講義 西欧音楽史 第6回:バロック音楽
ごきげんよう。
今回の講義内容はバロック音楽と自由対位法。前回の講義で扱ったルネサンス音楽と比べて、皆さんにとって身近な形に近付いたクラシックよ。
まず、バロック音楽は、クラシックの歴史の中でも少し特殊な位置にあるわ。
具体的にどう特殊かは、バロック音楽の特徴を列挙していけば分かりやすいでしょう。
※音律に関する部分は修正して、今書いてる途中の古典音律の記事で詳細に解説し直すわ。
グレゴリオ聖歌の時代からルネサンス音楽まではずっと声楽が主役だったのが、この時代以降のクラシックは器楽が中心になった。
器楽が中心になったことで、ルネサンス音楽の時代は中全音律が一般的だったのが、鍵盤楽器の調律のために様々な古典音律が提案された。
記譜法でも小節線が発明されたから、それまでは希薄だった拍節が曲をリズム的に支配するようになった。
ルネサンス音楽が始まった時にグラレアーヌスさんがそれまでの旋法種の概念を否定して、より「合理的」なオクターブ種の概念を提唱したことで8つから5つに減った教会旋法が、更に集約されて長調と短調の2つだけになって、調性システムが生まれた。
機能和声に基づきながらも、ホモフォニーが支配的になった古典派以降の時代と違ってポリフォニーで曲が書かれた。
そして何より、バロック音楽の象徴の一つとも言える通奏低音が広く使われた。
こういう理由で、バロック音楽はすぐ前の時代のルネサンス音楽とも、すぐ後の時代の古典派音楽とも曲の雰囲気がかなり違うわ。
だから、クラシックの中でも特にバロック音楽がお好きって愛好家の方は多くおられるわね。
私はどっちかというとルネサンス音楽の声楽ポリフォニーのメロディや響きの方が好きだけど、単なる嗜好の問題だから皆さんに押し付ける気は無いわ。
タルティーニさんとか、私だってバロック音楽にも好きな作曲家はいるもの。
アルス・アンティクアとアルス・ノーヴァの話をした時にも言ったでしょ?
違う作曲理論を使って書かれてる曲の優劣を比較するのはナンセンス、どっちも素晴らしくて好みの問題でしかないって。
ただ、バロック音楽=バッハさんみたいに扱われて、バッハさん以外で名前が知られてる作曲家がヘンデルさんとパッヘルベルさんくらいって風潮には苦言を呈したいわね。
「バッハさんがバロック音楽の集大成だからバロック音楽はバッハさんだけ聴けば十分」なんて極論まで聞くことがあるけど、いくらなんでもクラシックを舐めすぎよ。
そういう風潮を変えたくて、Twitterで不定期にマイナーな作曲家の名曲を紹介してるの。
「どんな曲か」じゃなくて「誰の曲か」で曲の価値を判断するなんて、馬鹿げてると思わない?
さて、バロック音楽の独自性をいろいろ列挙したわ。
じゃあ、こういう要素は具体的に曲にどんな影響を与えたのかしら?
それを説明するために、バロック音楽の時代の作曲理論だった自由対位法を解説していくわね。
「どうしてこういう規則になったのか」が、今挙げたようなバロック音楽の特徴から見えてくるから。
「自由対位法」って言うけど、そもそもそれって何からの自由なのかしら?
もしアダムとエヴァが原罪を犯さなければ「罪からの自由」って概念が必要なく、主のご受難さえ必要なかったのと同じで、わざわざ「自由」って言うからには、それと対置される「自由じゃない状態」があるはずよね。
それは、厳格対位法。「フックスさんが決めた対位法の規則から自由な対位法」だから自由対位法なの。
逆に言えば、厳格対位法は「フックスさんの理論に厳格に従う対位法」だから厳格対位法。
厳格対位法と自由対位法は、お互いの存在に依存してるネーミングってこと。
もっと中立的な呼び名として「声楽対位法」と「器楽対位法」って表現があるけど、厳格対位法と自由対位法って呼び名の方が一般的だし、そう呼ぶことによる不都合も特に無いから、私の講義ではそう呼ぶことにするわね。
ってことは、自由対位法の理論は厳格対位法と比べて禁則が少なくて自由なのよ。
事実、自由対位法の理論は和声法と比べてもかなり緩いわ。
だけど、一般論として自由に何かをすることって難しいのよ。
人生だって、レールから外れて自分の力と判断で指針を決めながら生きるより、誰かに用意されたレールに乗って生きる方が窮屈だけど簡単でしょ?
守らなきゃいけない規則が多いと選べる選択肢が自ずと狭まるから、少ない中から取捨選択して答えを出せばいいけど、もし指針になる規則が何も無かったらどんな選択肢でも選べちゃうから、無数の選択肢を時間と労力を費やして吟味しなきゃいけなくなるわよね。
自由対位法も同じ。厳格対位法や和声法より禁則が少なくて緩いからこそ、上手く扱うのが難しいのよ。
難しいから、ポリフォニックな自由対位法はホモフォニックな和声法に簡略化されたの。
乱暴な言い方をすると、水が低きに流れたの。
次回の和声法の講義の時のために、そういう西欧音楽史の流れを今のうちに把握しておいて頂戴。
説明の都合で、まず和声そのものの解説から入るわね。
そもそも和声、特に機能和声ってどんなものかしら?
前提として、ありとあらゆる全ての旋法にはトニックやドミナントみたいな音楽的な機能を持つ構成音が必ずあるの。
アラビア音楽だったら支配音だとか、ビザンティン聖歌だったら終止音だとか、機能に付けられてる名前は旋法によって違うけど、そもそもそうやって構成音に機能があるものを旋法って定義してそう呼んでるんだから、これは当たり前のことね。
クラシックとかジャズでは調性と旋法性が対立概念みたいに扱われてるけど、この意味だと長調の長音階も短調の短音階も旋法の一つなのよ。
長調と短調の場合はモーダル・ハーモニーと比べても旋法性の使い方が特殊だから、その特殊な使い方を特別に調性って呼ぶの。
具体的に言うと、トニックやドミナントの機能を持つ単音だけじゃなくて、その音が根音になってる和音にも同じ機能が与えられて、更にそれを拡大解釈して根音が違ってても同じ構成音を含んでたらその和音にも同じ機能を与えるのが調性システム。
例えば長調だとドミナントのVはトニックのIに解決されるのが基本だけど、Iと構成音の2つが共通してるVImもトニック扱いされるでしょ?
VImは根音が主音とは別の音だけど、トニックの機能を与えられてるからV-VImの偽終止がカデンツとして成立する、これが機能和声。
この考え方を更に拡大解釈すると、仮に長調や短調の代わりに教会旋法を使っても、教会旋法のVが根音の和音をIが根音の和音に解決させるような和声の付け方をしたら、それは旋法性じゃなくて広義の調性なの。
一応言っておくけど、別に教会旋法を調性みたいに使うのは悪いことじゃないわよ。
教会旋法から作った和音は長調や短調から作った和音とは構成音が違うから一味違う響きになるし、曲の途中である教会旋法から別の教会旋法に「転調」するなんて荒業もやろうと思えばやれるから、それはそれで立派な表現技法の一つだわ。
でも、調性の代替要素として旋法性を使いたい、教会旋法の響きを引き出したいって意図で教会旋法を使うなら、VをIに解決するようなカデンツにするのは目的に反するから不適切なの。
もちろんこれは教会旋法だけじゃなくて、民族音楽の旋法みたいな他の旋法を使う時も同じ。
だったら、旋法性を使って曲を作る時はどうすればいいのかしら?
前回の講義で解説した厳格対位法を使うのも一つの手だし、もう少し先の講義で扱うフランス和声とかモード・ジャズの和声連結(モーダル・ハーモニー)の理論を使うのもあり。
この講義で扱うのはあくまで調性システムと機能和声を前提にしたバロック音楽と自由対位法だから、モーダル・ハーモニーの方法論を掘り下げることはそれが主題の講義の時にすることにして、今はしないけど、和声がどんな概念かを理解していただくための一助にはなったんじゃないかしら。
さて、話を自由対位法に戻しましょう。
自由対位法は、機能和声とポリフォニーが同時に成立するようにメロディを書く対位法。
当たり前だけど、複数のメロディを同時に奏でたら、協和音であれ不協和音であれ、何かしらの和音が生まれるわよね。
その和音、つまり縦に重なり合った音が和声としての機能を持つようにメロディを書くの。
和声法で曲を書くなら、そんなの簡単よ。最初にカデンツを決めて伴奏声部を書いて、それに合うように主旋律を書けばいいだけだもの。
もちろん出来上がる曲の質の良し悪しはその方の才能や勉強量によるけど、機能和声とメロディを両立させること自体は和声法の基礎を少し学べばどなたにだって出来るわ。
だけど、ポリフォニーの自由対位法じゃそうはいかない。機能和声を前提にしてるとはいえ、あくまで「対位法」なんだもの。
もちろん例外はいくらでもあるけど、基本的にクラシックは4声部で3和音を奏でることが前提の音楽。
上声部でメロディを奏でて残りの3声部で機械的に3和音の構成音を鳴らせばとりあえず最低限の形にはなる和声法と違って、自由対位法では全ての声部の音の進行が独立したメロディとして成立するように書かなきゃいけないの。
とはいえ、和声法で書かれたクラシック曲だって、メロディ声部以外の声部が次の和声に進行するまでの間ずっと和声の構成音を単音で機械的に鳴らしてるような単純な曲じゃないでしょ?
