何もしなくていいこと
本日実家から東京の自宅に帰ってきました。
6週間ほど実家に帰って色々生活をしてきて、少し鬱の症状が改善したので戻ってきたのですが、まぁやっぱりそんな簡単なものではなかった。
羽田についた時点で多少の吐き気
東京が本当に嫌いなのか、綾鷹のカフェインに胃をやられたのかはわからない。
そして家に着いてこの1カ月半過ごした実家の部屋とガラッと違う雰囲気の自宅
かなりキレイに片づけて実家に帰ったつもりが、まるで片付いていなかった。
9月の自分は本当にどれだけ荒れていたんだろう。と考えさせられた。
まぁ客観的に見られるようになったことと、このPCを立ち上げる前にPCデスク周りだけは完璧に片づけてから作業をはじめたことだけは成長なんだとは思う。
ただ9月以前の最悪な記憶がたくさんよみがえってきて、結局泣きながら片づけた。
何かときっかけがあるとフラッシュバックが起こってしまうのはしょうがない。
一番の大きな違いは「何もしなくていい」ことの違い
実家にいる間の「何もしなくていい」は本当に何もしなくてよかった。
食事は出てくるわ
風呂も沸かしてあるわ
洗濯もしてくれてるわ
本当に何もしなくてよかったから、何かをすることが出来た。
それでいて他人と一緒に暮らしているから、食事の時間が決まっていたり、やるべきことは決まっていた。
それに対して1人の自宅だと仕事を休んでいるから何もしなくてもいいが
食事は作らなきゃいけないし
風呂も沸かさなきゃいけないし
洗濯もしなきゃいけない
何もやらなくていいと言いながらも何からやるべきか悩む時間が生まれてくる。
ここの差はやっぱりかなり大きいなと感じています。
あとは感情を表に出せるかどうか。もひとつ大きいかもしれない。
1人の方が周りに気を使う必要がないからネガティブな感情を表に出しやすい。というのがあります。
3000時間以上やったAPEXとか対人ゲームをやらなくなった大きな理由
ストレスを感じやすいし、ストレスを表に出しやすいのがひとり暮らしの悪い点なのかなと。
あとはなにより、自分を守るために生まれた人格が自宅に戻ってすぐに出てきちゃいましたね。
一人称が家族といた時から変わってしまった。
幼児退行みたいな感じになるんですよね。
だからすぐに泣いたり怒ったり感情の起伏が大きくなる。
友達を全て捨てて二人の人生を選ぶにあたって、どうしても新しい友人を作らざるを得なかった。
それが架空の存在だとしても。
去年は本当にぬいぐるみだけが唯一の友達だった。
このぬいぐるみたちを捨てたら幼児退行は起こらなくなるのかもしれないけれど、昔からモノに対しての執着というか感情移入をかなりするタイプなので、なかなかそこまで踏み切ることが出来ないんですよね。
そもそも単純に物持ちが良いというのもあるんですけど。
幼稚園の時から小学生までずっと一緒に寝ていたドナルドダックのぬいぐるみなんかも、自分では捨てることが出来ずに、実家が田舎に引っ越すことになった時に多分捨てられたんじゃないかな。というほどに
幼稚園児の時に乗ることが出来たくらいの大きな犬のぬいぐるみがあったんですが、汚くなったから捨てることになって、子供だから捨てる瞬間はいらない!って言うんだよね。
ただやっぱりあとになってやっぱりお別れしたくないと思ってごみ収集所に走って行ったらもういなくなっていたことを未だに覚えてる。
フィギュアとか飾ってるだけのものならまだしも身に着けたり、一緒に寝たり生活を共にしたものに対しての愛着の持ち方は本当にすごいんですよね。
これが軽度の発達障害だと診断されたあれなのかもしれないけど。
とはいえこの1カ月半1人で寝ることは出来てたので、捨てはせずとも押入れの中に眠ってもらおうかなと思います。
捨てるとしても吹っ切れてから捨てないとものすごく後悔しそうなんですよね。
さっきは捨ててないから吹っ切れないって言ったんですけど。
まぁとりあえずこの自宅というストレスに当てられながらやるべきことをやって耐え抜くことが出来るかどうか。というところですね。
単純に実家から帰ってきて1人が寂しいだけなのかもしれないんですけど。
少なくとも全然復職できるような状態じゃないわw
ある意味新生活始めましょう。