《2025年をわたしらしくはじめるために》オリジナルな人生の創り方とは?アートと対話が教えてくれる「わたしらしさ」
今日は、2025年最初のワークショップのお知らせです。
が!
告知だけではありません(笑)
この記事を読んでいただくだけでも、すごーーくヒントになる気がしているので、「今年は新しいことに挑戦したい」「もっと自分らしく生きたい」という方は、最後まで読んでいただけたら嬉しいです☺︎
このワークショップ、実は昨秋に続いて2回目の開催なのですが、変わらずわたしが伝えたいことは、
「本当は、誰もが自分の可能性を自分の中に持っている」ということと、
「それぞれの人生はもっとオリジナルの輝きに満ちている」ということ。
有名私立大学を出て、それなりに名の知れた大企業で働いて、大小100以上の企業取材を行って、それでもわからなかったことが、海外に出て、実際に学びの場に飛び込んだことで見えてきたことがありました。
(今から考えれば、ある意味キレイに敷かれたレールの上を歩いて、日本の組織にどっぷり浸かっていたことがよかったのかも知れません。笑)
これまでの日常を手放して、直感に従って旅に出たからこそ見えてきた、「日本という国の在り方」だったり、無意識にわたしたちを取り囲んでいた「当たり前」が、少しずつ浮き彫りになってきました。
わたしたちはどうして、自分らしさを見失ってしまうのか。
なぜ、新しい一歩を踏み出すことをこんなにも難しく感じるのか。
帰国後、自分らしいキャリアを見出しながら、手探りながら場を開いてきたことで、そんな疑問に手が届くようになってきた気がします。
この数年間でわたしが出会ってきた人や価値観、場所は、パッと見統一感がなく、よくわからないものばかり。けれど、バラバラだからこそ、それらを選んだ「わたしの興味・関心軸」と「わたしをカタチづくっている価値観」が大きく影響していることに気づいたのです。
例えば、
デンマークには、"人生の学校"と言われるフォルケホイスコーレという教育機関があります。
17歳以上の大人なら誰でも入学することができ、それぞれの興味関心に従い、対話を通して学びを深めることができます。わたしはここで、「自分らしさを探究すること」と「対話の可能性」を教わりました。
もう一つ、わたしに大きな影響を与えたのが、イギリスにある大学院シューマッハ・カレッジです。
創設者であるサティシュ・クマール氏は、"学校とは自分自身を発見する場所"と語り、学びとは頭と心と身体すべてで行うものと伝えています。わたしはこの場所で、「創り手としての意識」と「つながりの感覚」を教わりました。
他にも、
フィンランドで出会った感情的知性を育む学びや起業家教育、
インドで気づいた植民地教育の実態、
アーユルヴェーダを通して気づいた生き方の知恵、
直島で教わった自分らしさを育むアートの可能性など、
たくさんの現場を見てきたことで、想像もしていなかった学びと気づきがあり、それらの根底に横たわる「共通の価値観」と、わたしたちが「見落としていたもの」に気づくことができたのです。
これは、わたしだけが持っているのはもったいない、と思いました。
みんなが知っていれば、もっと自分らしく生きられる人が増えるはず、とも思いました。
というわけで、今日は、わたしの学びと体験を通して気づいたこと、自分らしさにもっと出逢うための「きっかけ」についてのお話をしたいと思います。
(途中まで、以前書いた内容と同じなので、読んだことあるよ!という方は、「わたしたちに欠けていた視点と『落とし穴』」からお読みください。)
もし「あなたらしさ」がわからなくなっているなら
人に会う度によくこんなことを聞かれるのです。
何度も何度も聞かれるので、それだけ今の世の中が「やりたいことが見えづらい社会」で、「一歩踏みだすことが難しい世界」なんだなと感じる一方で、
わたしという人間が「やりたいことのために一歩踏みだす人」に見えているのだなって思ったのです。
でも、やりたいことって、正直なくても生きていけるんですよね。
みんな忙しいから、目の前のやらなきゃいけないことの方に気が取られて、だんだん忘れていっちゃう。勇気を出すことってめんどくさいし、エネルギーがいることなので、どんどん後回しになっちゃう。
けれど、ちょっとずつ違和感は自分の中に溜まっていて。
時間ができるたびにそのことが湧いてきたり、自分らしく生きている人をみると、もう一度その気持ちが湧き上がってきたり。
自分の人生を見つめることって、「大切だとわかっているけれど、緊急性がない」ものに分けられてしまうもの。
だからこそ、「あえて時間をとって、誰かと一緒に考える」というのが一番いいとわたしは思っています。
できれば、自分の人生を自分のものとして生きている人と一緒に。
(今回は年初めの開催なので、タイミング的にもとてもよい気がします☺︎)
自分らしい人生を生きるために必要なこととは?