例えばトリルしたり非和声音を使ったり、いくらでも曲の質を高めるための工夫のしようはあるわ。
そういう意味で、優れた自由対位法は優れた和声法で、優れた和声法は優れた自由対位法とも言えるわね。
それで、音楽理論の初学者の方は誤解なさってるかもしれないから最初に注意喚起しておくけど、クラシックでは不協和音は必ず避けなきゃいけない悪いものとは限らないの。
調性システムと機能和声が生まれたバロック音楽以降のクラシックなら、なおさらのこと。
もちろん禁則に当たる不協和音はあるし、不協和音って言うからには協和音より響きが濁ってて耳に不快なことも多いわ。
だけど、機能和声はそもそもドミナント和音の緊張した響きがトニック和音の安定した響きに解決されようとするエネルギーを使って曲を展開させていくシステムなの。
ってことは、それと同じ構図が不協和音と協和音にも当てはまるのよ。
不協和音の濁った響きの直後に協和音の澄んだ響きを奏でたら、緊張が緩和するでしょ?
これも曲を進めるエネルギー源になるから、不協和音も場合によっては許されるってこと。
だから、調性を否定したフリー・ジャズみたいなジャンルだと曲を進めるエネルギーに別の要素が使われたりしたんだけど、その辺りの話はフリー・ジャズの講義の時にしましょう。
どうして不協和音に触れたかっていうと、自由対位法の和音は拍節と関わりがあるから。
拍節には強拍と弱拍があるけど、自由対位法では強拍では協和音を鳴らさなきゃいけないのよ。
でも、これは優先順位の問題で、自由対位法は対位法だから和声のカデンツが上手く成り立つことよりメロディの綺麗さの方が優先されるの。
だったら「各声部のメロディはどれも綺麗だけど重ねたら凄い不協和音で聴いてられない響きになる」ってことが起きてもおかしくないでしょ?
不協和音ばかりの曲じゃ、耳に快くはならないわよね。じゃあ、メロディ(横の流れ)の綺麗さと和音(縦の響き)の綺麗さをどう両立させればいいのかしら。
自由対位法では、リズム的に強い強拍では常に協和音が鳴るようにして、不協和音を弱拍に回すの。
これは小節線が発明されて拍節の概念が強くなったから出来るようになった手法ね。
この時、弱拍で鳴る不協和音は機能和声的には機能を持たない偶成和音として解釈される。つまり、カデンツに含めずに無視する。
メロディの書法の具体的な規則に触れると、2度以上の増音程は禁則。つまり、増1度はいい。
減音程は次の音を反行させれば自由に使っていいけど、減3度と減4度は禁則じゃないけど好ましくないとされる。
増音程と減音程が全部禁則だった厳格対位法と比べて、これだけでもずっと「自由」でしょ?
これは声楽が主流だったルネサンス音楽と違って、バロック音楽では器楽が主流になったから。
跳躍進行や半音進行が多いメロディは人間には歌いにくいし、あまり自然じゃないけど、楽器なら普通に奏でられるし、歌よりは自然に聴こえるわよね。
6度までとオクターブの跳躍進行はよくて、長短7度の跳躍進行は禁則だけど、7の和音の根音から第7音に向かって進む短7度の跳躍進行は例外として認められる。
跳躍進行が許される音程が厳格対位法より1度広くなったのも、声楽前提から器楽前提に変わったからよ。
4度以上の跳躍進行の後に同じ方向に続けて跳躍進行するのは、和音をアルペジオで奏でる場合以外は禁則。
跳躍進行を2回連続したら、次の音は反行で順次進行。
強拍では和声の構成音を鳴らさなきゃいけない代わりに跳躍進行が比較的自由だけど、弱拍ではメロディを優先していい代わりに順次進行が原則。
下側への刺繍音でメロディを修飾する時、刺繍音がドとファとソの場合は#を付けて半音上げること。
さっき触れた増音程と減音程もそうだけど、バロック音楽の時代は半音進行が頻繁にメロディに使われてたの。
で、少し話が戻るけど、ドミナントからトニックへの解決が調性の特徴なら、調性的な機能を持ってる長音階と短音階のI(トニック)とIV(サブドミナント)とV(ドミナント)の音は調性的な性質の音ってことになるわよね。導音のVIIも。
逆に言うと、IIとIIIとVIの音は調性的じゃない音ってことになる。
このことから、7音音階のうちIとIVとVの音を調的音度、それ以外の音を旋法的音度って呼ぶの。
自由対位法は調性システムを前提にした理論だから、自由対位法で曲を書く時は調性感を強めるためにメロディに旋法的音度より調的音度の音を多く使うこと。
逆に言えば、調性を使わずに旋法性を活かした曲を書きたい時は、調的音度を意図的に避けて、メロディに旋法的音度を多く使えばいいってことでもあるわね。
あと、自由対位法のメロディの構成音は同時に和声の構成音でもあるんだから、その時の和声の構成音を基本に、そこに非和声音の装飾を混ぜる形でメロディを書く。
つまり、和声感を含ませてメロディを書くこと。
これについては、アルペジオを思い浮かべていただけばいいわ。
アルペジオは構成音を同時にじゃなくてタイミングをずらして鳴らしてるけど、和声としてちゃんと機能してるでしょ?
アルペジオみたいに、メロディが和声としても機能するようにすればいいの。
導音は必ず主音に進行させること。
主旋律についての規則はこれくらいね。
前回の厳格対位法の講義の時に、主旋律の書き方の規則を大量に説明したのと比べて、あっさりと説明が終わったことに拍子抜けされた方もおられるんじゃないかしら。
主旋律の書き方に音価絡みの規則がとても多かった厳格対位法と違って、自由対位法にはそういうのが全く無いでしょ?
そういう意味で自由対位法は「自由」なのよ。
例えば増1度なんて、厳格対位法でも和声法でも禁則になってる、自由対位法でだけ許されてる進行だもの。
主旋律が終わったら、次は対旋律の書き方。
主旋律の書き方は厳格対位法と比べて「自由」だったけど、こっちは和声法と比べて「自由」なの。
主旋律と対旋律の音の組み合わせで和声を構築するんだから、対旋律のリズムは主旋律とあまり違わないようにするのが普通。
理由は簡単で、声部間であまりにリズムが違いすぎると上手く音を重ねてカデンツを成り立たせるのが難しくなるから。
もちろん、主旋律と同じ和音の構成音を使って、似たようなリズムで対旋律を書くんだから、メロディ同士の雰囲気が似てしまいやすくなるわ。
メロディの自立性が低いと自由対位法じゃなくて和声法になっちゃうから、自由対位法であるためには、どうにかしてメロディの自立性を確保する必要がある。
じゃあ、どうしましょうか?
自由対位法じゃ、そのための手法も理論化されてるのよ。
具体的には、メロディの最高音が違う小節で鳴るようにしたり、フレーズの始まりと終わりを同時に鳴らさずにずらせばいい。
後は、主旋律が暴れてる時は対旋律は穏やかに、主旋律が静かな時は対旋律が騒がしく、そういう対比も有効ね。
これは規則じゃないから必ず守る必要は無いけど、対旋律は主旋律の上に置く時は5度か8度、下に置く時は8度の音から始めるのが基本。
声部同士の交叉は基本的に自由で、主旋律と対旋律をなるべく反行させると美しく聴こえやすいとされる。
だから、対旋律の動きは主旋律の動きに対して平行より、反行や斜行で進む割合を多くした方がいい。
……さて、ここで一度、今回の講義の意義について考えましょうか。
そもそもの話だけど、自由対位法の和声的な規則が和声法と大して変わらないなら、わざわざ和声法とは別に解説をする必要が無いでしょ?
「ちょっと複雑な和声法」で済むし、和声法の講義の中で少し言及するだけでいい。
でも、私がこうして自由対位法の理論を皆さんに解説してるのは、和声的な規則が和声法とそれなりに違うからなのよ。
私はここまで「自由」を強調してきたわよね。
和声法じゃ禁則だけど、自由対位法では認められてる対旋律の重ね方がいくつもあるのよ。
つまり、和声法じゃ出来ないことが自由対位法を使えば出来る場合があるの。面白いでしょ?
和声法と厳格対位法しか学んでない方が自由対位法を修得したら、書ける曲の幅が広がるってこと。
例えば、さっき触れた増1度の進行も、自由対位法では認められてるけど、厳格対位法と和声法では禁則よ。
そういう大きな意義があるから、私は自由対位法の理論の解説を厳格対位法とも和声法とも分けて、独立してやることにしたの。
さあ、ここからが今回の講義の本番よ。
とっても面白い自由対位法の世界に皆さんをお招きするわ。
自由対位法でも、声部間の平行1度、平行5度、平行8度は和声法と同じく禁則。
平行5度が禁則になってる理由はコンセンサスが全く無いクラシック最大の難問で、学者によって説明が全く違うけど、私は「完全5度の響きは美しすぎるから、平行5度を使うとその部分だけが強調されて、他の部分から浮いて不自然になっちゃうから」って解釈してるわ。
ただし、自由対位法では、逸音や転過音みたいな非和声音による装飾(自由対位法ではこういう音を対位法的不協和音って呼ぶわ)を対旋律に施した結果として生まれた平行1度、平行5度、平行8度は認められてるの。
つまり、対旋律の2音のうち片方が非和声音なら平行1度、平行5度、平行8度を使ってもいいの。
「クラシックの定義は平行5度が使われてないこと」とまで言われるくらいの和声法の最大の禁忌、平行5度の禁則を破る抜け道が自由対位法にはあるのよ。
和声法にもモーツァルト5度みたいな例外はあるけど、モーツァルト5度よりこっちの方がずっと自由度が高いでしょ?
