資源となり、大企業の利益のための金儲けのための資源となります。あなたやわたしは、彼らがそう呼ぶ機械の小さな歯車でしかないのです。

HRという言葉を聞いたことがありますか?

HRとは「人的資源(Human Resource)」という意味です。
あなたは何のための資源なのでしょう。なんのための利益の、なんのビジネスの、なんの会社を運営するための資源なのでしょう。

あなたは資源ではなく、あなたの人間としての尊厳なのです。

そして、わたしたちの経済システムは、教育システムだけでなく、人間を資源に変えただけでなく、自然までも資源に変えてしまいました。

小さな小さなトマトの種を土に植えるとします。
そのトマトの種は宝物であり、あなたが土に入れた宝物庫のようなもの。

雨と土がそれらを包み、太陽がその種を植物にし、その植物は成長します。たくさんの葉をつけ、小さな枝をつけ、葉のそばに美しい花が咲きます。

それぞれの花から実ができ、緑色のミニトマトになり、少しずつ大きくなり、黄色くなり、赤くなり、ジューシーでおいしくなります。

あなたはトマトをひとつ摘むでしょう。

それは、スーパーマーケットで売られているビニールに包まれたトマトではなく、自分の庭で採れた、新鮮なオーガニックのトマトです。
そして、そのトマトにはさらに20粒の種が入っているのです。

ここに現れる、自然の豊かさがわかりますか?
それがどの植物にもあるのです。

自然は溢れるばかりの恵みを与えてくれているのに、わたしたちはそのことをすっかり忘れてしまっている。そして、自分たちがどれだけ素晴らしい存在だったかも見失ってしまっているのだ、と言われた気がしました。

"BE THE CHANGE"大きな変化は小さな変化から

質疑応答の中で、一人の学生が、サティシュにフォルケホイスコーレのことを質問したのです(わたしはその前にフォルケホイスコーレに行っていたので、この質問が出たときめちゃくちゃびっくりした)。

前回ここに来たとき、ノルウェーから『Nordic Secret(北欧の秘密)』という本を書いた人が講演に来ていたのを覚えています。

20世紀初頭、ヨーロッパの国々が近代化する中、北欧諸国は農業を営んでいて貧しいままでした。しかし、30年後には驚くべき進化を遂げ、非常に進化した市民社会は、自然との協力の仕方を知っています。

そしてその秘密は、彼らがフォルケホイスコーレを持っていて、それらは政府の資金が投入され、国民によって運営されているということでした。

サティシュ、あなたはこのことについてどう思いますか?

サティシュも、ノルウェーやデンマークの学校をいくつか訪問したのだそう。そしてイギリスでも、わたしたち自身がそのような学校を始める必要があると思っているとも語ってくれました。


けれど、変化というものは政府からは生まれないもの。草の根レベルの人々の運動が、大きな影響を与え、ある種の変化をもたらすのだと話してくれました。(だからこそ、あなたがそう思うならあなたからはじめないとね?というメッセージな気がする。)

大きな木は小さな種から、大きな川はたくさんの小さな流れから生まれるように、大きな運動はたくさんの小さな取り組みから生まれるのです。

そのためにはまず土台を築くこと。
その土台とは、人々の思考であり、人々の心・意識です。

BE THE CHANGE.(あなたが変化になりなさい)

あなた自身から始め、変化を起こすこと。
音楽を通して、歌を通して、文章を書くことを通して、あなたができることは何でもいい。

まずは、変化になりなさい。
そして、変化を伝えていくこと。
そうすれば変化はいずれ大きくなる。

近くで見たサティシュは、まさに愛そのもの

木曜日と金曜日はサティシュが一緒に瞑想をしてくれる日でした。

Breath in、Breath out、Smile、Relax、Let go…

こんな言葉からはじまるサティシュの瞑想。それはまるで、自分のための時間でありながら、大きなものの一部であることを思い出すような時間でした。

これは瞑想ではないけれど、サティシュの言葉でわたしが大好きなもの。

右手は世界、左手は自分。

この両手を合わせることで、世界と自分をつなぎます。
苦しみや痛みはこの2つが離れてしまうことで起こります。

愛とは自分をあるがままでいいと思うこと。
すべてのものがあるがままでいいと思うこと。

そのままを認め、受け入れること。
そしてそれは変わっていくことを認め、受け入れること。

種をまくと木になり、花をつけ、実り、土に還る。

変化とは、永遠の巡りの環の中にいて、
私たちは常に変わり続ける自分を受け入れるのです。


そして、お話の中の「あなたたちは愛についてどのくらい学んできた?」という質問があまりに刺さりすぎたので、ランチのときに聞いてみたのです。

願ったとしても、みんながシューマッハカレッジに来れるわけではない。
わたしたちは日常の中で、どうやって愛を学んだらいいの?

みんな聞きたいことがありすぎて質問攻めになる

朝起きて、朝ごはんを食べて、
仕事をするように、愛すること。

自分の好きなことをすること。
自分の嫌いなことをしないこと。

何かを除外することなく、すべてを愛すること。
そうすれば、それはあなたの世界の一部になっていくよ。

わかったようで、わかっていない気もするけれど…
愛は大切だけれど、特別なものじゃないんだよって言われた気がしました。


サティシュと一緒にいたのはたった2日間だけだったけれど、その存在が愛で溢れているというか、そこにいるだけで愛がいっぱいの人でした。

笑顔が可愛すぎるのだが…。

サインもしてくれるし、握手もハグもしてくれるし、ランチも一緒に食べてくれるし、この2日間は本当にサティシュを近くで感じられる時間でした。

あのとき「サティシュに会いに行かなきゃ!」という直感だけに従って、トットネスまで行って本当に良かったし、勇気を出した過去の自分をハグしにいきたい気持ちになりました。


2024年秋には、サティシュが来日するそうなので、ぜひもっと多くの人にこの愛を感じて欲しいなぁ。

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