わたしが自分らしく生きられるようになったのはおそらく、この2つのことが腑に落ちたからでした。
わたしは、ここ数年「教育」「対話」「アート」に興味があって、そのことについて学ぶ機会が多くあったのですが、そのことに加えて自分で仕事を創ることに挑戦してみたり、キャリアの相談を受ける中で、わかったことがあります。
それは、わたしたちが、自分が意図せず身につけてきたたくさんの「思い込み」に縛られているということ。
親の考えとか家庭のルールとか。
学校教育とか、社会常識とか。
「自分で自分の人生を生きる」と決めて、直感に従って行動していった結果、「無意識のうちに身についていた思い込み」や「自分を形づくるフィルターのようなもの」がだんだん浮き彫りになってきたのです。
例えば、
とか。
わたしもそうだったけれど、会社員として働いていると、ある意味レールの上を綺麗に歩いていることで、「自分らしさが見えづらくなる」「新しい一歩が重くなる」という事実に気づきました。
もし、こんなふうにあなたが思っているとしたら。
それは、あなたがすごく”ちゃんと”この世界で生きてきた証です。だから、決してあなたのことを責めたりしないで欲しいのです。
けれど、もしあなたがその状態なら、「もっと自分には他の道があるんじゃないか」と思っていたとしても、そのままでは新しい一歩を踏み出すことはすごく難しく感じているはずなのです。
(ちなみにわたしは、会社員や組織に所属することを否定しているわけではなくて、これから先は会社員とか組織人とか関係なく、自分ブランドを持っている人が強いんじゃないかなって思っています。)
大学で教員免許をとり、大手教育会社で働いていたわたしが、会社を辞め、北欧やイギリスの教育観に出逢って、やっとわかったことがありました。
普通に生きていたら気づけなかったこと。
何が、自分らしく生きることを止めていたのかということ。
その一つが、教育の価値を広く捉えるなかで、見えてきたのです。
それは何かというと、、、
わたしたちが日本の教育で見落としてきたことは、「わたしがわたしであることの素晴らしさを認める」ということ。今っぽく言うとBEINGのこと。できるものでもなく、持っているものでもなく、あなたの存在のこと。
そして、昔の日本人にあって、今のわたしたちにないもの。それは、スピリチュアリティであり、「精神性やつながりを感じられていない」ということ。目に見えるものしか認めない、という価値観でもあります。
この2つのことが抜けていることで、わたしたちは自分らしく生きることがすごく難しくなっているのだなって気づいたのです。
これ、正直有料記事で書こうかと思ったくらい、わたしにとってはめちゃくちゃ大きな気づきだったのですが、これがわかるとすごく生きやすくなるって思うからこそ、そのまま書くことにしました。
ちなみに、このことに気づいたなら、新しくアップデートしていけばいいだけなんです。必要のない思い込みを手放して、新しい希望をインストールしていけばいいだけ。
今回は、その2つのことを2回のワークショップを通して、手渡して行こうと思っています。言葉だけよりも、もっとリアルで体感する方が、ずっとずっと腑に落ちて、自分のものになるからです。
①自分なりのものの見方に気づくこと
あなたは、隣の人と同じ世界に生きていると思っていませんか?