で、減5度は3度に解決するのが規則だから、ソプラノ声部とアルト声部の間の減5度→完全5度の進行は、テノール声部が3度音を鳴らしてる場合を除いて禁則。
逆に、完全5度→減5度の進行は問題なし。
並達5度と並達8度は和声法じゃ禁則だけど、自由対位法だとその部分の音の動きを強調するための手法として認められる。
強調が強すぎてそこだけ浮いて不自然に聴こえちゃう場合は、片方の声部の音の音価を変えてリズムをずらせば強調の効果を和らげられるわ。
空虚5度と空虚8度、完全4度も和声法じゃ禁則だけど、自由対位法では使って構わない。
むしろ、これらの和音の鋭い響きは、自由対位法では3度や6度の柔らかい響きとの対比で意図的に使い分けて、表現技法として積極的に活用されるわ。
増音程は広がる、減音程は縮まる指向性を持つ。
上声部で導音が主音に進んで、下声部で第5音が第4音に下行する時に生まれる三全音の対斜は、内声が第5音から第4音に進行する場合を除いて禁則。
ただし、第4音が更に下行の動きを続ける場合は許される。
自由対位法で作られた曲には、曲全体に統一感を与えるために複数の声部で同じ動機を演奏させることが多くて、これを模倣と呼ぶ。
模倣をする時は、動機を拡大や縮小とかで変形させてもいい。
3つの声部を一回ユニゾンさせて、そこから声部ごとにメロディを枝分かれさせていくのは自由対位法ならではの効果的な技術。
不協和音程を並進行でオクターブやユニゾンに解決させるのは禁則。
対旋律の書き方はこんなものね。和声法じゃ禁則になっててやれないことをいろいろやれるなんて、刺激的で面白いでしょ?
他には、自由対位法にはテシトゥーラっていう概念があって、これはある声部で一番多く使われる音域のこと。
曖昧な概念で厳密には決められないんだけど、大体はその楽器が出せる最高音と最低音の中間に置いてバランスを取ることが多いわ。
これもまた、声楽から器楽が主流になったからこその概念ね。
メロディやフレーズは基本的にテシトゥーラの上でバランスを取るから、上下の幅が広すぎるメロディはバランスが不安定になっちゃう危険があるのよ。
次はカデンツの解説ね。
自由対位法は機能和声を使う理論なんだから、具体的にどんなカデンツが許されてるかを知らなかったら曲を書けないでしょ?
結論から言えば、自由対位法のカデンツは和声法のカデンツよりずっと単純で自由なの。
自由対位法でも和声はあくまで3和音が基本なんだけど、和声法と違って3度の音を省略して空虚5度で鳴らすのが弱拍では許される。
根音を省略して、3度と5度の音だけで本来の3和音の代理にするのも許される。
7の和音もあるけど、第7音には予備が必要。
ただし、属7和音の場合は予備はしてもしなくてもいいし、減7和音には予備は不要。
7の和音の第5音は、強拍でも弱拍でも自由に省略していい。
つまり、自由対位法じゃ和音は原形、第1転回形、7の和音、属7和音、減7和音の5種類の形を取るってこと。
第2転回形もあるにはあるけど、第2転回形はバスとの間の音程が完全4度になるから属7和音以外じゃ禁則。
ただし、I(6-4)-V5とかIV(6-4)-I5みたいに倚和音として使う時と、IV6(6)-I(6-4)-II7(6)とかI5-V(6-4)-I(6)みたいに経過和音として使う時は特例で許される。
6はポピュラーの理論だと4和音のシックスコードを指すけど、クラシックじゃ3和音の第1転回形を指すから、バンドとかをやっててクラシックを新たに学ぶ方は注意して頂戴。
どうして倚和音と経過和音の時の第2転回形が特例かっていうと、最初の方でも説明したけど、自由対位法じゃ非和声音で構成された弱拍の和音は偶成和音扱いでカデンツ上じゃ無視されるから。
元々無いものとして扱われる和音だから、鳴らしても問題ないってことね。
これは禁則じゃないけど、属7和音の第2転回形を使う時は、バスとテノールの間の低音4度をなるべく避けること。
この場合、属7和音の根音を省略すると第2転回形を使っても低音4度を避けられるわ。
それで、つい今、3度の音の省略が自由対位法では許されるって言ったわよね。
でも、調性を決めてるのは3度の音の長短だから、3度の和音を省略したら長調なのか短調なのか分からなくなるわ。
例えばハ長調のカデンツでI-Vはドミソ→ソシレ。
だけど、これがハ短調だったらIm-Vmはドミ♭ソ→ソシ♭レ。
譜面を見れたら調号で分かるけど、譜面が無くて和声の音だけ聴いた時、ハ長調なのかハ短調なのかは、3度の音の長短で判断するしかないでしょ?
少しまどろっこしいから、言い方を変えましょう。
根音と5度は長調でも短調でも同じ音なんだから、長調と短調の響きの違いを生み出してるのは3度の長短。
なのに3度の音を省略したら、長調の響きも短調の響きも感じられなくなって調性が曖昧になる。だから空虚5度は和声法じゃ禁則なの。
エレキギターのパワーコードは、あれはギターって楽器特有の性質が理由で3度の音を抜いてるから、空虚5度とは全く別の話。
それに、ギターでパワーコードを弾く時は、大抵はベースが3度の音を鳴らして調性が分かるように補ってるから、厳密な空虚5度じゃないわ。
でも、調性を前提にしてるのに自由対位法では3度の音の省略、つまり空虚5度が許される。どうしてかしら?
じゃあ、それを考えるために自由対位法でカデンツに使える和音を見ていきましょう。
長調でカデンツに使っていい和音はIからVIImまでの7つの和音に加えて、同主短調の和音。
短調で使っていい和音はImからVIIまでの7つの和音に加えて、ピカルディ3度、ナポリの6、II♮5(ドリアのVIを使ったII)、III♮5、IV♮3(ドリアのVIを使ったIV)。
その他、ドッペルドミナントとか借用和音も使っていい。
これを眺めてたら、長調で短調の和音を使ったり、その逆が多いことに気付くでしょ?
自由対位法は長短の区別が曖昧っていうか、和声法と比べて同主調を簡単に交代出来る理論なのよ。
というより、バロック音楽の時代は半音階法が盛んに使われてて、同主調の長調と短調が一緒くたにされてたって感じね。
そもそも長短の区別に無頓着だから、空虚5度が禁則になってないっていう、単純といえば単純な話。
ちなみに、自由対位法では短調には旋律的短音階を使うわ。
他の和声的規則としては、連続1度、ソプラノとバスの連続5度、連続8度は禁則。ソプラノとバスの間以外の声部で起きる連続5度はいい。
反行連続5度→1度、反行連続8度→1度、反行連続1度→8度の進行は禁則。
外声間の並達5度、並達8度は、ソプラノが跳躍進行して生まれた場合は禁則。並達1度はいい。
導音は絶対に主音に解決させなきゃいけないけど、これは絶対に主音に進行しなきゃいけないって意味じゃない。
例えば、IIIm-IVの進行じゃ導音を含んでる声部のメロディは主音に向かわずに2度下行するでしょ?
つまり、他の声部で鳴らされた主音で導音が解決すれば、導音そのものが直接主音に進行しなくてもいいの。
和声法じゃIIIの第5音に導音がある時以外の導音の重複は禁則だけど、自由対位法じゃ対位法的なメロディの綺麗さを優先させるためなら、導音を重複させるのはどんな場合でも自由。
長2度から1度に進行する斜行は許されるけど、短2度から1度に進行する斜行は禁則。
対斜は、後ろに続く和音が減7和音の場合を除いて禁則。
掛留音の解決音をソプラノで鳴らすのは禁則だけど、対位法的なメロディを優先させるために刺繍的倚音の解決音をソプラノで鳴らすのは認められる。
掛留音の解決音が下声部に置かれて、上声部の掛留音と短2度でぶつかるのは禁則。長2度でぶつかるのはいい。
各声部のメロディの独立性を確保したり、メロディの流れを優先するために隣接声部を一時的に交差させるのは基本的にはいいんだけど、ソプラノとアルトの交差は主旋律を邪魔しちゃうから禁則。
アルトとテノールの音は1オクターブ以上離れてもよくて、内声が1オクターブ以上跳躍するのもいい。
転調はロマン派がやったみたいな遠隔調への転調や異名同音的転調は避けて、主調と近親調の範囲に留めること。
理由は、そういう転調をすると調性感が希薄になるから。
自由対位法は調性システムを前提にしてるから、調性感が薄れるのは好ましくないの。
次は非和声音。
自由対位法の「非和声音」の定義は、「旋律に伴う和声の一部じゃない音」のこと。
非和声音はそれぞれ、解決されるまでの間に更に別の和音構成音や非和声音を追加して装飾していい。
倚音
和声法でもそうなんだけど、非和声音は基本的にリズム的に弱い性質を持ってる音なの。
その中で、リズム的に強い唯一の非和声音が倚音。
半音進行か全音進行で解決されるけど、倚音はリズム的に強いから、音が鳴る場所が強拍か弱拍かとは無関係に強→弱ってリズムの解決になる。
経過音
全音進行か半音進行で前後の和声音を繋ぐ、メロディラインの音階的な動きを継続させるために鳴らされる非和声音のこと。
たとえ強拍で鳴らされてもリズム的に弱いって性質がある。
倚音と経過音の違いは、リズム的に強いかどうかだけ。
掛留音
タイで結ばれて掛留された音が、掛留されたことで和声の構成音じゃない音になる音のこと。
比較的長い音価の音符で予備されることが多くて、それが小節線を跨いでタイで結ばれて次の小節の拍節が切り替わる時に解決される。
掛留音の予備が短いと、先取音とタイで結ばれた倚音って感じになるわ。
他の声部の和声リズムが強拍になりそうな時にリズム的な強さを避ける効果があるから、非和声音の中で一番対位法的な音。
だから、掛留音を使うと旋律リズムと和声リズムの間にずれが生まれるの。
掛留音は少なくとも1拍以上延ばすのが普通だけど、もっと短くてもいい。
掛留音は、掛留されてる音自体に上行の指向性が無くても、上行して解決させられたがる性質を持つ。
もちろん、掛留された音が導音や半音高められた音だったら、もっと自然な解決になるわね。
解決を遅らせて、掛留させ始めた時の和声とは異なる和声に解決させてもよくて、これが7、9、11、13の和音の対位法的な起源。
掛留して引き延ばす音は和声の構成音が基本だけど、他の非和声音を引き延ばすのも禁則じゃないわ。
先取音
不協和音を予備する音のことで、先取される音よりも音価が短くなる。
さっき「リズム的に強い非和声音は倚音だけ」って言ったけど、これには例外があって、先取音を先取される音とタイで結ぶと、アクセントが先取音に移動して、息切れしたみたいな感じのシンコペーションが生じるわ。
刺繍音
単音を装飾する非和声音で、原音から上か下に全音か半音離れた後にまた原音に戻ってくる音のこと。
簡単に言えばトリル。
さっきも言ったけど、下側への刺繍音で刺繍音がドとファとソの時は#を付けて半音にすること。
刺繍音が鳴ってる間、ずっと同じ和声が鳴り続けてるとは限らない。
逸音
掛留音または倚音とその解決音の間に挿入された音のこと。
メロディが進む方向を順次進行で反行させて逸音を鳴らして、それから3度の跳躍進行で解決音に向かう。
上行でも下行でも、旋律のあらゆる2度進行の間を埋めるために使える音。
当然、起点を和音の構成音にしたら、逸音は不協和音になるわね。
転過音
掛留音または倚音とその解決音の間に挿入された音のこと。
メロディの進む方向と同じ方向に3度跳躍進行して、それから順次進行で解決音に反行する。
上行でも下行でも、メロディのあらゆる2度進行の間を埋めるために使える音。
到達先の和音から見ると不協和音になるわ。
さて、残りはバロック音楽の特徴である通奏低音とモノディ様式、それから楽式。
過去の私の講義を聞いてくださった皆さんは既にお気付きかもしれないけど、私はどちらかというとhowよりwhyを重視するの。
だから、通奏低音はなかなか説明が難しいけど、通奏低音やモノディ様式がどうして生まれたのか、どうしてそういう形になったのかって観点から説明していくことにするわ。
通奏低音は、バス声部にメロディを書いて、メロディの構成音の音符の下に数字付き低音を書いて、その音に付ける和声を指示する記譜法。
もっとざっくり言うと、即興的なハーモナイズのための記譜法。
バロック音楽、自由対位法は調性システムと機能和声を前提にした音楽だったでしょ?
