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井桁容子インタビュー#3【コロナ禍の親の心構え】

大友:コロナ禍で社会や学校で息苦しいと感じている子どもが増えているのではないか?無言給食ならぬ無言学校とか、極端な規制も起こっているようです。
そこで親がどういう心構えでいたらいいのか?そんなところをお話しいただけますでしょうか。

井桁:
私はもうもう子供達成人しちゃったけれど、もしもこの時期に子どもがまだ育ち盛りだとしたら何をするかなーって考えると、やっぱりこれはなんでもないことだっていう風に一生懸命努力すると思うんです。特別な事が起こってるんじゃなくて、こういうことは生きてる上でよく起こることなのよ。だからそういう事を「大変だ!」とか「怖い!」とか「何で?!」とか「どうして元に戻らないの?」って言う人だと生き残れないよと。私ならそう言うと思うので、面白い事いっぱい考えられたり、逆に楽しいことに変えてしまえっていう人になれると素敵なのよって徹底的にやると思う。世の中みんながそうなるなんていうことを望んでも、いろんな人がいるから世の中がそうなればいいのにっていうのは本当に理想ではあるんですけど、それってすぐ動かなそうじゃないですか。そんな運動する暇もなく目の前の事に大人達は追われているので、だとしたら身近なところで毎日楽しいことを考える方向に持っていく。

 例えばちょっと場所を変えたり、ちょっと目線を変えたりね。こういう時こそわざと明るい色の洋服を着たり。それだけでも別世界に行けるんですよ。人間の心っていうのはね。そういうものなの。だから何かがないと何かを得られないなんて思っちゃうほど人間の心は硬くない。子ども達にそう言う風に物事というのは、世の中は食べられない時もあれば、飲めない時もあれば、お話できない時もあるのよ。その時に面白がった人が勝ちだから、なんか面白いこと考えようよって。私なら言うかな。答えは1つで、誰かが与えてくれた中だけで生きていけるものではないのでね。

学校では、先生達もいろんな人たちに文句言われたりするとちゃんと答えられなかったりするから、そういう事を強いるかもしれない。だけどそれもまあちょっと協力してあげるって言うのも子どもの仕事かもねえって。だけど本当に困ることは嫌だって言える力はないとダメなんだよって。私は子どもには我慢するんじゃなくて協力してもらうという事だと思います。協力という事なら、できることはするけど辛い時には、それは嫌だって先生に自分で言えたらいい。逆に子どもから「こういう風にすればいいじゃない?」っていうアイデアも浮かんだら言えたらいいねと。だけどねそれが言えないならお父さんお母さんと一緒に考えていこうっていう風に提案したりね。嘆いている方向にはおかないと私は思っています。学校などでは、クラスで考えよう!とか、先生考えようよ!なんかうちのクラスだけでも面白く生きれる何か学校を皆で考えたい!とか。そういうのが小さな単位で広がっていくと良いかなと思います。

家庭でも、お父さんお母さんと「こういう時にこそ何か面白いこと考えよう!」「なんでもないよこんな事!」ってね。コロナはずっと付き合っていくウイルスなので。というか今までも付き合ってきた物なので。そんなことだけで特別だと右往左往していたらこれこれから色々なことが起こる時に、打たれ弱い人になっちゃうでしょっていう気持ちでいます。だから答えは1つじゃない。面白がり方はその人によって色々だから、自分の持ってる色々な何かで、自分を楽しくさせることはできるよと。「〇〇が出来なくなった」じゃなくて「何ができるか?」を考える。これならできる!と思うと、それだけでも何も変わってないようだけども物凄く心の中が違うんですよ。同じ人間と思えないようになれるんです人って。例えば、自然が美しいって今は思うけど、でも誰か大事な人が亡くなっちゃった時に見ると、悲しい風景に見える。木が泣いてるようにも見えますもんね。そういう風に人間の心っていうのは柔軟で、どうにでもなる。だからネガティブな状態に置かない手伝いを子どもと一緒にするということが全てかなと私は思っています。

インタビュアー・撮影・編集 大友剛
撮影場所 山梨県南都留郡
協力 認定こども園Fujiこどもの家バンビーノの森
撮影 2020.8月下旬



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