人はそれぞれ、自分が見たいように世界を見ていて、その自分が創り出した世界に生きています。でも、「自分がどのように世界を見ているか」については意外と無頓着だったりします。
実はここに、あなたらしさが隠れています。
このワークショップでは、「五感」を使い直すことを体験します。
オリジナルなあなたを支えているのは「感覚」です。それは、あなたと世界との大切な接点だから、です。
AIはすべての世界を見渡せますが、わたしたちはいろんなフィルターを通して世界を部分的に経験しています。つまり、そのフィルターと経験こそが、あなたのオリジナルなのです。
感情や思考が出てくるのは、その後です。
これに気づいたときに、わたしはぽろぽろいろんな思い込みが解けていきました。自分が世界をつくっているなら、見たい世界を自分から描いていけばいいんだ!と思いました。
というわけで、1日目はこんなお話をしようと思います。
⚫︎「自分のものの見方が世界をつくっている」とは?
⚫︎自分にかかっている思い込みを解(ほど)いていく
⚫︎感覚こそが、あなたのオリジナリティを教えてくれる
⚫︎内側と外側のコミュニケーションの不思議な関連性
⚫︎「あなたが変われば、世界は変わる」の意味
②「自分であること」からはじめる
もうひとつは、「自分が創造主であることを知る」ということ。
多くの人が「あの人が〇〇だから」「社会が変われば」という話し方をします。何が目的かわからない批判や炎上は、ここから始まっている気もします。
大切なのは、主語を「わたし」にすること。
「わたし」から始まる言葉は、自分という存在をメタ認知させてくれます。すべての行動が自分由来になります。言葉が変われば、自分と世界の関わり方は、必ず変わってくるはずです。
シューマッハ・カレッジの創設者、サティシュはこう言っています。
わたしはこのことに気づいたときにびっくりしました。わたし自身も、まさにこう思っていたからです。
そんなことは関係ありませんでした。
わたしのままで、あなたのままで、行動することに意味があるのです。
行動すれば、自信になります。
好きなことで行動すれば、資産になります。
生きていくほど、自分の価値が貯まります。
自分のことを信じられるようになります。
たぶん、人生の見え方は全然違うと思います。
というわけで、2日目はこんな話をしようと思います。きっと、自分から何か始めたくなると思います。
⚫︎直感や心地よさをコンパスとして使う
⚫︎今ここにあることに目を向ける
⚫︎自分という存在を表現することの意味とは?
⚫︎行動し続けると、いろんなことが起きてくる
⚫︎好きなことで、自分の資本を積み重ねていく
⚫︎あなたのままで生きることが、周りを幸せにする
「アートってハードル高くないの?」への答え
もし、そう思っている人がいたら、ぜひ、一度わたしのワークショップに来てみてほしいのです。
あなたが思っているより、アートはもっとずっと自由で、身近なもの。
わたしにとっては、むしろ「自由さ」を教えてくれて、人生をより自分らしく生きたくさせるものなのです。
アートを使う一番の理由は、「わたしがアートを通して自分に気づいたから」なのですが、それ以外にもいくつか理由はあります。
【1】アートには正解がないから
わたしたちはいつも、何かの「目的」を持ち、「正解」を探すために会話をしています。会社員の方は、想像以上にこのルールが染み付いているはずです。
けれど、自分らしさと出逢うためには、「目的のない言葉のやりとり」や「自分にとっての正解を探すこと」が必要。
日本の教育では「ただ一つの正解」があることがベースになっているため、わたしたちは「同じ」ことを求められてきました。そのことが当たり前すぎて、「違う」ことが「めんどくさいこと」になってしまっているのです。
けれど、アートは「違う」ことが面白いのです。「そんな見方があるんだ!」ということが、楽しさや可能性になるのです。
一度経験していただくと、その意味がわかると思います。
【2】アーティストとは人生に向き合い続けた人だと感じるから
わたしは一人のアーティストに着目した美術館や展覧会が好きです。それは、残された作品を通して、一人の人生を覗き見ることができるからです。
そして、それらを見ていつも思うのです。
アーティストとは、「自分なりのものの見方」を死ぬまでずっと更新し続けた人であり、自分の人生に誰よりも向き合い続けた人なのだな、と。
わたしたちが見過ごしてしまうようなことを拾い上げ、人生を通して丁寧に向き合い続けた、そのことがその人をアーティストにするのだなって思いました。
わたしたちは、いつからでも人生を自分のものとして生きることができるし、わたしたちの人生は一つの作品のようなもの。
彼らの物語に触れるたびにいつも、わたしも、わたしの人生をちゃんと表現しなくちゃな、と思わされるのです。