だったら、当たり前だけどメロディには和声が付いてなきゃいけないわよね。
そして、その和声を指示するために、数字付き低音って呼ばれる記号が使われたの。
具体的には、原形の3和音には何も数字を付けない。第1転回形には6、第2転回形には46を使う。
7の和音の原形には7、第1転回形には56、第2転回形には34、第3転回形には2を使う。
和声法でも3和音の第1転回形は6って書くけど、そういう数字は通奏低音に由来してるのよ。
カデンツァとかと同じで、時代が進むにつれて作曲家が自分で書く部分が増えていって、結果クラシックでは即興演奏がされなくなっていったけど、通奏低音そのものが廃れても、和音の表記のための数字だけは残ったってこと。
で、ここが重要なポイントで、数字付き低音は「和音の根音からの音程」じゃなくて「バス声部の音からの音程」を示してるの。
これが通奏低音と、ポピュラーで使われるコードネームの最大の違い。
つまり、通奏低音は演奏者の解釈次第で転調にも使えるのよ。
和声法だと転調するにはそれなりの予備が必要(軸和音1つだけで転調出来るテクニックもあるけど)だけど、通奏低音を使えば和声法よりずっと簡単に転調出来るってこと。
でも、だからこそ譜面に書かれてる通奏低音の数字をどんな風に解釈するか、どんな解釈を選ぶか、演奏者にはハーモナイズのための思考量とセンスが求められるわけ。
即興でハーモナイズするってことは、横に並んでる和声の構成音を上声部に割り振ってメロディを即興で作るってことでもあるもの。
クラシックは基本的に3和音を4声部で演奏する音楽だけど、譜面で指示されてるのがソプラノ声部とバス声部のメロディだけなら、通奏低音に従ってハーモナイズするのは演奏者なんだから、残りの内声のメロディは作曲家にとっては重要じゃないってことよね。
だって、通奏低音を使って書かれた全く同じ譜面を違う演奏家が即興演奏して、全く同じ演奏になるなんてまずあり得ないもの。
数字付き低音が指示するのは「根音からじゃなくて最低音からの音程」って言ったけど、実は通奏低音のハーモナイズにはオクターブの指定が無いのよ。
例えば、指定されてる和音を密集配分と開離配分のどっちで鳴らすかは、演奏者の即興任せなの。
しかも、数字付き低音は和音の根音を指定してないから、和音の機能もその場の判断で変えられる。
こんなアバウトな指示の譜面に、再現性があるはずがないでしょ?
要するに、通奏低音が使われた譜面では、作曲家が指定してるのは音符で書かれた声部のメロディと和音の響きの組み合わせだけなの。
これって、凄く和声法的な書法だと思わない?
言い方を変えれば、通奏低音って全く自由対位法的じゃない書法でしょ。
バロック音楽の時代には自由対位法が使われてたのに、どうしてそうなったのかしら?
って言っても、答えはシンプル。発想が逆で、通奏低音と自由対位法は対立するものじゃなくて相補的なものなの。
これは一般論だから一部の天才には当てはまらないけど、普通は即興演奏って難しいわよね。
私だって、ピアノを即興演奏しろって言われて、名曲をその場で作る自信なんて無いわ。
時間をかけてカデンツを考えて主題を労作して、あらかじめ完成させておいた曲の方が出来がいいに決まってる。
やれる方にはやれちゃうんでしょうけど、それって負担がとても大きいでしょ?
だから、即興のために禁則が少なくて比較的自由に対旋律を作れる自由対位法が使われたの。
アドリブ演奏が普通のジャズにも、これと同じことが言えるわ。
複雑さが極まったハード・バップ辺りの時代の調性ジャズ理論は作曲のために使おうと思うと発狂しそうになるくらいややこしい(私は前に調性ジャズ理論でハード・バップを書いた時に、今自分が何をしてるかとか、どこまで進んでるかを把握するために1万文字以上のメモを書いたわ)けど、アドリブのために使う分には楽なのよ。
モード・ジャズ以前の調性ジャズって、乱暴に言えば「調性が崩壊する寸前の限界まで何でもあり」だから。
制約が少なすぎて自由すぎる理論は、作曲する時だと判断しなきゃいけないことが多すぎて使いこなすのが難しいわ。
でも、即興演奏する時は咄嗟に選べる選択肢が多いのはメリットになるの。
自由対位法って、どっちかって言うと作曲より即興演奏のための理論なのよ。
それで、モノディ様式っていうのはルネサンス音楽からバロック音楽へのパラダイムシフト。
ルネサンス音楽は声楽が基本だったけど、厳格対位法じゃ4声部全てが平等に扱われたわよね。
基本的に声楽曲には歌詞があるけど、4声部で別々の歌メロを同時に歌ってる厳格対位法の声楽曲って、歌詞が聴き取りにくいでしょ?
もちろん、歌詞を聴き取りやすいように曲を書くのも作曲家の腕なんだけど、それにも限度があるわ。
だから、歌詞が聴き取れるように歌メロを1本だけにして、それを他の声部の伴奏で支えようってことになったの。
こういうパラダイムシフトが起きた理由だけど、地理的な要因と思想的な要因の2つがあるわ。
まず、地理的な話をしましょう。
ノートルダム楽派のオルガヌムからアヴィニョン教皇庁がパトロンだったアルス・スブティリオルまで、中世西欧音楽の中心地ってずっとフランスだったわよね。
更に言えば、グレゴリオ聖歌が成立したフランク王国も、後のフランスに当たる地域よ。
今後の講義で扱うフランス和声もそうだけど、フランスって西欧音楽史的に見るとリズムを重視するお国柄なの。
実際、アルス・アンティクアのモード記譜法からアルス・スブティリオルの狂気的なくらい複雑なリズム体系まで、フランスの音楽理論って一貫してメロディよりリズムに関する規則をメインに扱ってたでしょ。
例えばデュファイさんとかデ・プレさんみたいに、ルネサンス音楽も中期まではフランス人作曲家が中心だったの。
だから、厳格対位法にはあんなに音価絡みの規則が多かったのよ。
一方で、イタリアはメロディの美しさを重んじる国。
フランスでリズムを主に扱ったアルス・ノーヴァの理論が実践されてたのと同時期のイタリアじゃトレチェント音楽ってメロディ重視のスタイルが流行ってたし、モーツァルトさんはオーストリア人だけどイタリアの音楽からかなり強い影響を受けてるの。
私はメロスパーだけど、イタリアってRhapsodyとかDerdianみたいな強烈なメロディを書くバンドが多いわよね。
フランスのシャンソンは、ポピュラーの歌曲にしてはメロディが複雑なことが多いわ。
そういうのって、中世以来のお国柄が皆さんの時代にまで残ってるの。歴史と伝統って、馬鹿にできないのよ。
ま、西欧音楽史上のドイツの立ち位置とか他の国と比べた特徴は次回の和声法の講義できっちり解説するから、今はこれくらいにしておこうかしら。
要するに、ルネサンス音楽の後期に西欧音楽の中心地がフランスからイタリアに移ったの。
だから、ルネサンス音楽の後期を代表するパレストリーナさんはイタリア人でしょ?
で、言葉の使い方がややこしいし、ご存じない方も多いと思うけど、音楽の「ルネサンス音楽」って絵画とか建築とか文学とか他の分野の「ルネサンス」とは理念的に全く異質なのよ。
そもそも「ルネサンス」っていうのは「『暗黒の中世』で失われた古代ギリシア、古代ローマの芸術スタイルを復興させよう」ってイデオロギー、復古運動だったわよね。
ルネサンスって言葉自体、フランス語で「再生」って意味よ。
絵画とか建築とか文学とか、そういう他の分野じゃ、その理念の通りに作品が作られたわ。モナ・リザとか、サン・ピエトロ大聖堂とか、神曲とか。
だけど、音楽じゃそうはならなかったの。
理由は、ルネサンス音楽は声楽ポリフォニーが中心だったけど、それを歌う聖歌隊を雇ってたのは主にミサ曲なんかの需要があるカトリック教会だったから。
ルネサンス音楽の時期には、教会の聖歌隊からキャリアを始めた歌手出身の作曲家がわりと多いのよ。
ルネサンスは「暗黒の中世」を前提にしてるけど、それって反キリスト教的な要素を含んだ思想だから、声楽ポリフォニーが中心である限り、カトリック教会に依存してた西欧音楽じゃ他の分野みたいなルネサンス運動は起きにくかったってこと。
仮にそういう曲を作ったって、じゃあその曲をあなたはどこでどなたに歌っていただくつもりなの?って話になるじゃない。
だから、「ルネサンス音楽」って言葉には単に「ルネサンス期のクラシック音楽」って意味しか無くて、「ルネサンス的な精神で作られた音楽」のことじゃないの。
でも、教会から制約を受けるのはあくまで声楽ポリフォニーで曲を書いた場合の話で、そうじゃないスタイルでなら、聖歌隊を抱える教会に依存せずにルネサンス的な精神で曲を書けるし、発表できるわよね。
それじゃ、具体的に「ルネサンス的な精神の音楽」ってどんなものかしら?
言い方を変えたら、模範にされた古代ギリシア、古代ローマの音楽を想像した時に、何が最初に思い浮かぶかしら?
当時その答えとされたのは、ギリシア悲劇だったの。ギリシア悲劇の復活、つまりオペラって新しいジャンルの開発がバロック音楽のコンセプト。
ややこしいけど、西欧音楽じゃ、他の分野のルネサンスがバロック音楽に対応するのよ。
この辺りのややこしさはルネサンスだけじゃなくて、新古典主義とか新ロマン主義も他の分野とは言葉が使われた時代が全く違ってるわ。
で、ギリシア悲劇は歌劇だけど、今までの厳格対位法で書かれた声楽ポリフォニーはさっきも言ったけど歌詞が聴き取りにくいわ。
歌詞が上手く聴き取れなかったら、歌劇のストーリーがよく分からないわよね。
それに、音楽はその場面のストーリー展開と合ってるのが望ましいけど、声部が対等でリズム絡みの規則が多い厳格対位法じゃ曲の展開に起伏を付けるのが難しいわ。
もっと言えば、人間には声帯が1つしかないんだから、1人の登場人物の台詞を複数の声部が違うメロディで同時に歌うのは音楽的な問題を抜きにしても歌劇として不自然でしょ?
要するに、ギリシア悲劇の復興って目的、言い換えればオペラの作曲には厳格対位法は全く適してないの。
じゃあ、オペラに適した方法論を新しく編み出さなきゃいけないわよね。
具体的にどんなのがオペラに適してるのか考えてみましょう。
台詞は1つのメロディで歌われるのが望ましいし、他の声部より目立つのが望ましい。
だから、一番音域が高くて目立つソプラノ声部に歌メロを置きましょう。
そうすると厳格対位法の声部の対等の原則が破れるけど、元々イタリアは中世以来メロディ重視の地域だから、ソプラノ声部を他より目立たせる書法はイタリアのお国柄とも合ってるわ。
で、4声部のうちソプラノ声部の次に重要なのはバス声部。
だから、歌メロに付ける伴奏のメロディをバス声部に置きましょう。
曲の主役は外声のソプラノとバスで、内声の2声部は従属的であるべき(内声が外声と同じくらい目立っちゃったら本末転倒よね)なんだから、内声には脇役らしく単なる和声の構成要素でいてもらいましょう。
クラシックは基本的に3和音だから、バス声部の音の上に内声の音が重なれば和声が作れるわ。
メロディに合った和音を付けられればいいなら、どのタイミングでどの和音を鳴らすかさえ決めれば構わないってことよね。
和音の最低音はバス声部の音なんだから、和音を決めるだけなら数字付き低音でアバウトに指示すれば十分で、内声のメロディをわざわざ考えて書く必要は無いじゃない。
細かい部分は演奏者が上手くハーモナイズしてくれるから、そっちに投げちゃって構わないわ。
それで、理論に自由度が高くてやれることが多いと、かえって作曲に使うには難しいって言ったけど、オペラの場合は話が別なのよ。
何故なら、オペラは脚本を先に用意してから作曲するから。
曲の流れがストーリーの展開に縛られるから選択肢が減るし、自由度の高さはオペラのストーリーを音楽で表現するためにはプラスに働くの。
悲劇的な場面でアップテンポで陽気なメロディが流れてたら雰囲気ぶち壊しだし、逆にコミカルな場面でロ短調の陰鬱なメロディが流れてても違和感があるでしょ?
調性だってそうよ。調性格論って概念があることから分かるように、異名同音を含めて長短30ある調にはそれぞれ固有の響きと意味合いがあるって考えられてたから、ストーリーの展開に合わせて転調する必要があることもあるわ。
調性格論は皆さんの時代じゃ懐疑的に考えられがちだけど、本当に調に性格があるかどうかはどうでもいいの。
重要なのは調に性格があるって考えられてて、それぞれの調が持ってる意味の共通認識が作曲家と聴き手の間にあったこと。
例えばニ長調は主の栄光を表現する調だと考えられてたみたいに、絵画でいうアトリビュートみたいなものとして機能してたのよ。
だから、陰鬱な場面とか敗北の表現にニ長調を使うのはエチケットに反してて芸術的に不適切なの。
そういうミスマッチを回避するには、理論の自由度が高い方が好都合よね。
なら、厳格対位法の規則にあった不協和音の予備とか音価絡みの細かなルールは自由にメロディを作るために無視してしまいましょう。
厳格対位法のルールを破って自由度を高めると、2つの効果があるの。
まずは、和声の充填。外声だけ書いておけば内声のメロディは演奏者が作ってくれるけど、理論が自由であればあるほど演奏者が即興でハーモナイズする時の負担は減るわよね。
即興の自由度が高ければ、観客は同じ曲でも聴く度に違う演奏を楽しめるから飽きにくくて何度でも来てくださるって商業的なメリットもあるわ。
キャストが多くて舞台装置とか衣装も必要なオペラの上演にはお金がかかるけど、オペラはカトリック教会って大パトロンに依存しないように、要するに自力で黒字を出さなきゃいけなかったから、商業面の事情も無視できなかったの。
もう一つはダ・カーポ・アリア。クラシックで即興演奏といえば通奏低音とか協奏曲のカデンツァのイメージが強いでしょうけど、後々オペラ改革が起きるまではオペラのアリアにもかなり自由な即興が許されてて、アリアを担当するプリマドンナは自分の歌唱力の高さを披露するために元の歌メロを大幅に改変して、好き勝手にコロラトゥーラ・ソプラノで暴れ回ってたの。
当たり前だけど、同じ地域でも時代によって流行りのスタイルは変わるわ。
脚本のストーリー展開に合わせて作られたメロディを無視するってことは、ダ・カーポ・アリアが即興で歌われてる間はオペラのストーリーが止まって進まない。
後にオペラ改革をしたグルックさんはそれを嫌って即興の自由を奪ったんだけど、ストーリーや元のメロディよりプリマドンナが即興で披露する技巧の方がむしろオペラの見せ場で、客席が盛り上がった時代もあったのよ。
即興である以上、プリマドンナにとっても自由度が高い方が暴れやすいし、それに合わせる伴奏も付けやすいわよね。
作曲家にとっても、演奏者にとっても、プリマドンナにとっても、オペラって楽式では理論の自由度が高い方がよかったの。
この辺りの事情はオペラだけじゃなくて、オラトリオとかカンタータみたいな歌詞にストーリー性がある他の楽式も同じ。
じゃあ、こういう要求から逆算したら、オペラに向いてる理論はどんなのになるかしら。
ストーリーに合わせてメロディを作りたいんだから、厳格対位法にあったみたいな音価絡みの細かい規則は無い方がいい。
だけどリズムも大切だから、小節線の発明で強化された拍節をリズム的な一貫性のために使いましょう。
音楽の表現力を高めるために不協和音を自由に使えるようにしたいけど、曲全体の統一感を保つために調性もはっきりさせたいから、両方の要求を満たすために弱拍では不協和音を自由に使っていいことにすればいいわ。
ストーリーを歌声で表現したいんだから、作曲家が直接決める必要があるのは歌メロと伴奏と和声。
作曲家が直接メロディを書くのは外声だけでよくて、内声は鳴らす和音さえ指定できたら十分なんだから、数字付き低音を使えばいい。
これが通奏低音が生まれた経緯で、ソプラノ声部を前に押し出して和声を当てる、メロディ重視のイタリア的な発想の書法がモノディ様式。
グレゴリオ聖歌みたいな単旋律の音楽を指すモノフォニーって言葉があるみたいに、モノディの「モノ」は「1つの」って意味。
バロック音楽の時代に当時の方々がこの言葉を使ってた訳じゃないけど、モノディ様式は1つの歌メロを重視する書法のことなの。
「バロック」って言葉は「いびつな」って意味だけど、これはソプラノの歌メロを他の声部より重んじるモノディ様式を4声部が対等なルネサンス音楽と比べた表現よ。
古典派から後期ロマン派までの時代、機能和声のシステムとホモフォニーのスタイルがフランスじゃなくてドイツで高度に発達したのも、後期ロマン派に対抗する印象主義音楽をドビュッシーさんがフランスで始めたのも、お国柄が背景にあってのことで、単なる偶然じゃないの。
だけど、それって「対位法」な自由対位法の理念とは矛盾してるわよね。
バロック音楽にはモノディ様式と自由対位法の両方があったって、どういうことなのかしら?