アーティストたちの生き方には、自分を生きるためのヒントが隠されている気がしています。
【3】生きることすべてはアートだから
2023年夏、わたしはイギリスのシューマッハ・カレッジという大学院大学の体験コースに参加してきました。
本当に人生を変えるような場所で、一歩背中を押されると同時に、そこで教わったのが、「生きることすべてがアート」ということでした。
パンをつくることも、詩をつくることも、庭を手入れすることもすべてが芸術であり、わたしたちは本来誰もが芸術家。
芸術家とは何か特別なことをした一握りの人を指すのではなく、自分の想像力、創造力、自発性、自分の心、自分の手で何かを創り出した人のことを言うんだよって教わりました。
これって、今のわたしたちにすごく抜けている視点だと思ったし、わたし自身もこの話の続きを聞いて、自分からはじめようっていう覚悟が決まったのです。
わたしたちに欠けていた視点と「落とし穴」
さて、ここまでは以前書いた記事とほとんど同じ内容だったのですが、、、ここからは、新しく今回のイベントでお話しする予定の内容です。
(これについて最近考えていたら、まさかの本日ドンピシャな情報に出逢ったので、もしかしたらどこかでお伝えできるかも?です。)
実はわたし、秋にこのワークショップを開催した後に、2週間ほどインドに行ってきたのです。
理由は、シューマッハ・カレッジ創設者のサティシュ・クマール氏のプログラムが、インド北部にあるナブダーニャ農園で開催されていたから。
変わらずサティシュの話は熱量が高くて、インスパイアされることも多かったのですが、参加したプログラムの中で出てきた話や、参加者同士で交わされていた会話の影響で、実はわたし自身、自分の価値観がすごく揺らいでしまったのです。
知りたかったような、知りたくなかったような。
今まで感じていた違和感がよりはっきりしたとともに、歴史的事実によって裏付けされてしまった瞬間でもありました。
このとき、わたしが気づいてしまったのは、こんなことでした。
一つは、日本という国も、見えないカタチで植民地化されていたということ。領土という意味ではほとんど変わっていないけれど、精神的にはそのタイミングで「かつての日本」とかなり大きな分断があるということでした。
それから、そのツールの一つとして「教育」が利用されてきたことも。
(なんとなく分かってはいたけれど、その事実を突きつけられるのは、わたしにとってとても悲しいことでした…。)
日本にいると感じる「学ぶ」と「働く」の分断は、ここに一つの答えがあったのです。
半年くらい前に、なぜか気になって買っていた本「懐かしい未来」とも、すごくつながるお話が出てきて、すごく考えさせられました。
そして、もう一つは、わたしたちを支えている「信念のようなもの」について。
わたしたちは何のために生きていて、どこに還ってゆくのか。
みんなが見ている(生きている)世界が違うとしたら、何を信じればよいのか?
こういうのを支えているのが、たぶん「宗教」であり、「哲学」だったんですよね。
日本では「宗教=悪」として捉えられがちですが、「これほど世界で浸透しているのだから、それなりの存在理由がある」と考える方がむしろ自然だったのかも…?と今さら気づいてしまいました。
とはいえ、別に宗教勧誘とかをしたいわけでは全くなくて。(実家は仏教だけれど、わたしも特定の宗教に属している意識はあまりないのです。)
一人ひとりの人生はオリジナルだからこそ、この質問に対する答えも、その人が歩む物語も、決して同じではありません。
だとしたら、自分として生きるための「信念のようなもの」は、自分でちゃんと探すべきだし、大切に持っておくべきだなって思いました。
(たぶん、わたしが年末に体調を崩したのは、ここが揺らいでしまったから。。)
もしあなたが日本に生まれてきて、自分を無宗教だと思っているなら、それは「今回の人生において、自分が信じるものを、自分で選んで良い」という自由が与えられているのかも知れません。
だから、自分らしさがわからないことで落ち込む必要はないし、日本で普通に生きていたら悩んで当たり前なのだから、「これからきっとまだ見ぬわたしらしさに出逢えるんだ!」くらいの気持ちでいいんだと思います。
ちなみに、わたしにとっての「信念のようなもの」は、これまでわたしが選んできたものの中にあって、その中の一つが、最初のメッセージなのです。
そして、「この世界はたくさんの愛(I=わたし)でできていた」ということも。(この想いが「株式会社あいのかたち」という社名につながっています。)
「インド独立の父」と言われるガンジーはこんな言葉を残しています。(ガンジーその人については、想像以上に賛否両論あるようですが…。)
あなたの人生はどんなメッセージを持っているのでしょうか?