これにはちゃんとした理由があるのよ。
そもそも、モノディ様式ってオペラとかオラトリオ、カンタータみたいなストーリー性がある声楽曲のための書法でしょ。
バロック音楽の精神性はルネサンスだけど、ダビデ像みたいにルネサンスは均整美を重んじる芸術運動。
バロック音楽の精神性はルネサンスだから、4声部は対等じゃなきゃいけないのよ。
要するに、ホモフォニックな発想のモノディ様式はストーリーを歌メロで表現するオペラとかオラトリオ、カンタータみたいな声楽曲の中でもストーリー展開がある楽式に限った特殊なシチュエーションで使う書法で、バロック音楽の理念としてはルネサンス音楽と同じようにポリフォニックで4声部が対等であるべきなの。
バロック音楽で器楽が主流になった理由の一つがこれ。
モノディ様式は声楽曲の書法で、歌詞が無いからソプラノ声部を目立たせなくていい器楽曲じゃ使う必要が無いでしょ。
加えて、モノディ様式はオペラって新しい楽式を作っていくための、実験的要素が強い過激な書法だったのよ。
だから、徐々にオペラのスタイルが固まっていくにつれて、過激な実験をやる必要が無くなっていったの。
前衛的なモノディ様式の書法を、内声と外声の扱いを同格にして均整が取れた形に落ち着けた理論が自由対位法ってこと。
一番それが典型的な楽式がフーガだけど、当時はフーガが即興演奏されてたりしたわ。
外声を内声より優先させる通奏低音と4声部が対等な自由対位法は一見矛盾した発想だけど、通奏低音は作曲向きで自由対位法は即興向き。
だから相互補完的に共存することになったし、共存できたのよ。
特に絵画が顕著だけど、均整美を重視したルネサンス美術は私が好きなマニエリスムっていう意図的にバランスを崩す作風に変化していったわ。
でも、西欧音楽じゃ意図的にバランスを崩すホモフォニックな初期バロックから均整美を重視するポリフォニックな中期バロック、って他の分野と真逆の変化を辿ったの。
で、後期バロックの時代に自由対位法が徐々にホモフォニックな和声法に簡略化されていって、内声の伴奏声部も作曲家が自分で書くようになって通奏低音が使われなくなって、古典派の時代に突入って流れね。
バロック末期に自由対位法を使ってたバッハさんって例外を除くと、自由対位法が覇権を握ってた、言い方を変えたら調性ベースの対位法で曲が書かれたのは中期バロックを中心にした短い期間の話なの。
理由は簡単で、自由対位法は自由すぎて即興には便利でも作曲のために使いこなすのは難しいから。
別にそれが悪いとは思わないけど、最初の方でも言ったように水は低きに流れるのよ。
器楽曲と違ってストーリーと歌詞があるオペラじゃプリマドンナが暴れる歌メロ重視の書法が続いてたのも、自由対位法が和声法に簡略化されていく流れに拍車をかけたでしょうね。
初期バロックから後期ロマン派まで、クラシックで一番作曲家が稼げる楽式は一貫してオペラだったの。もちろん、当たればの話だけど。
クラシック業界じゃ「生前の栄華を求めるならオペラ、死後の名声を求めるなら交響曲」なんて言われるくらいで、バッハさんみたいにドイツの作曲家にはオペラを書かなかった方もたまにおられるけど、大抵の作曲家は器楽曲が代表曲として残ってる方でもオペラを書いておられるわ。
ベートーヴェンさんも最初はオペラを書いたけど当たらなくて、生前の栄華を諦めて交響曲に専念した結果、人類の歴史に永遠に名前を残すことになったわ。
逆の例で一番落差が激しい方は、生前にはフランスのグランド・オペラ作家として「彼の母は神の子を産んだ史上二人目の女性(一人目はもちろん聖母マリア)」とまで称賛されたほどの凄まじい栄華を極めながら、死後にはグランド・オペラの衰退と共に忘れられた作曲家になったマイアベーアさんでしょうね。
総合的に見たクラシックの歴史で一番の勝ち組は、オペラ作家として生前に大成功しながら、死後の名声をも手に入れたワーグナーさんじゃないかしら。
じゃ、最後に楽式。
遁走曲(フーガ)
ルネサンス音楽のリチェルカーレから発展した楽式で、古典派音楽とかロマン派音楽の交響曲に相当するポジションの、器楽曲じゃ一番重要なバロック音楽を代表する楽式。
バッハさんのトッカータとフーガは有名だけど、フーガと対になる曲として、前奏曲とかトッカータとセットになってることも多いわね。
書法としては徹底的な主題の模倣が特徴で、主題の拡大(拡大フーガ)や縮小(縮小フーガ)の他に、主題を転回した応唱を奏でる転回フーガとか主題を反行させた応唱を奏でる反行フーガもあるわ。
もっと複雑化させて、転回と拡大を同時にする転回拡大フーガ、転回と縮小を同時にする転回縮小フーガなんかもある。
特定の声部で低音の保続音を鳴らして、その間に他の声部でフーガするテクニックもよく使われるわ。
2つの主題を持つフーガを二重フーガ、3つの主題を持つフーガを三重フーガって呼んで、これ以上の数でも主題の数が増えるごとに呼び名が変わる。
自由対位法の方法論で、同時に奏でられてる複数の声部のメロディラインに垂直方向の和声の響きを使って秩序を与えるから、和声感が貧しくならないようにフーガを書くなら声部の数は4つ以上にするのがおすすめ。
声部が多すぎるとそれはそれで複雑で難しくなるから、クラシックの基本でもある4声部がちょうどいいんじゃないかしら。
調性と機能和声が前提の楽式だから、先行する声部を厳密に模倣しなきゃいけないカノンと違って、カデンツを成立させるためなら多少なら模倣が破れても許される。
要するに、似たような楽式でもカノンよりフーガの方が自由度が高くて書きやすいってことね。
主に声楽フーガの時に、楽器による伴奏声部を付けたのを有伴奏フーガって呼んで、伴奏声部は模倣とは無関係にフーガ声部だけじゃ和声感が薄い時にそれを補ったり、音色を豊かにする役割を担当する。
ベートーヴェンさんの「交響曲第9番ニ短調」みたいに、交響曲は調性で呼ばれるけど、フーガの場合は調性じゃなくてイタリア語で数えた声部の数で呼ばれるわ。
例えば、4声部のフーガならá 4 voci。
書ける技術をお持ちならフーガを2声部で書いても5声部で書いても、伴奏声部を使っても使わなくても作曲家の自由だけど、声部の数を曲の途中で増やしたり減らしたりするのは駄目。
声部の数はフーガの最初から最後までずっと同じにするのが規則。
交響曲がソナタ楽章とか変奏曲楽章とかの組み合わせで1曲なのと同じで、フーガも提示部、嬉遊部、追迫部の組み合わせで1曲が構成される。
だから、フーガを構成してる各部分について説明するわね。
提示部
フーガの主題のメロディが、全ての声部で順番に提示される部分。
最初に、1つの声部が主音か属音から始まって、完全終止か半終止の後に主音か3音上の音で終わる4小節くらいの長さの主題を提示して、その後に短くて自由な結句を入れる。これが主唱。
主唱が終わったら別の声部で同じように主唱を繰り返して、これを応唱って呼ぶ。
応唱じゃ主題のメロディを主唱から5度上げるか4度下げて属調に移調することになってて、これを正応って言うんだけど、属音だけは変応って言って、4度上げるか5度下げて主音にするのが規則。
導音は常に導音で応唱すること。
変応で主音と属音が入れ替わって、応唱が始まったら、主唱を担当した最初の声部は応唱のメロディを元に自由対位法で別のメロディを作って奏でることになってて、これを対唱って呼ぶ。
3声部以上あるフーガの時は、同じ要領で応唱と対唱を他の声部でも繰り返しやって、応唱と対唱をやってない残りの声部は自由唱で和声を埋める。
応唱の度に同じ形の対唱を繰り返すフーガを厳格なフーガ、応唱の度に異なる対唱が奏でられるフーガを自由なフーガって呼ぶわ。
提示部は1曲のフーガの中に別の調で何回か繰り返すことになってるけど、例外はあるけど基本的には4楽章って決まってる交響曲と違って、繰り返しの適切な回数は特に決まってないの。
要するに、フーガの構成は「提示部-嬉遊部-提示部-嬉遊部(-提示部-嬉遊部の繰り返し)-追迫部」よ。
嬉遊部
提示部と提示部の間に挟まれた自由なパートで、提示部で最後に応唱した声部から演奏を始めるのが普通。
主に提示部で使われた主唱とか対唱、結句のメロディを材料に、それらを転調させたり変形させたりして組み立てていく。
交響曲の主題労作と同じようなものね。
嬉遊部
再現された提示部の後に同じように再現された嬉遊部。
主調に戻るために、追迫部に入る前の最後の転調は下属調から属調にするのが基本。
追迫部
フーガの最後に置かれる、主調で演奏されるパート。
提示部と似てるんだけど、追迫部じゃストレッタっていう主唱のメロディが終わるのを待たずに、主唱に被せる形で複数の声部が別々の応唱を演奏し始める手法を使うのが提示部との違い。