何を経験し、どんなことを伝えるために、生まれてきたのでしょうか?
このワークショップでそこまで考える時間はないかも知れませんが、ここでの出逢いをきっかけに、そんなことにも思いを馳せてもらえたらいいなぁ、と思っていたりします。
わたしのオリジナリティ「アート」「学び」「対話」
さて。ここまでつらつらとわたしの「想い」を書いてきてしまったのですが、はじめてわたしのnoteを読んでくださった方もいると思うので、少しだけ自己紹介を。
わたしは、昨年春に法人を立ち上げ、今はワークショップの開催やキャリア相談を主に行なっています。
もし良ければ、自己紹介noteも読んでもらえたら嬉しいです…!
加えて、ワークショップにちなんだ3つのキーワードで自己紹介を。
❶「アート」を通して自分に気づいた経験
わたしは、ベネッセアートサイト直島に行ったことで、アートが自分のものの見方を教えてくれるということに気づきました。そこから、京都芸術大学(通信制)で学び直して、同時にARDAの対話型鑑賞ファシリテーターも取得しています。数年後、実際にベネッセアートサイト直島とのタイアップ事業も経験しました。
❷「学び」の可能性を信じている
2年前までベネッセという教育会社に勤めており、留学事業・社会人事業に携わってきました。フィンランドの教育視察をきっかけに、人を主軸にした北欧の教育観や対話型の学びに興味を持ち、昨年デンマークにあるフォルケホイスコーレ、イギリスにあるシューマッハカレッジに短期留学してきました。教育に対する考えが大きく変わったのは、この留学経験から。
❸日本に欠けているのは「対話」だと思う
北欧の対話型の教育に興味を持ったことをきっかけに、青山学院大学のワークショップデザイナー講座を修了、認定資格を取得しました。昨年秋から個人でもワークショップを主催しており、コミュニティや法人で150名程度の実績があります。目的のない「素直な言葉のやり取り」が、その人の可能性を開いていく姿を見て、もっとそういう奇跡に出会いたいと思い、不定期でイベントを実施するようになりました。
わたしの可能性を”再発見”する 冬のアートワークショップ
というわけで・・・とてもとてもここまでが長くなってしまいましたが、イベントについての詳細を最後に…!
もしここまでのお話で、何か心に響くものがあった方は、会いに来ていただけたら嬉しいです☺︎
(オンラインでの個別相談も受け付けているので、「直接話を聞いてみたい」という方は、こちらからお問い合わせください。)
《わたしの可能性を”再発見”する 冬のアートワークショップ》
1月と2月の2回に分けて、都内近郊のレンタルスペースで開催します。イベントの日程や参加方法など、詳細は末尾のPeatixより。
\こんな方におすすめ/
・2025年を「わたしらしく」はじめたい
・「自分らしさ」について深めたい
・新しいことに一歩踏みだす勇気が欲しい
・就活中/転職を検討している
・自分で新しく仕事を始めようとしている
・アート、教育、対話のいずれかに興味がある
【日程】
1日目:1月19日(日)自分なりのものの見方に気づく
2日目:2月16日(日)「自分であること」からはじめる
【時間】いずれも13時半〜17時(10分前受付開始)
【場所】都内近郊レンタルスペース
【定員】5〜8名程度(最少催行人数3名)※催行決定しています※
【参加費】
2日程とも参加の場合、10,000円(税込/事前振り込み)
単体での参加の場合、各回6,000円(税込/事前振り込み)
※その他詳細、お申し込みはPeatixより。
ちなみに、最初は知り合いが多かったのですが、最近ははじめましての方が増えてきました。ほとんどの方が、お一人で参加してくださっています。
もしたまたま記事を見た方、今回は参加できないけれど少しでも興味を持ってくださった方がいたら、嬉しい限りです。
もしこのnoteがあなたと出逢うきっかけになることを願って。
最後までお読みいただき、ありがとうございました☺︎