本来より早く応唱が始まるんだから、何かに追われてるみたいな緊迫感が生まれて、だから追迫部って呼ばれてるわ。
ストレッタはやる声部が多いほど効果が高まって、正進行や反進行の模倣とかメロディの拡大や縮小みたいに、いろんな技法を使って声部ごとに違うフレーズとかリズムとか音程が絡まり合いながら主唱を追いかける。
4声以上のフーガだと、調性感を保つために主音か属音(同時に両方使うこともあるわ)の持続音を使うことが多いわね。
フーガを書くなら4声以上で書くのがおすすめなのは、この辺りが主な理由よ。
追迫部が終わったら、主題を材料に作ったちょっとした主調のコーダを最後に演奏して曲が終わる。
長調のフーガは普通に完全終止で終わるのが基本だけど、短調のフーガの場合はピカルディ3度で終わることが多いわ。
正歌劇(バロック・オペラ)
声楽とオーケストラを使って、主に神話とか英雄譚から題材を持ってきて作ったストーリーを音楽と視覚で表現する、序曲(シンフォニア)から始まるシリアスな歌劇。
3幕構成が原則で、1幕の上限の目安は多くて10楽章くらい。
幕は主に声楽のレチタティーヴォ・セッコとダ・カーポ・アリアの楽章で構成されるけど、脚本次第で序曲とか舞曲とか間奏曲みたいな器楽曲が合間に挿入されることもある。
幕の最後の楽章は合唱なことが多いわね。
ダ・カーポ・アリアと合唱の楽章には演奏順に通し番号が振られて、その間をレチタティーヴォ・セッコが繋ぐ形で話が進んで、この形式を番号オペラって呼ぶの。
オーケストラの編成がある程度固まったのは古典派の時代だから、歌に伴奏を付けるバロック・オペラのオーケストラの規模はわりと小規模で、登場人物を演じる歌手も4人くらいの少人数。
バロック・オペラじゃ演技の上手さとかメロディの質より歌手の声楽的技巧の方が重視されて、主役を演じてるプリマドンナのためにソプラノ声部には装飾音を多用したメロディが書かれる。
ストーリーのある歌劇だけど、モノディ様式の成立の説明の時に触れたみたいに、ストーリーよりむしろプリマドンナありきだったってこと。
ダ・カーポ・アリアは歌手の声楽的技巧を披露する見せ場で、歌が終わったらそれを歌った歌手が観客に拍手されながら舞台袖に退場していくのが当時の通例になってて、これを退場アリアって呼ぶ。
幕と幕の間には息抜きにインテルメッツォ(幕間劇)が挿入されて、シリアスな本編とは打って変わってシンプルでコミカルな話が演じられた。
元々はインテルメッツォには適当な器楽曲のメロディを引用してきたりして、専用の曲が書き下ろされることは滅多に無かったんだけど、オペラの書法が進歩するにつれて本編だけじゃなくてインテルメッツォも凝って作られるようになって、やがて独立してオペラ・ブッファに発展したわ。
私はよく知らないけど、愚姉によれば日本のオペラみたいな歌劇にも、狂言?って名前のインテルメッツォみたいなのが挟まってるらしいわね。
インテルメッツォの時に男女の衣装を交換(男性役が女装、女性役が男装)することを、トラヴェスティメントって言う。
バロック・オペラの時代にはまだズボン役は一般的じゃなかったけど、その萌芽は既にあったのよ。
レチタティーヴォ・セッコ
チェンバロの通奏低音だけ(低音を強化する旋律楽器が加わることもある)で伴奏されるレチタティーヴォ。話が進むのは主にこのパート。
ダ・カーポ・アリア
オーケストラで盛大に器楽伴奏を付けた、ソプラノ独唱の歌曲。
A-B-A'の三部構成で、リフレイン側のA'では即興的な装飾歌唱でプリマドンナが暴れ回る。
バロック・オペラの音楽的な見せ場で、ダ・カーポ・アリアが歌われてる間はストーリー進行が基本的に止まる。
交声曲(カンタータ)
レチタティーヴォ・セッコ楽章とダ・カーポ・アリア楽章が交互に2回ずつ繰り返される、歌詞にストーリー性がある歌曲のこと。
コラールを中心に独唱と重唱と合唱と管弦楽を使う教会カンタータ(複数の楽章がある大規模な形式)と、バロック・オペラに近い性格の世俗カンタータの2種類があるわ。
バッハさんのカンタータは、世俗カンタータも何曲かはあるけど、ほとんどは教会カンタータね。
聖譚曲(オラトリオ)
独唱と合唱、オーケストラで演奏される、宗教的なストーリーの歌詞の歌曲のこと。
演奏に数時間かかる、カンタータより大規模な楽式で、序曲から始まってレチタティーヴォ・セッコとかダ・カーポ・アリアとか合唱とかの複数の楽章で構成されてる幕が何幕かで1曲を構成する。
形式的には演技とか舞台装置みたいな視覚的表現が無い音楽だけのオペラみたいなものだけど、オペラから派生した楽式じゃないから注意。
元々、主の受難みたいな聖書から取ったキリスト教的なストーリーを歌詞にした歌曲は修道院とかで中世から歌われてて、そこに世俗曲の楽器が取り入れられて大規模化したのがオラトリオだから、起源は別なのよ。
トリオ・ソナタ
ルネサンス音楽のカンツォーナから発展した楽式で、通奏低音の上に対等な関係の2本の旋律楽器を乗せた3声部の器楽曲のこと。
古典派音楽とかロマン派音楽の弦楽四重奏曲みたいなポジションの、バロック音楽の室内楽曲で一番重要な楽式よ。
カンタータと同じで、教会ソナタと室内ソナタの2種類があるわ。
教会ソナタじゃ舞曲楽章を含まない緩-急-緩-急の4楽章が演奏されて、室内ソナタじゃ前奏曲の後に3つの舞曲楽章が演奏される。
ソナタって名前だけど、古典派の時代のソナタとかソナタ形式とは別物だから、混同しないように注意して頂戴。
旋律楽器には主にヴァイオリンかフルート(他にもオーボエとかリコーダーとかヴィオラも使われることがあるわ)が、通奏低音にはチェンバロかオルガンが使われる。
そこにベースラインを補強するためにチェロとかファゴットみたいな低音楽器が追加されて、4人で演奏するの。
教会ソナタ
第一楽章:三部形式に近い構成の楽章で、細かい音符が多めの緩やかな旋律で進む。調は主調。
第二楽章:フーガ形式かカプリッチョ形式の急速な楽章。調は平行調。
第三楽章:二部形式か三部形式に近い構成の、3拍子の緩徐楽章。調は平行調。
第四楽章:フーガ形式による3拍子の急速な楽章。調は主調。
合奏協奏曲
トリオ・ソナタと同じ編成の小アンサンブル(コンチェルティーノ)と、オーケストラ(リピエーノ)の演奏を、音色とか音量で対比的に絡み合わせて演奏する楽式のこと。
アレグロ楽章(第一楽章と第三楽章)は1つの主題(リトルネッロ)を楽曲の最初と最後は主調、それ以外は別の調で何回も演奏するリトルネッロ形式で書かれて、リトルネッロをリピエーノが、エピソード(リトルネッロの間に挟まれるフレーズ)をコンチェルティーノが担当する。
エピソードの数は自由で、最初と最後以外のリトルネッロは短縮されることが多いわね。
コンチェルティーノとリピエーノは、両方ともオルガンとかチェンバロの通奏低音で伴奏される。
これもトリオ・ソナタと同じで、教会協奏曲と室内協奏曲とに分かれるの。
教会協奏曲は普通は3楽章で構成されてて、アレグロとアダージョの楽章が交互に演奏される。
舞曲を組み合わせた古典組曲に近い性質の6楽章の室内協奏曲の場合は、後ろの2楽章はメヌエットとポロネーズにすることになってるわ。
幻想曲(ファンタジア)
一定の形式が無い楽式のこと。
形式が無いから、ファンタジアの曲調は自由対位法で緻密に書き上げられた曲から、シンプルで即興的な曲までいろいろ。
A-B-C-D-E-F-G...みたいに主題をどんどん変えていくタイプと、1つの主題を頻繁に奏でて曲の統一感を作るタイプに分かれるわ。
フランス式序曲(オーベルテューレ)
フランスのグランド・オペラとか歌曲の演奏会みたいな場で、複数の曲を続けて演奏する時に、最初に演奏される曲のこと。
2拍子で付点リズムの穏やかなグラーヴェ部分と、3拍子か変拍子で速くてフーガ的なヴィヴァーチェ部分が組み合わされてて、G-G-V-G'って構成。
序曲だから、後で演奏される曲のメロディを引用してきて先に奏でる場合も多いわ。
イタリア式序曲(シンフォニア)
バロック・オペラとかオラトリオ、古典組曲みたいな複数の曲を続けて演奏する時に、最初に演奏される管弦楽曲のこと。
急-緩-急の3楽章構成で、3連符が使われるのが特徴の一つ。
小規模な交響曲からメヌエット楽章を省いた(西欧音楽史的には逆にメヌエット楽章が後から挿入されたんだけど)のがシンフォニアって理解していただいても支障は無いわ。
交響曲の前身だから、ソナタ形式が使われる。
トッカータ
オルガンとかクラヴィコード、チェンバロみたいな鍵盤楽器のための、力強い和音を伴った即興的で自由な楽式のこと。
華やかで装飾的な細かい音形の変化とか、鍵盤の腕を披露するような技巧的なフレーズが特徴。
フーガの説明の時に触れたみたいにフーガとセットにされることも多いけど、そういう時は自由対位法を使って右手と左手のメロディがフーガっぽく模倣的に書かれることが多いわね。
もちろんトッカータだけ単体で書いてもいいし、即興的な要素も含めて演奏家の腕を披露する性質が強い楽式だから、和声がきちんとしてたら模倣的な書き方をしなくてもいい。
コラール
シンプルな歌曲形式で書かれた、プロテスタントの教会が歌う混声四部合唱の賛美歌。
リズムに変化が乏しいのが特徴で、その分だけ和声の美しさが命になるわ。
シャコンヌ
クラシックギターのオスティナート・バスに声楽とか器楽でメロディを乗せた、3拍子の穏やかな舞曲のこと。
I-V-IV-Vのカデンツを繰り返す長調の変奏曲で、♪♩♪♩♪♩♪♩ってシャコンヌ固有のリズムパターンで演奏される。
ポピュラーじゃ問題ないけどクラシックでは基本的に禁則な、V-IV(ドミナントからサブドミナントへの進行)が使われてるのが面白いわね。
パッサカリア
I-IV-V-Iのカデンツを繰り返す短調のシャコンヌのこと。
シャコンヌとは、調性の長短とカデンツが違うだけ。
ミュゼット
保続音を使うのが特徴の、3/4拍子の舞曲のこと。
要するに、低音でずっとドとかソとかが鳴ってるだけでリズム感が薄いから、他の舞曲と親和性が高くて、例えばメヌエット+ミュゼットみたいに他の舞曲と組み合わせやすいの。
テンポはわりと穏やかで、メロディは牧歌的な雰囲気。
タランテラ
6/8拍子の舞曲のこと。弱起で始まって、延々とタランテラ固有の𝅘𝅥𝅮|𝅘𝅥𝅮𝄾𝅘𝅥𝅮𝅘𝅥𝅮𝄾𝅘𝅥𝅮|𝅘𝅥𝅮𝄾𝅘𝅥𝅮𝅘𝅥𝅮𝄾𝅘𝅥𝅮|𝅘𝅥𝅮𝄾𝅘𝅥𝅮𝅘𝅥𝅮𝄾𝅘𝅥𝅮|𝅘𝅥𝅭ってリズムパターンを高速で繰り返す激しい曲調が特徴。
パヴァーヌ
行進曲に似た形式の、ゆったりとした2拍子の舞曲のこと。
パスピエ
3/8拍子か6/8拍子の、テンポが速くて陽気な舞曲のこと。
メヌエット
2拍目にあまり強くないアクセントを置いた、3/4拍子の穏やかなテンポの舞曲のこと。
𝅘𝅥𝅘𝅥𝅘𝅥|𝅘𝅥𝅘𝅥𝅘𝅥ってリズムパターンの舞曲だけど、他の舞曲ほどリズムが重要じゃなくて、ダンスに使うための実用性よりメロディの綺麗さを優先して書くべきとされてるわ。
古いものは二部形式か三部形式で、後世のものは複合三部形式で書かれることが多い。
ハイドンさん辺りの時代にメヌエットはパトロンの貴族にかなりの人気があって、交響曲とか弦楽四重奏曲の第3楽章がメヌエットになった理由は、貴族受けを狙うために貴族に人気のメヌエットを挿入したからなの。
ガヴォット
2/2拍子でテンポが少し速めの、弱起から始まる𝅘𝅥𝅘𝅥|𝅘𝅥𝅘𝅥𝅘𝅥𝅘𝅥|𝅗𝅥ってリズムパターンの舞曲のこと。
行進曲っぽい明るい曲調で、同じ舞曲のブレーとかなり似てるわね。
バロック音楽の時代には二部形式で書かれる(D.C.で最初のガボットをリフレインする)ことが多かったけど、古典派以降は複合三部形式で書かれることが多いわ。
アルマンド
二部形式の舞曲で、舞曲じゃ珍しい4/4拍子の楽式のこと。
他の舞曲と違って固有のリズムパターンは無くて、弱拍に16分音符を多用するのが特徴。
A-Bの二部形式のことが多くて、Aで主調から属調に転調してBで属調から主調に戻ってくる。
クーラント
3/4拍子と3/8拍子の変拍子で演奏される、まるで走ってるみたいにとても速いテンポの舞曲のこと。
二部形式で書かれて、ヘミオラが頻繁に使われるのが特徴。
サラバンド
3/4拍子のテンポが遅い舞曲のこと。
三部形式で、𝅘𝅥𝅘𝅥𝅭𝅘𝅥𝅮∣𝅘𝅥𝅗𝅥ってリズムパターンで演奏される。
ジーグ
3拍子版のアルマンドみたいな、二部形式の速い舞曲のこと。
フーガと同じ形式(フガート)で曲が始まるのが特徴で、つまり曲の冒頭部分は自由対位法でメロディを書く。
A-Bの二部形式のBのイントロとして、Aのイントロの反行形を使うのもジーグの特徴ね。
アルマンドとかジーグは二部形式だから、独立した楽曲としてじゃなくて複合三部形式のパートの1つとして他の舞曲の中に組み込まれることも多いわ。
古典組曲
1 前奏曲
2 アルマンド
3 クーラント
4 サラバンド
5 間奏部
6 ジーグ
近代組曲じゃ作曲家が好きな楽式を自由に組み合わせてワンセットにするけど、バロック音楽の時代の古典組曲は緩急や拍子が違う複数の舞曲を組み合わせたものを指すの。
私も、前にピアノで古典組曲を書いて皆さんに披露したわよね。
あれはメロディこそバロック音楽を強く意識したとはいえ、自由対位法じゃなくて和声法で書いた曲だけど。
サラバンドとジーグの間の間奏部には、メヌエットとかガヴォットとかポロネーズとかブレーとかパスピエとか、作曲家の入れたい舞曲を好きに選んで入れていいことになってるわ。
6曲の舞曲に統一感を与えるために、全曲を同じ主調で書くことが望ましい。
もちろん途中で転調はしてもいいけど、古典組曲全体を貫くメインの調は決めておきなさいってこと。
バロック音楽の舞曲は二部形式のものが多いから、古典組曲も大部分が二部形式よ。
と、まあ、今回の講義の本題はこんなところで、ここからは愚痴混じりのちょっとした余談。
第二次世界大戦以降、クラシック業界では調性が少しでも曲の中にあるだけで曲自体の価値が全否定される(ミニマリズムは例外的に調性を使っても許されてたけど、それでもミニマリズムは無調音楽より格下みたいな扱いで、ミニマリズムの曲が賞を取ることは滅多に無かったわ)極端な無調至上主義が長く続いたから、対位法といえば調性を使う自由対位法じゃなくて教会旋法を使う厳格対位法(の方が優れてる)みたいな風潮が強いの。
だから、厳格対位法の理論を私より詳しく正確に教えてくれる本は探せば何冊も見つかると思うわ。
でも、自分で言うのもなんだけど、皆さんの時代で私の今回の講義より詳しく自由対位法の理論を解説してる本とかサイトは、私が知る限り英語でもなかなか無いのよ。
少なくとも、日本語なら私の今回の講義が一番専門的かつ体系的で詳しい自由対位法の解説でしょうね。
もしこういう私の物言いに不快感や異論をお持ちになる方がおられたら、ぜひご自分で自由対位法の解説記事なり専門書を書いていただきたいわ。
そもそも、学術たんは学術研究の先頭に立ってその分野を引っ張る存在じゃなくて、先頭に立っておられる方の研究を追いかけて専門外の方にも分かりやすく紹介するための存在なの。
自由対位法に関して学術たんである私の解説が一番詳しい、この記事より詳しい専門書が無い現状がおかしいのよ。
どなたかが私より詳しく正確に自由対位法を解説してくださるなら、学術たんとして私は大歓迎するし、ぜひそうなっていただきたいわね。
バロック音楽と自由対位法の講義はここまで。
今までは前回のルネサンス音楽の講義が最長だったけど、今回は時代背景の説明を入念にしたこともあって、前回を遥かに上回る長さになったわ。
だけど、だからこそ内容が充実してて実用性が高い記事になったって自負があるわ。
次回は和声法よ。
次回の講義は、今までの講義と比べてちょっと変則的な内容にするつもり。
どうしてかっていうと、音楽的な区分と作曲理論が1対1で対応しないから。
例えば、前回のルネサンス音楽は厳格対位法と対応してたし、今回のバロック音楽も自由対位法と対応してたでしょ。
でも、古典派音楽とロマン派音楽ではどっちも和声法が主に使われて、区分と理論が対応しないの。
加えて、地理的にも古典派音楽とロマン派音楽の中心地はどっちもドイツだったし、調律も平均律で同じ。
今までは時代が進むごとに「ここが変わった」って分かりやすい劇的なパラダイムシフトがあったけど、古典派音楽とロマン派音楽の間には劇的って言えるような大きなパラダイムシフトが無くて、地続き的に続いてるの。
だから、じゃあ何がどう違うの?って聞かれた時に、今までの講義みたいな時代背景と作曲理論をセットで解説する形式じゃ、古典派とロマン派の違いを説明するのがとても難しいのよ。
で、それを前提に、次回の講義は今までとは少し違って、時代背景には最低限しか触れずに純粋に作曲理論としての和声法だけを解説するわ。
その次に管弦楽法の最低限の基礎知識の講義をして、それから古典派とロマン派の時代背景、つまり西欧音楽史の講義をする、って変則的な形を取るつもり。
クラシック理論への入門編的な意味合いも兼ねて、和声法の講義は基礎的な楽典の内容からやっていくつもりだから、今までで最長になった今回より更に長くなるかもしれないわね。
それじゃ、また会いましょ。
今作ってるアンブラックメタルバンドのアルバムの完成とか、私のVTuberデビューと、次回の講義のどっちが先になるかは分からないけど。
特に通奏低音の辺りとか、何か質問があったらいつでもして頂戴ね。